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No.1376 合縁奇縁

数日前、他県の未知のお医者さんからいきなり電話をもらいました。
「D君のことについて、話を聞かせて欲しい。」
というご依頼でした。なんでも、D君の幼少期に彼の担当医だった方と言います。私の事をD君かご家族から聞いたことがあるらしく、電話したのだそうです。
 
D君は、もう四半世紀も前の私の教え子です。重い病をもって生まれ、幼少期に何度か手術をし、長く闘病生活を送りました。
「幼かったので、病院が自宅だと思っていました。」
と彼が言ったくらいです。小学校に通えるようになっても、中学生になっても学校に通えない日が多く、勉強についていけなかったそうです。
 
先のお医者さんの話では、小学生にも上がれないかもしれないという診断だったそうです。ところが、欠席を繰り返しながらも、自分の体と相談し、時にはごまかしながら登校して無事に小・中学校を卒業しました。負けん気の強い男ですから、自宅で可能な限り独学に励んだのでしょう。彼は他の生徒に負けない成績で高校に進学してきました。
 
入学後、両親から詳しい話を伺い、どんなことが出来、どんなことが出来ないか、学校に知っておいて欲しい事を聴きました。一切の運動ができず、身体への負担のかかることはできないということでした。
 
ところが、性格は陽で、ジョークが得意でお口が達者で、負けず嫌いです。すぐに男女を問わずクラスメイトと打ち解けると、興が乗ったり、腹を立てたりして追いかけっこをします。青ざめるのは彼ではなく、こちらの方だったりすることもありました。
 
年齢的な事も、心と体のバランスが保てたことも、環境が変わったことも、何より思いやりのあるクラスメイトに恵まれたことも功を奏したのでしょう。3年間、ほとんど欠席しませんでした。おそらく、お医者さんは耳を疑ったと思います。
 
初めて家庭訪問をした時のことは、今も印象深く覚えています。
「先生、私の一番の楽しみは何だと思いますか?」
3人で談話中に、お母さんから聞かれました。
「私ね、息子が帰ってきたら、すぐに弁当箱を出させて振るんですよ。カラカラって音がするでしょ。あの音を聞いた時、ああ、お腹が空いたんだな、元気だったんだな、食べてくれたんだなって思うと、すごく楽しくて幸せな気持ちになるんです。」
高校生活が始まって、お母さんの弁当作りも始まったわけですが、その毎日の幸せは、今までになかったものでしょう。母親の愛情弁当が、彼の心も身体も育て、強くしたと言えそうです。
 
「高校だけでも」と思っていた親子でしたが、本人が大学進学への強い意欲を抱くようになり、自分で進学先を決め受験しました。きっと、病に苦しむ人たちに少しでも役立ちたかったのだろうと思います。面接諮問では、これまでの自分、これからの自分を雄弁に語ったらしく、その素直さと熱意が通じ、合格を頂きました。そして、他県の大学で、今まで経験したことのない希望ある寮生活が始まりました。
 
大学に入学した年の夏休みの間に自動車免許を取得し、
「先生を乗せたい!」
と初心者マークを勲章のように張り付けた車で学校に迎えに来ました。
「そんな心配は、ご無用に願いたい!」
と言ってやる勇気もなく、蚤の赤ん坊の心臓の私は、清水の舞台から飛び降りるくらいの蛮勇を振り絞って助手席に座りました。そして、シートベルトを力いっぱい締めました。私の心配は杞憂に終わりましたが、血圧が上がりっぱなしの小一時間でした。
 
しかし、身体が成長するにつれ、自分自身への負担も大きくなったようです。大学に入った年の8か月後に帰らぬ人になりました。その数日前に、身体の異変を感じ取ったらしく、大学の友人に頼んで自宅まで車で送ってもらい、両親に見守られながら泉下の人となりました。
「俺の弔辞を頼むぞ!」
と約束していたのに、逆に彼の弔辞を読む羽目になろうとは。
 
何をするにも、すぐ息が上がってしまう彼の口癖は、
「やおねーんで!」(大変。つらい。面倒ほか)
でした。自らに与えられた病を、親のせいにしませんでした。
「なったもんは、仕方ねえもん。」
と達観したようなことを言いました。一方で、命を粗末にするような事件があると、歯がゆく思うらしく、
「要らん命なら、俺にくれればいいのに。」
と口にしたこともありました。
 
電話をくださった先生は、
「稀有で、印象に強く残る人物でした。」
「私だけでなく、多くの先生方が、懸命に彼と一緒に戦いました。」
とおっしゃいました。奇跡のような時間は、多くの方々とご家族のサポートのお陰だったと思います。
 
合縁奇縁とか言いますが、今、私がD君の事を書くのは、四半世紀もの時を経て、一人の老医師の心に甦った彼の事を、その教育のバトンを受け取った者の一人として文字に残しておきたいと考えたからです。社会福祉の道の勉強に勇躍歩を進めながらも夭折した彼を懐かしみ、愛おしみ、心から誇ろうとして。


※画像は、クリエイター・くさだ やすしさんの「彼岸花とナミアゲハ」の1葉をかたじけなくしました。お礼を申し上げます。蝶が私か、私が蝶か。故人をしのんでいます。