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No.1350 ありがたや?

『古今著聞集』は、文学者の橘成季(たちばなのなりすえ、生没年不詳)によって1254年(建長6年)に編纂された世俗説話集です。主に平安中期から鎌倉初期までのお話が収集されているわけですが、とにかく強盗が怖すぎるんです。でも、不安至極で準備しすぎると大失敗することもあるようです。

その『古今著聞集』巻第十六に、笑うに笑えないこんな強盗対策のお話があります。

 「縫殿頭(ぬひどののかみ)信安といふ物ありけり。世の中に強盗はやりたりける比、もしけ(家)さがさるる事もぞあるとて、強盗をすべらかさむ料(れう)に、日くるれば、家にくだといふ小竹のよ(節)をおほくちらしをきて、つとめてはとりひそめけり。ある夜、まい(ゐ)りみやづかひける公卿の家ちかく、焼亡のありけるに、あわてまどひて出(い)づとて、そのくだの小竹にすべりて、まろびにけり。腰を打折て、年寄りたる物にて、ゆゆしくわづらひて、日数(ひかず)へてぞからくしてよくなりにける。いたく支度の勝れたるも、身に引かづくこそをかしけれ。」

日本古典文学大系『古今著聞集』「561 縫殿頭信安強盗を制せんが為家に竹の節を散らし近火に周章転倒の事」P440より

(縫殿の長官に、信安という人がいた。世間に強盗がはびこっているころ、もしや強盗に入られて家捜しされる事があるかもしれないと思って、強盗を滑り転がせるために、日が暮れると、家に小竹を多く散らして置いて、翌朝は片付けていた。ある夜、ご奉公している方の家の近くに火事があり、あわてて外へ出ようとして、その小竹にすべって、転んでしまった。腰を打ち骨を折って、年をとっていたので、ひどく苦しんで、日数が経ってやっとのことで良くなった。あまりに用心して支度し過ぎても、逆に我が身にひっかぶるとは滑稽なことである。)

「過ぎたるは、猶及ばざるが如し。」
の格言が、どこかから聴こえて来そうなお話です。用心のあまり、準備万端怠りなくと思っていたことが、却ってアダになってしまうなんてね!程度が、なかなか難しいんです。

しかし、私は、(藤原?)信安の心情の方に肩入れしたくなります。お世話になっている主(公卿)の家近くに火事が起きたのですから、「すわ、一大事!」、少しでも早く駆けつけて何か役に立ちたいと逸る気持ちが、「強盗対策に自ら撒いておいた小竹」の事を考える間を与えなかったのでしょう。自分で仕掛けた罠に、まんまと嵌ってしまうという悲しい顛末でしたが、主人思いの愛すべき男なのです。愛すべき年寄りなのです。

そして、そんな一大事は、火事に限らず自然災害等々、私たちの身辺にもあふれています。私自身も自覚していますが、歳をとると咄嗟の判断が遅れたり迷ったり、後先を考えられなくなることがあります。

「ご注意召されよ!」
と身を挺して苦痛を体験した信安の有り難い声が聴こえてくるようにも思うのです。


※画像は、クリエイター・「いろいろ書くちー@糸と筆の人 ちづる」さんの「筆文字で書いた言葉です。 誰かの心に響けばいいなと思っています。」という説明の1葉をかたじけなくしました。お礼申し上げます。