No.589 人は二度死ぬのでしょうか?
「風樹の嘆」とは、親孝行をしようと思い立った時には既に親がなく、孝行をしたくともできないという嘆きのことだそうです。『孔子家語(けご)』は、『論語』に漏れた孔子の言行や門人との問答などを集めたとされる古書で10巻ありますが、その巻2に考えさせられる次の話があるそうです。
書き下し文…「孔子、斉に適(ゆ)く。哭する者の声を聞く。その音甚だ哀れなり。『此の哭、哀なることは哀なり。然れども喪者の哀にはあらざらん。』異人有り。鎌を擁し、索を帯ぶ。哭すること衰へず。『子(し)は何びとぞや。』『吾は丘吾子(きゅうごし)なり。吾に三失有り。晩にして自覚す。これを悔ゆとも何ぞ及ばんや。』『三失は得て聞くべきか。』『吾、少時に学を好みて天下を周徧せり。後、還りて吾が親を喪す。これ一失なり。長じて斉君に事(つか)ふるに、君驕奢にして士を失ひ、臣節遂げず。これ二失なり。吾、平生交はりを厚くするに、今みな離絶せり。これ三失なり。それ、樹は静からんと欲すれども風停(や)まず。子は養はんと欲すれども親待たず。往きて来たらざるものは年なり、再び見るべからざるものは親なり。請ふ、これより辞せん。』遂に投水にして死せり。『小子これを識(し)るせ。これ戒めと為すに足れり。』これより弟子(ていし)の辞帰して親を養ふ者、十に三有り。」
口語訳…「孔子は斉の国に行った。その途中、悲しみに泣く声が聞こえてきた。その声はあまりにも哀切である。孔子が『あの泣き声の哀切なこと、まことに哀切だ。だが、あれは亡くなった人を弔う哀しさではなかろう』と言った。少し行くと、変わった男がいた。鎌を腰にさし、縄を帯にしていた。その泣き声は少しもおさまらない。孔子が『おまえさんは、どうしたんだい?』と尋ねると、男は、『私は丘吾子と言います。実は、三つの取り返しのつかないことがあって、この年になってようやく気付きました。いまさら悔やんでも仕方がありません。だから泣いているのです』と答えた。『その三つの取返しのつかないことを、教えてもらえるかな?』と孔子が聞くと、丘吾子が『私は、若い頃、学問をしたいと思い、天下を経めぐりました。しかし、その間に両親が死に、帰郷して喪に服することしかできませんでした。これが取り返しのつかないことの一つ目です。成人して、私は斉侯に仕えましたが、主君は奢侈を好み自尊心が高く、下臣の心を得られず、また私も途中で辞したので、臣下の者としての義務を果たせなかったことが、取り返しのつかないことの二つ目です。私は、普段、友人たちと厚情を交わして来たつもりでしたが、今になってみると、みんな私から離れて行ってしまいました。これが取り返しのつかないことの三つ目です。樹が静かになろうとしても、風が止まないのでは仕方ありません。子が親の世話をしたいと思っても、親は年老いて待ってはくれません。行ってしまい、戻ってこないのは年月というものです。二度と会えないのは父と母なのです。それでは、これでお別れです』と言うと、にわかに川に身を投げて死んでしまった。『弟子たちよ、今の言葉をよく覚えておきなさい。これは、生き方の戒めとするのに十分足る言葉だぞ』と孔子は言った。この後、弟子たちのうち十人中の三人が、親の世話をしたいと故郷に帰って行った。」
孝行をしたくても親のいない嘆きを風に乱される樹木の動揺に見立てているのでしょうか?いずれにせよ、親の生きているうちに孝行はすべきだと言っているのでしょう。「孝行をしたい時に親は無し」とは、古今東西の人間の永遠の真実のようです。
とは言え「言うは易く、行うは難し」です。「いつまでもあると思うな親と金」だと分かってはいても、「いつか」が「無期限のいつか」にかわり、ついつい親の存在に甘え、孝行の方は先送りして自分のことにかまけてしまいがちになるのです。丘吾子は、そのことを恥じる以上に悲しみ、命を絶つに至ったわけですが、孔子は、丘吾子に「生きて供養することが孝行になるのだぞ」と教えてやれなかったものでしょうか?「命を粗末にするのは親への孝ならずだぞ」と諭してやれなかったものでしょうか?このお話に、釈然としない私がいるのです。
かわりばえのしない毎日が当たり前すぎて、目の前のその幸せに気づかないものです。「平凡こそ非凡」であり、「平凡は奇跡の連続」だとする先人の教えがしっくりきます。神が細部に宿るように、幸せもそこここに宿っていることは論をまたないことなのに、それは超自然の真理なのではなく、平凡で退屈なだけだと勘違いしているのでしょう。
私もカミさんも既に両親を亡くしました。菩提を弔ったり墓掃除をしたりすることで孝行のまねごとをさせて貰っています。そして、元気なころの両親の思い出話をする事も忘れずに続けたいと思っているのです。
「人は二度死ぬ。一度目は命がなくなる肉体的な死、二度目は人々の記憶から忘れ去られる精神的な死。」
と言ったのが、永六輔か松田優作か、それとも他の誰かは知りませんが、言い得て妙です。永遠の命が授けられる歴史上の人物は世界中にいるでしょうが、私たちは、有限です。その命のある限り、父や母の記憶の火をともしたいと思うのです。