#教師のバトン ②「飴ちゃん」が世界を救う
登山のポイントの一つに「最初の30分」というのがある。準備運動を入念に行い、いよいよ入山。最初の30分は急がない。ゆっくり歩きながら体を徐々に山に合わせていく。30分経ったら一度休憩し、ペース配分をもとに必要に応じて登頂までの再計画を立てる…。
これは年度始めの教員の心得と似ている。
百名山の一つ日光男体山は、とにかくスタートがキツイ山だった。最初の5分で息切れした。そして不安になった。本当に登れるだろうか・・と。
「右か左かはわかる・・・が、その先がわからない」
採用1年目は特にそうだ。何がどこにあるかもわからない、部屋の開閉、警戒の解除、鍵の場所もそうだし、機材のありかや初期設定、使い方、学校の不文律、お作法など、覚えることが山のようにある。
わからないことを毎回先生方に伺うのも気が引ける。そうこう悩んでいるうちに仕事は山積みになっていく。こんなに段取りが悪い人間じゃなかったのにな、これいつになったら終わるんだろう・・・と不安になる。
「準備運動」をしていても、ストレッチと実践は違う。ある程度準備してきたから右か左かはわかる。が、問題なのは、その先がわからないのだ。
見通しが立たないからこその不安
授業が始まって少ししたら、そう「健康診断」や「部活動の仮入部期間」が終わる頃には、少し落ち着く。日々のルーティーンが軌道に乗るまでの間の辛抱。
GW期間に2、3日は休めるはず。そこで一度仕切り直し。今年度受け持つ生徒たちの特徴もわかっていたら、それらを加味して、1年間の指導計画を立て直す。急がなくていい。ゆっくり進めばいい。
初任1年目から、完璧な人はいない。生徒に悪いなって思わなくてもいい。1年目だから「悪いな」ってわけでもない。「ああすればよかった」「こうすればよかった」という思いは、教員何年目だろうが必ずあるものだから。
出てくる出てくる 初任時代の失敗談
先日ある先生から「初任の先生がリタイアしそうだ」と言う話を聞いた。それは辛い。初任の先生もそうだが、同僚の先生方も辛いだろう。GW前のことだったのだが、なんとか持ち堪えてくれているといいなと思う。
この話が頭に残っていたせいか、友達の先生方と初任の時の話題で盛り上がった。すると出てくる出てくる血肉のこもった体験談が…。一人一人、まさにその人だけの初任時代。そして共通して同僚の先生の存在があった。
かく言う私も、GW明けに校長室に乗り込んで「辞めます」宣言をしたっけ。
当時、授業が思うようにいかず、生徒も全然授業を聞きもせず、立ち歩くし、配布したプリントはすぐにゴミ箱に捨てられるし、毎日学校に行くのが嫌だったし、怖かった。
でも同僚の先生方はいつでも親身に相談に乗ってくれた。教材研究のヒントや作成した定期試験問題に多角的な視点からアドバイスを頂いた。生徒理解のための研修会も誘ってくださった。今から思えば、私は自分のことで精一杯で全然生徒を見てなかった。先輩方のアドバイスや意見も聞いていたけど、わかってはいなかった。これも20年経った今だからわかる。
あめちゃんが世界を救う
初任時代の体験談をする中で、ある先生が「なぜ乗り越えられたんでしょうね」と疑問を口にした。確かに。なぜあの辛かった時間を乗り切ったのだろうか。もしかしたらそこに「教師集団の魅力」なるものが隠れているのかもしれない。
都立高校時代の指導教諭の先生は、真言宗のお坊さん(兼職)だった。特にこれといった教科の指導はなかったが、私が何か失敗すると「どんまい」とだけ言って飴ちゃんを机の上に置いてくれた。逆に、頑張った時にも、飴ちゃんが机の上に置いてあった。アドバイスや励ましはなかったが、その飴ちゃんに何度も救われた。
初任者との関わり方は難しい。どこまで関わればいいのかその塩梅がわからない。教えすぎても迷惑かなとか、困っていることないですか?って聞くのもお節介かな‥とか。
そんな時、「あめちゃん」が一役買ってくれるかもしれない。新採さんの机の上に「あめちゃん」を置いておく。それだけで世界は鮮やかになるかもしれない。
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