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No.1413 邂逅い

鎌田實(1948年~)という地域医療のエキスパートがおられます。その彼は1歳10カ月で個人タクシー業の養父と養母に育てられることになりました。真面目にコツコツと働き、病弱な妻の入院費を稼いで、一切、贅沢はせず、妻と實さんのために生きた人だそうです。その父と鎌田さんのお話です。

 ぼくの母は、病弱な人でした。その姿をずっと見てきたぼくは、医者になることを志すようになりました。しかし、父は「貧乏人は働くもんだ」と、大学進学を許そうとはしませんでした。高校三年になった十八歳の春、泣きながら頼みましたが、逆に打ちのめされました。それでもあきらめきれなかった。夏になり、また父にお願いしました。
 「バカなことを言うな」。父がそう言った次の瞬間、僕の両手は父の喉元にありました。しかし、首を締めることはできませんでした。それから二人して長い時間泣きました。最後に「応援はできないが、お前の好きにしろ。貧乏な人間がどんな思いで医者にかかるか忘れるなよ」と言ってくれたのです。
 今の僕があるのは、あの時まさにあきらめなかったからです。同時に、父が壁のように立ちはだかってくれたおかげだと思います。物わかりのよい親だったら、僕は「人の心がわかる」と言われる医者にはなれなかったでしょう。ああいう父親だったからこそ、こんちくしょうと思いながら本を読みあさり、自分の苦しさや悲しさと向き合えました。そして、壁のように立ちはだかる父に、あきらめずにぶつかっていった。その経験が、結局はぼくの宝物になったのです。

中学校新聞の紹介記事より

随分前に生徒対象の新聞で私が紹介したお話なのですが、それが本からなのか、ネットの記事からなのか、出典は分かりません。それでも、ご本人がいろんな場所でいろんなお話をされている内容と齟齬はなさそうです。

養父岩次郎さんのことを書いたこんな記事を見つけました。その抄出です。

鎌田さんは、養父のふるさとを訪ねた。
岩次郎さんは、津軽の出身だった。
青森県南津軽郡山形村(現在の黒石市)。
そこで、岩次郎をよく知る人から、
こんな話を聞いたという。
タクシーの深夜から早朝の勤務が終わった後、
岩次郎さんは、息子の寝顔をみて、
津軽弁で話しかけるのが、日課だったという。
「今日も、サガシグ(かしこく)していたか?
 今日も、メゴコ(おりこうさん)でいたか?」
そして、その日の仕事の終わりに
1本のビールを飲むのが、岩次郎さんの
唯一の楽しみだったという。

「沖縄ドリームタイム日記」(2012年2月1日記事)より

一時期は養父を呪った鎌田實さんですが、養父の岩次郎さんとは出会うべくして出逢った「運命の人」だったのだなと思いました。「産みの親より育ての親」とか…。天のなせるわざか、二人が磁石のように引き合う何かを持っていたか、不思議な邂逅いとその人生に、ただただ胸を打たれるのです。 養父岩次郎さんは、自慢の息子を置き土産として88歳で亡くなりました。


※画像は、クリエイター・穂高 岳さんの「田舎の春の風景に癒されます。」の1葉をかたじけなくしました。養父岩次郎さんは、ひょっとしたら鎌田實さんの「道祖神」だったのではないかと思いました。お礼を申し上げます。