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転々とした琉球バス交通の営業所

かつて琉球バス交通は、沖縄県那覇市牧志と豊見城市与根に営業所を設置していた。両営業所とも2008年8月1日に豊見城市豊崎に移転している。

那覇市牧志の営業所

那覇市牧志の営業所は、観光部のみの営業所であり、本社もここにあった。地図で示すとこの辺りである。

1993年8月当時(移転前)と2010年9月当時(移転後)の航空写真を並べてみる。

牧志本社・観光部 (左)1993/08/29撮影、(右)2010/09/27撮影
(国土地理院の空中写真【(左)OKC931-C49-9、(右)COK20101-C11-10】を筆者が加工)

河川の付け替えが行われており、土地の形状がかなり変わっているが、現在は「さいおんスクエア」が跡地に立地している。
ちなみに、1993年の航空写真のもう少し東側を見てみると、ひめゆり通りを挟んでバスが多く止まっている箇所があるが、これはかつての沖縄バスの安里本社である。

琉球バス牧志本社と沖縄バス安里本社 1993/08/29撮影
(国土地理院の空中写真【OKC931-C49-9】を筆者が加工)

ただ「沖縄バス60年のあゆみ(2011年3月 沖縄バス発行)」によると、安里本社は1987年7月に移転しており、1996年までは「月極自家用車契約、買い物客一般時間制有料駐車場として活用」とのことなので、こんなにも多くのバスが駐車されているのは、やや不自然である。これはまた別の機会に調べてみることにする。

豊見城市与根の営業所

一方の豊見城市与根の営業所は、路線部のみの営業所であった。地図で示すとこの辺りである。

琉球バス交通は那覇市内には路線部の営業所を設置していなかったため、那覇を発着する路線は、この与根営業所が管轄であった。
なお、川(海?)を挟んで北側には、那覇バスの具志営業所が現在も立地している。
2005年1月当時(移転前)と2010年9月当時(移転後)の航空写真を並べてみる。

与根営業所 (左)2005/01/24撮影、(右)2010/09/27撮影
(国土地理院の空中写真【(左)COK20041X-C10-3、(右)COK20101-C15-6】を筆者が加工)

現在は、工事用案内標識などを販売する「仙台銘板 沖縄営業所」が立地している。
この与根営業所であるが、さらに遡った1993年9月10日時点の航空写真には写っておらず、この時点では別の場所に路線部の営業所があったようであるが、その場所は探し切れていない。

与根営業所 (左)2005/01/24撮影、(右)1993/09/10撮影
(国土地理院の空中写真【(左)COK20041X-C10-3、(右)OKC931-C52A-5】を筆者が加工)

豊見城市豊崎に移転

この2営業所は、前述の通り2008年8月1日に豊見城市豊崎に移転しており、現在の「豊崎営業所」となる。本社と観光部営業所と路線部営業所をまとめて1か所に集約したため、かなり広い敷地が確保されている。
2005年1月24日時点の牧志と与根の営業所と、2010年12月18日時点の豊崎営業所をほぼ同スケールとなるように並べてみたが、豊崎営業所の広さがよくわかると思う。

豊見城営業所と牧志本社、与根営業所
 (左)2010/12/18撮影、(右上)2005/01/24撮影、(右下)2005/01/24撮影
(国土地理院の空中写真【(左)COK20101-C17-7、(右上)COK20041X-C8-5、(右下)COK20041X-C10-3】を筆者が加工)

一部が豊見城市翁長に再移転

このまま10年ほど琉球バス交通の本社、路線部、観光部が豊崎営業所に集約された状態が続いたのだが、2019年4月1日に同じ第一交通産業グループの那覇バス具志営業所(那覇市具志)の観光部が、豊崎営業所へ移転してきた。
具志営業所の敷地の一部が小禄バイパスの道路用地となるため、縮小される敷地には路線部のみが残り、入りきらない観光部が豊崎営業所に移転してきた形である。

ただいくら広い豊崎営業所でも、那覇バスが保有していた100台近い観光バスを追加で収容するほどのスペースは無かったようで、琉球バスの路線部は、豊見城市翁長に新設された「豊見城営業所」に移転された。同時に本社も豊見城営業所へ移転したようである。

2008年からの移転からの流れを地図で示すと以下のようになる。
一度は集約された路線部と観光部であったが、結局は2008年の移転前のように別々の営業所となってしまった。

OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors
琉球バス交通(と那覇バス)の営業所移転の歴史


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