見出し画像

No.1134 まいふぇいばりっつ!

今でこそ「肝に毛が生えた」ように厚顔な私ですが、大学時代は十二指腸潰瘍になるくらい体型も精神もほっそりしておりました。胃がお腹の中でプカプカ浮いたような不快感、吐き気に襲われ、週に2回も点滴を打ってもらって何とか生きていました。
 
大学の尊敬するО先輩が、
「家庭教師なんかやめて、身体を動かしたら?一緒にビル掃除しようよ。」
と誘ってくれました。
 
ビルは、赤坂見附にありました。上階から1階まで毎日3時間、机上やダイヤル式電話の拭き掃除、ゴミ集め、床磨きに徹しました。休憩は1回、20分だけでした。でも冷や汗ではなく、気持ちの良い汗をかきました。
 
そのアルバイト先で、大山さんという「東京のおっ母さん」と呼べる人が出来ました。大山さんは、掃除婦(夫?)の責任者であり、小柄な50代であり、しっかりした模範的な働き者でした。いい加減な掃除や怠惰な姿を見つけたら、年上の女性だろうが男性だろうがハッキリ意見を言って改めさせる厳しさがありました。しかし、根の温かい人柄が慕われていました。
 
その彼女は、私が胃弱の下宿生だと知った翌日から、仕事が終わる午後9時半の別れ際に、何度も
「これ、晩御飯のおかずにしなさい。」
とタッパーに詰めた母親の味を持たせてくれました。その懐かしいような味と包容力のある存在に、どれだけ励まされ癒されたか分かりません。お陰さまで、心にしこりのように感じていた重苦しかった胃が、いつの間にかすっかり良くなっていました。
 
大山さんは茨城、私は大分と、地理的には遠い存在となりましたが、大学を卒業して30年以上が経っても、細々とながらお付き合いをいただきました。
 
2005年(平成17年)だったか、
「週に3日はデイケアサービスを受けています」
という80歳間近の大山さんが、
「良かったら、使って!」
と牛乳パックを使った紙工芸の「ペン立て」を送ってくれました。52歳の私を感激させるに十分な、手作り感満載の温かい作品でした。人の出逢いの機微を、人生の不思議なご縁をしみじみと感じました。

冒頭に掲げた画像は、今も使わせて頂いている、大山さんのお手製になるそのペン立てです。既に19年目、すっかり色褪せてきましたが、使い勝手がよく、私のお気に入りです。