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宜野座村惣慶集落を経由するバス路線があった

宜野座村惣慶とは、沖縄県宜野座村に存在する字名である。地図で示すと以下のエリアである。

路線バスはこの惣慶地区を貫く旧国道329号(現在の宜野座村道宜野座中央旧国道線)を通っているが、かつてはこの旧国道から少し南側に外れた惣慶区事務所などがある「惣慶集落」を経由する路線バスが運行されていたようである。


琉球バスの名護東線が惣慶集落に乗り入れていた

惣慶集落に乗り入れていたのは、21番・名護東線である。
21番・名護東線は、具志川~名護間を結んでいた琉球バス交通の路線で、2008年9月30日をもって廃止されているが、琉球バス時代の2006年8月31日までは、那覇~名護間を結ぶ路線であった。
惣慶集落へ乗り入れていたのは、名護東線が那覇~名護間を結んでいた時代のことであるが、本線は旧国道329号線を経由する系統であり、惣慶集落への乗り入れ系統は「惣慶経由」として別に設定されていた。

「惣慶経由」が載っている資料はあまり無い

惣慶集落へ乗り入れていた「惣慶経由」が載っている資料は3つしか見つけられていないが、それらの資料をまず紹介する。

昭和産業株式会社の決算報告書

1つ目は1962年に発行された昭和産業株式会社の決算報告書(営業報告書)である。昭和産業とは、1964年7月まで存在した「昭和バス」の正式な企業名であり、現在の「琉球バス交通」の前身である「琉球バス」のさらに前身の会社である。
庶務事項の欄より、1961年に名護東線の惣慶経由の認可がおりたようである。恐らく運行開始も1961年であろう。

1961年10月4日 名護東線の惣慶まわりの認可を受く

法人企業業務報告書 運輸・通信業 1962年度(1962年 琉球政府計画局経済企画課)p.31

琉球政府の行政監察業務概況

続いて琉球政府が1970年に発行した行政監察業務概況である。
この資料には、1964年12月末時点のバス路線一覧が掲載されており、一覧を見ると下記のように名護東線が2つ記載されているが、「主たる経過停留所」に「惣慶」と書かれた系統があり、これが本線とは別の惣慶経由だと思われる。なお、始発終発時刻が本線と全く同じなのは、誤字であろう。

行政監察業務概況 1970年5月(1970年5月 琉球政府総務局行政部発行)p.75を元に筆者が作成

琉球政府の陸運関係資料

3つ目は、1968年~1970年頃の琉球政府の陸運関係資料である。
琉球バスの認可区間が掲載されており、主な経由地が「惣慶」と書かれた1.5kmの区間が認可されている。恐らくこれが惣慶経由のみが通るルートであろう。

起点 宜野座村惣慶松口原1511番地(福山三叉路)
終点 宜野座村字宜野座池クボ原1214番地(宜野座小校前)
粁程 1.5粁
主な経由地 惣慶

陸運関係資料 バス関係財務諸表(1968年10月~1970年10月 琉球政府企画局企画部)p.151

惣慶経由のルートは?

これらの資料から惣慶経由のルートを探してみたいと思う。
最も具体的に地名の記述があるのは3つ目の資料であり、「福山三叉路」を起点、「宜野座小学校前」が終点となっている。

まずは起点の「福山三叉路」であるが、宜野座村内には福山バス停があり、その近くに交差点が存在する。

福山三叉路の想定位置
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

1962年7月当時の航空写真も見てみたが、福山バス停付近にはここ以外にそれらしき交差点は見当たらないことから、福山三叉路とはこの交差点のことであろう。

福山三叉路の想定位置 1962/07/03撮影
(国土地理院の空中写真【USAwide-LINE10+F21-108】を筆者が加工)

なお、地図や航空写真で見ると十字路のように見えるが、Googleストリートビューで名護側から見てみると、微妙に食い違い交差点となっており、三叉路が2つ並ぶような形になっている。このうち惣慶集落方面への交差点である名護側の三叉路が「福山三叉路」であろう。

一方の終点側の「宜野座小学校前」は、現在でも同名のバス停があることから、ほぼ確実にここであると思われる。

宜野座小学校前の想定位置
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

これらの起終点を1つの地図に落とすと以下のようになる。

福山三叉路と宜野座小学校前の位置関係
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

名護東線は、起点が那覇市、終点が名護市であるが、惣慶ルートの起点である福山三叉路は那覇市側、終点である宜野座小学校前は名護市側で、両者は一致していることから、位置関係は間違いなさそうだ。

続いてルートであるが、これも3つ目の資料により、距離は1.5kmということがわかっている。福山三叉路~宜野座小学校前で約1.5kmのルートとなると、以下のルートであろうか。

想定される惣慶経由のルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

2つ目の資料から、本線(73.5km)に比べて惣慶経由(74.2km)は、0.7km長いということが確認できるが、上記のルートであればそれも満足する。
また、1962年7月当時の航空写真にもこのルートは存在し、惣慶集落を経由することから、このルートで間違いないと思われる。

想定される惣慶経由のルート 1962/07/03撮影
(国土地理院の空中写真【USAwide-LINE10+F21-108】を筆者が加工)

いつ廃止になったかは不明

惣慶経由は、いわゆる旧道経由のルートとなるが、新道経由の本線より後に開設された系統であり、珍しいパターンである。惣慶集落からの要望が強かったのだろうか。
ただ1964年当時で5本/日とかなり運行本数は少なく、需要が本線ほど高かったわけではなさそうだ。

惣慶経由は、3つ目の資料により少なくとも1968年までは運行されていたようであるが、最終的にいつ廃止になったかは不明である。
1975年3月末時点のバス路線一覧$${^1}$$には、惣慶経由の記載がないが、この当時に確実に存在したはずの25番・知花線の中城経由も記載がないことから、この資料では本線以外が省略されていた可能性があり、1975年時点で廃止されていたとは言いにくい。
一方で1977年当時の路線図$${^2}$$には、惣慶経由ルートの記載がないことから、確実に1977年時点では廃止されていたようである。
よって、惣慶経由の存在期間は最長で1961〜1977年であったと想定される。

脚注

  1. 昭和50年度 業務概況(1975年7月 沖縄県陸運事務所発行)p.24

  2. 運賃及び粁程表 昭和52年3月14日改定(1977年 沖縄県バス協会発行)


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