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No.1082 心にチクリ!

勿謂今日不学而有来日(いふなかれ 今日学ばずして来日ありと)
勿謂今年不学而有来年(いふなかれ 今年学ばずして来年ありと)
日月逝矣歳不延我  (日月逝きぬ 歳 我を延ばさず)
嗚呼老矣是誰之愆  (ああ老いたり これ誰のあやまちぞや)
 
「今日学ばずに明日があると言うな。
 今年学ばずに来年があると言うな。
 時が流れても歳が延びる事はない。
 ああ私も年老いた。一体誰のせい?」
 
10年も前のことになりますが、机を整理していたら、紙切れが出て来ました。それが、この中国の詩でした。作者を調べたら、近世儒学(宋学)の大成者と言われる南宋の朱熹(朱子、1130年~1200年)の詩でした。『古文真宝』(中国・漢代から宋代までの詩文集。宋末か元初の成立?黄堅の編。)が出典とあります。「勧学文」の初めの詩だとか。
 
その内容から察するに、私が退職間もない頃にメモっておいた詩だったのではなかろうかと思います。
「老いを嘆くが、過ぎた時間は誰にも同じ、どう生きたかは己の責任だ。」という結句が、撓る笞のように心に響いてきます。
 
ところが、研究者の八重樫 一氏によると、

「言ってはならない、今日学ばなくても明日があるさ。朱熹が18歳のときの詩だそうです。」

                出典:福島みんなのNEWS「今日の四字熟語・故事成語」No.2635【謂う勿(なか)れ 今日學ばずして來日有りと】『勸學』朱熹より

という驚きの説明がありました。「18歳」は誤植では?と疑いたくなるほどの詩の世界だと思うのですが、実際はどうだったのでしょう?

「歳月不待人」(陶淵明)、「光陰者百代之過客」(李白)、「人生七十古来稀」(杜甫)などの名言は、耳に痛いほど染み付いています。また、「少年易老学難成 一寸光陰不可軽」という漢詩は、朱熹(朱子)の「偶成」の一句だといわれて来ましたが、近年では、室町前期から中期の臨済僧、惟肖得巌(いしょうとくがん、1360年~1437年)の作だとされているそうです。ヘーボタン乱打です。

うかうかしている間に時が経ってしまいます。定年退職して今年は10年目ですが、「まさにその感あり。」といったところです。一枚の紙切れが、心にチクリと棘を刺しました。
 


※画像は、クリエイター・ラッキー ZOEさんの、タイトル「老~い、お茶」の1葉をかたじけなくしました。「老いではない変身だ!」とは、言いえて妙。お礼申し上げます。