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No.536 巨人、大鵬、卵焼き

この言葉の生みの親は、作家の堺屋太一(1935年~2019年)さんだそうです。堺屋さんが通商産業省(現、経済産業省)の官僚だった1961(昭和36年)度の記者会見の席で述べた、
「子供たちはみんな、巨人、大鵬、卵焼きが好き」
の言葉が広まるきっかけになったと言われています。
 
プロ野球では、読売巨人軍が、川上哲治監督のもと長嶋茂雄や王貞治選手らを擁して日本シリーズを制覇したのが1961年(昭和36年)のことでした。又、日本シリーズ9連覇を成し遂げたのが1965年~1973年にかけてでした。我が家には野球ファンはいませんでしたが、友達の男の子たちの多くは、巨人軍選手でサードで背番号「3」を夢見ていました。早朝も、昼休みも、放課後も草野球に興じました。遊んでばかりいて先生の逆鱗に触れ、「野球禁止」と言われた時が一番堪えた小学校時代でした。
 
1961年といえば、当時、私は小学校2年生でしたが、今も記憶に残っていることがあります。我が家は、まだラジオの生活でした。大相撲の生放送を爺ちゃんのとなりで一緒にごろりと横になって聞いていた時に、尋ねてみたことがあります。
「爺ちゃん、誰が強(つい)いん?」
「そりゃ、大鵬じゃ!」
と祖父は即座に答えました。
 
大鵬は、1960年(昭和35年)1月場所で新入幕を果たすと、7月場所で新小結に昇進して11勝4敗、9月場所では20歳3ヶ月で当時最年少の新関脇となりました。そして、11月場所には13勝2敗の成績、しかも20歳5ヶ月という若さで幕内最高優勝を達成し、場所後には史上最年少で大関へ昇進しています。入幕した年に大関昇進を果たしたスピード出世力士は、大鵬だけかもしれません。そして、柏戸と共に「柏鵬時代」を作った大鵬は、国民を熱狂の渦に巻き込みました。
 
「巨人・大鵬・卵焼き」の言葉は、昭和40年代前半~昭和45年頃の日本の高度成長期が生んだ高揚感ある流行語であり代名詞だったように思います。ある意味、上昇志向の幸せの絶頂期を意味する言葉だったかも知れません。その20年~25年前に、太平洋戦争の渦中にあったことなど想像もつかない繁栄ぶりは、戦後復興にかけた日本人の矜持のたまものでした。

ここ数年のコロナ禍により、日本だけでなく世界中が社会構造を迫られ、働く場が失われ、閉塞感の漂う時代が続いています。かてて加えて、欧米を巻き込む様相の紛争は、世界の国々に深刻な物資不足や物価の高騰を招き始めています。領土侵攻に端を発した国と国との闘いは、一歩も引かぬことを是とし、多くの兵士や市民の命が失われ、危機にさらされています。どちらかの勝利や凱歌で決着するのではなく、「両方の国民の幸せを希求する」ことを最終目標にテーブルについて欲しいと願う者です。民の無い国などないのですから。