今帰仁村呉我山地区を経由するバス路線があった
沖縄県今帰仁村の「呉我山地区」・・・と聞いてすぐにわかる方は少ないかもしれないが、2023年2月に着工を開始した「沖縄北部新テーマパーク」の建設が予定されているところである。
現在は、自家用車でしかアクセスできない地区であるが、かつてこの地区にも路線バスが乗り入れていた。路線名は地区名を冠した「75番・呉我山線」であった。
1975年には休止されていた?
1975年3月末時点のバス路線一覧をみると、75番・呉我山線は、名護と仲宗根を伊差川、仲尾経由で結ぶ路線として記載されている。
ただ運行本数欄に「運休」とあることから、1975年3月末時点で既に運行されていなかったようである。沖縄本島の路線バスに系統番号が付与されたのが、1972年~1975年のことなので、75番という番号は振られたものの、早々に欠番となったようだ。
なお「呉我山線」という路線名自体は、1961年3月当時の昭和バス(現在の琉球バス交通の前々身)のバス路線一覧$${^1}$$には記載があることから、1960年代には既に存在した路線である。
運行ルートは?
1975年7月1日に発行された路線バス運賃をまとめた書籍には、75番・呉我山線の運賃表が掲載されている。前述の通り、1975年3月末時点では運休となっていたはずであるが、市販の書籍なので、出版社に情報が入っていなかったか、印刷時期の関係で反映が間に合わなかったかのどちらかであろう。
この運賃表から想定される運行ルートを下記に示す。
呉我山地区周辺での運行ルートは?
呉我山地区周辺での運行ルートは、この当時の路線図が手元に無いことから、前述の運賃表に記載のバス停名と運行距離、そして当時の道路整備状況からの想定である。
湧川~呉我山売店前
分かりやすいのは起点側である。運賃表に記載のある「湧川」は現在でも、国道505号に存在するバス停である。ここから呉我山に行くには、今も昔も県道123号線しかないので、恐らくこの道路を通っていたのだろう。
次に記載されている「呉我山売店前」というのは、現在も存在する呉我山共同売店のことであろうか。この想定通りであれば、現在の呉我山交差点付近まで西に向かっていたようであるが、この先、仲宗根に向かって北上するルート(後述)を考えると、「呉我山売店前」のバス停は、呉我山交差点より少し東側に設置されていたようである。
呉我山売店前~マッチャク
次の「マッチャク」という地名なのか施設名なのかよくわからないバス停であるが、これは呉我山地区の北側に存在した地区名である。存在したと過去形なのは、住所的には残っていないためであるが、国土地理院地図には現在でも「マッチャク」の記載が残っている。
「呉我山売店前」から「マッチャク」までのルートは、県道72号名護運天港線しかないため、単純に地図をみると、呉我山交差点から県道72号線を北上するルートかと思われたが、1977年当時の航空写真では呉我山交差点は三叉路となっており、北上する道路が見当たらない。
呉我山交差点から北上する県道72号線上にある呉我山トンネルは、1988年供用$${^2}$$の新道ということなので、75番・呉我山線が運行されていた時期は、トンネルを利用しない旧道経由となる。
宜野座村惣慶の国道329号の旧道や、浦添市前田の県道38号の旧道は、現在でも車が通行できる道路として残っているが、この県道72号線の旧道はかなり険しい道だったためか、現在は閉鎖されてしまっている。ただ、地図には一応記載が残っており、このルートが正しいとなると、現在の呉我山交差点より少し東側から北上していたようである。バス停名の由来となった呉我山共同売店も、かつては今よりも東側にあったのだろうか。
旧県道71号線を北上して、現在の呉我山トンネルを過ぎた直後で、新旧道路が合流し、途中で線形改良による微妙な違いがあるものの、合流後は、おおよそ現在の県道72号線のルートで「マッチャク」まで至っていたようである。
なお、前述の運賃表によると「呉我山売店前」から0.3kmの位置に「呉我山橋」というバス停が設置されていたようである。
マッチャク~玉城区事務所~仲宗根
「マッチャク」の次に記載されているのが「玉城区事務所」であるが、これは現在の「玉城区公民館」のことであろう。「マッチャク」から「玉城区公民館」までのルートは県道72号線しか無いことから、引き続き道路に沿って北上していくが、途中にある乙羽トンネルは、1989年供用$${^2}$$の新道であるため、その区間は別に存在した旧道経由となっていたようである。この旧道は現在も道路として残っているため、比較的容易に辿れる。
終点の「仲宗根」は現在でも、国道505号に存在するバス停のことであろう。
終点の「仲宗根」は、現在は道路上にあるバス停の1つであるが、かつてはここに「あらかき平尾バス」の今帰仁村出張所が存在した$${^3}$$。
あらかき平尾バスは、最終的に琉球バス交通の前々身である昭和バスに吸収合併されたバス会社である。もしかしたら、呉我山線が仲宗根終点なのは、元々あらかき平尾バスが呉我山線を運行しており、今帰仁営業所がある仲宗根を起終点としていたからかもしれない。
名護市仲尾地区を経由していた?
