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No.920 夢にも思わなかった!

寝ている間に夢を見ますか?人は、どうして夢を見るのでしょう?
万葉人たちは、こんな歌を残しています。
 
『万葉集』巻11、2812・2813は相聞歌で、ともに作者不詳の歌です。
2812「我妹子に恋ひてすべなみ白たへの袖返ししは夢に見えきや」
(あなたのことが恋しくてたまらず、袖を折り返して眠りましたが、その夢をご覧になりましたでしょうか?)
2813「わが背子が袖返す夜の夢ならしまことも君に逢ひたるごとし」
(あなたが袖を折り返し眠った夜に、私が見た夢に違いありません。夢ではなく、本当にあなたに逢ったようでした。)
奈良時代の頃には、このように袖を折り返して寝ると相手の夢に現れると言うまじないか、俗信があったようです。
 
同じく『万葉集』巻12、2874番は、これも作者不詳ですが、
2874「確かなる使をなみと心をぞ使に遣りし夢に見えきや」
(確かな使いを持たないので、この私の心を使いにやりました。夢に見えたでしょうか?)
という、いじらしいような、素朴で正直な歌もあります。誰かが思っているのだ、だから相手の夢に現れるのだと信じられていたのでしょう。夢という不思議な生理現象を、フロイトよろしく(?)分析していた万葉人の心が歌に見えます。
 
一方、『万葉集』巻4、490番は、吹芡刀自(ふふきのとじ、伝未詳の女性)の歌で、
490「真野の浦の淀の継橋心ゆも思へや妹が夢にし見ゆる」
(真野の浦の継橋のように切れ目なく思っているからだろうか、夢に彼女が現れるよ。)
また、『万葉集』巻12、2937番は、作者不詳の歌ですが、
2937「白栲の袖折り返し恋ふればか妹が姿の夢にし見ゆる」
(白栲の袖を折り返し、恋い焦がれ寝たせいか、彼女の姿が夢に出てきた。)
とあるように、自分が強く思い込んだり、袖を折り返してまじなったりしたから、自分の夢に見ることが出来たのだと言う歌も見られます。
 
『古今集』巻12・恋二・552番~554は、一連の小野小町の歌ですが、
552「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを」
(思いながら眠りについたので、あの人が夢に現れたのだろうか。もし夢とわかっていたなら夢から覚めなかっただろうに。夢とは知らず、目が覚めてしまったよ。)
『古今集巻』12・恋二・554番にも、
554「いとせめて恋しき時はむば玉の夜の衣を返してぞ着る」
(貴方を恋しくて仕方がない時は、夜の着物を裏返しにして眠るのです。)
とあり、万葉人のように、自分の夢に見るために積極的にまじない、強く念じて寝る姿も見られるのです。現代人が、パジャマを裏返して寝ると恋人の夢が見られる(古いか?)というのも、この昔の人々の心を正統に受け継いだものでしょう。
 
これに対して、江戸末期に現れた「都々逸」作者の視点には驚かされます。
「夢に見るよじゃ惚れよが薄い真に惚れたら眠られぬ」
これにはウーンと唸りました。「都々逸」は男女の機微を7・7・7・5の世界に詠みこんだ「情歌」と言われますが、鋭く真理を突いているように思います。ホントに眠れなくて困るのが「恋」でしょうか。
 
あなたは、ゆうべ眠れましたか?


※画像は、クリエイター・「JO|32歳の、暇つぶし。」さんの、タイトル「Photo.」(幸せな、夢の中。)をかたじけなくしました。1200~1300年前も、ネコはいたのでしょうか?お礼申し上げます。