No.701 あなたの線は、どんな線?
9月13日から9月19日まで大分県立美術館OPAMで「線と線 ―(故)阿部久子と戸口勝山の書―」という書道展が行われるはずでした。県書道界の重鎮の作品展ということで、私は最終日の訪問を予定していました。ところが、あの大型で猛烈な台風14号のために18日・19日と閉館になり観に行けなくなってしまいました。
大変残念に思っていたら、19日付「大分合同新聞」の「灯」の欄に、県を代表する書家のお一人である牧泰濤先生が、この書展の出品者・戸口勝山先生の「書の線」について寄稿されました。その文章に打たれるところ多く皆様にご紹介する次第です。曰く
7月ごろ、まだ制作中だと言ってたのに9月には見事に大小の勝山流作を開陳。たゆまぬ追求心と知と技で仮名の線質を持った漢字形と書体を確立したとみた。その一作一作に「線は生きもの」「線は魔物だ」と自分の言葉、苦悩を書作していたことに強く感動した。氏の作品は渓谷と潺々(せんせん)の気が満ちていた。
線とは何か。線は単に引くのではなく、点は打つのでなく、書くのである。生身の人間が書くのだから一点一線とて同じ形状はできない。ここに「書の一回性」という前提がある。
また線は点の連続ともいうが、途切れ途切れの中に気脈があったり、厚み(味)があったりして初めて書線となる。戸口氏は師小坂奇石の教え「線の行者たれ」を常に忘れなかったといえる。
書線を例えるなら、笹(ささ)や槙(まき)の歯の形状をした曲直長短が仮名書線。その平板の上に厚みがあるのである。豆の莢(さや)の形、つまり軽やかなタッチの中に変化ある線を追求してやまないのが書作家の宿命である。
その長年の取り組みの上にも、いまだ魔物だ、生きものだと苦悩し、未到の境という氏の向後の線の正体会得の健筆を祈ってやまない。
ところで君はどうかと問われれば、「滔々(とうとう)とした大河、刀豆(なたまめ)のごとき線を求めて」楽しく書いて楽しく生きています。
(書道家・国東市)
書をたしなんだことのない私も、黒板に文字を書きます。自分の文字の「線」については無手勝流でやってきましたが、「読める線」としてではなく、「より伝わる線」を書ける自分でありたいと教えられました。心がじわりと誘って行かれるようなすごい文章でした。「滔々とした大河、刀豆のごとき線を求めて」とは、何たる形容でしょう。
書道展には行けませんでしたが「私の線」なるものを意識して生きたいという欲を70歳間近の今頃になって持ち始める始末。お笑いください。
※画像は、クリエイター・桜りりこさんの、タイトル「〜笑顔のあなたに会いたくて〜」をかたじけなくしました。線の妙を感じます。お礼申します。