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No.781 さびしそうな耳たぶ…。

「豆腐屋の四季」と聞いて、中津市在住の小説家だった松下竜一(1937年~2004年)を思い出してくださる方は、もう少ないかもしれません。
 
自費出版した歌集『豆腐屋の四季』(1968年)が、翌年、朝日新聞社から公刊されるや、自伝的小説『豆腐屋の四季 ある青春の記録』をもとにして、『豆腐屋の四季』(1969年、大阪朝日放送制作)がテレビドラマ化されました。豆腐屋の父親役は藤原鎌足さん、竜一役には緒形拳さん、その恋人であり奥さんとなった洋子役には川口晶さん、そして、拳さんの弟役は、林隆三さんが演じました。
 
原作は、大分県中津市で豆腐屋を営んでいた父の家業を手伝いながら、弟たちを養うために大学進学の道をあきらめて、病弱にもめげず和歌への思いを秘め、ひたむきな愛情を育みながら仕事をやり抜くという悩み多き青春ドラマです。
 
松下さんは、その後、豆腐屋を廃業し、ルポルタージュ活動をし、反公害・反開発運動へと人生の仕事の舵を切りました。1975年前後の頃だったと記憶しますが、日田市で松下さんの講演会があり、聴きに出かけたことがあります。
 
自らの生い立ち、家業の事、高校卒業後に大学合格した同級生たちとすれ違い、隠れるようにしてやり過ごしたこと、ルポルタージュ「風成の女たち」のこと等ジョークもなく静かに淡々と話しておられたことを思い出します。
 
そんな中、彼の言った一言がいつまでも忘れられませんでした。
「耳たぶをつまむと、妙に心が休まります。」
頭の中がカッカしていても、耳たぶだけは理性的で冷静で、触ると熱を奪う心地よさがあります。ふと、自分を客観視するきっかけを与えてくれる身近にある大切な持ち物です。
 
私は、その10年後に父親となり、時々、寝ている子供の枕元に行き、搗きたての餅のように柔らかいその耳たぶを触りながら、心の休まるひと時を過ごさせてもらいました。
 
その長男の息子は、赤ん坊の頃に親たちの耳たぶを触るのが大好きでした。あんなに柔らかくって、気持ちよくって、抱かれた時に一番近くにある「優れもの」の価値に気づいてしまったなんて、素晴らしい感性です。ジジ・ババの区別なく触ってくれる孫のファンでしたが、そんな彼も、今や立派な小学1年生。私の耳たぶは、寂しそうにしています。
 
「きさらぎの耳朶やはらかく水鳴りて」
俳人・加藤耕子(1931年~ )


※画像は、クリエイター・Atsushi Oshioさんの、タイトル「こころが読めるのですか」をかたじけなくしました。お地蔵様の福耳、惹かれます。お礼申します。