呉我山線なので、今帰仁村の呉我山地区のことについて触れてきたが、実はもう1区間、現在はバスが走っていないエリアを75番・呉我山線が運行されていた。それが、名護市にある仲尾地区である。
これも起点側から辿ってみる。
起点である「名護(バスターミナル)」から、途中の「伊差川」までは、現在でも運行されている65番・本部半島線および66番・本部半島線の運行ルートと同じである。「伊差川」からこれら2路線は、県道71号線に入り、「我部祖河」を経由して、「呉我橋」へ向かうルートであるが、このルートだと前述の運賃表に記載のある「田井等売店前(現・田井等)」を経由しないことになる。
「田井等売店前」を経由するルートとなると、「伊差川」から国道58号沿いに北上を続け、「羽地役場前(現・仲尾次入口)」から西に向かう国道505号に入るルートとなる。よって、現在は路線バスが走っていない、国道505号の「羽地役場前」から「呉我橋」間に位置する名護市仲尾地区を、75番・呉我山線が通行していた。
繰り返しになるが、この当時のバス路線図が手元にないため、仲尾地区に何ヶ所のバス停が設置されていたかは不明であるが、前述の運賃表より少なくとも「仲尾入口」「仲尾」という2つのバス停は設置されていたようである。バス停間の距離と集落の位置から推定すると、以下のような配置であろうか。
1963年頃に路線を延長しているが・・・
1962年に発行された昭和バスの決算報告書(営業報告書)によると、1961年の年末に呉我山線の延長が認可されたようである。
2.8kmの延長という情報しかないが、可能性としては以下が考えられる。
・我部祖河(県道71号線)経由から仲尾(国道505号)経由への変更に伴う運行距離の延長。
・マッチャク終点から仲宗根終点への変更に伴う運行距離の延長。
どっちもおおよそ2.8km延長が伸びる可能性があるが、結局のところ真偽は不明である(もしかしたら全然関係ない区間のことかもしれない・・・)。
かなり知名度は低い路線?
「呉我山線」はあまりにも古い時期にのみ存在した路線であるためか、記載されている資料はかなり限られる。インターネット上で見れる「呉我山線」に関する情報掲載先を、備忘も兼ねてまとめておく。
沖縄県公文書館Webサイト
沖縄バス争議 1961年(1961年 琉球政府労働局中央労働委員会事務局)p.115
法人企業業務報告書 運輸・通信業 1962年度(1962年 琉球政府計画局経済企画課)p.31
旅客自動車輸送実績報告書 各バス会社(1967年 琉球政府通商産業局運輸部陸運課)p.4ほか
陸運関係資料 バス関係財務諸表(1968年10月~1970年10月 琉球政府企画局企画部)p.152 【仲尾入口~仲尾~呉我のみ記載】
今帰仁村Webサイト
広報なきじん No.203(1992年10月 今帰仁村発行)p.8 【下記に引用】
ちなみに、ウィキペディアでは県道72号線の(屋部~)呉我山~仲宗根を経由する路線バスは無かったことになっている。
脚注
沖縄バス争議 1961年(1961年 琉球政府労働局中央労働委員会事務局)p.115
やんばる国道物語 - 道に関する年表(沖縄総合事務局北部国道事務所Webサイト)
広報なきじん No.264(1997年11月 今帰仁村発行)p.12
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