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No.820 SFの意味

1970年生まれの小説家・三崎亜記氏は、久留米市役所職員でしたが、2004年(平成16年)に『となり町戦争』で第17回小説すばる新人賞を受賞して作家デビューし、2006年から専業作家になったそうです。その作風は、「風刺的で不条理」であり、「抒情的な空想世界」を描くことを得意としているそうですが、中学・高校の国語の教材としても人気のある作家の一人です。

それ以前の「精選国語総合」でも、2022年度よりスタートした新「高等学校学習指導要領」の国語の「言語文化」でも採られているのが、「ゴール」という短編小説(ショートショート?)です。日常のように見えながらも、何か行き当たらなくて、どこかもどかしい迷宮の世界、不思議で奇妙な世界にいざなわれてしまった感のある作品です。

主人公は、間口の狭い店が密集する裏通りの、建物が撤去されたらしい細長い空間で、「ゴール」と横断幕に書かれた隣で、退屈そうに頬杖をついているアルバイトの女の子に出くわします。

主人公が、「ゴール」って何なのだろうと思って女の子に問いかけると、
「さあ、ゴールする人は知っているんじゃない?」
と摩訶不思議な答えを口にします。もう、「不思議の世界へようこそ!」と女の子に両手を広げられているような気分です。しかも、ずっと同じ場所で待っているわけではなくて、「ゴール」は移動するというのです。なんですとぉ???

1週間後、女の子と「ゴール」は、どこかに移動してしまっていました。主人公がふと気づくと、「ゴール」を探してやって来た男がいます。ゴールがどこか別の場所に移動してしまったことを知ると、彼は、ただじっと「かつてゴールであった場所」を見つめつづけるのです。
「これから、どうされるつもりですか?」
「もちろん、新たなゴールを目指します。」
と、当然のように鞄を抱え直して、次のゴールに向けて旅立つのでした。

もう、読んでいた私の頭の中から「?」マークがいくつもこぼれ出てしまいそうです。

とはいうものの、誰にも目標とする「ゴール」はあり、捜してもいると思います。人生とは、終わりなき「ゴール」への旅であり、ひたすら追い続けるものなのかもしれません。

何かつかみどころのない不可解な感覚ながらも、たどり着いたと思ったら、もう次のゴールに姿形を変えていたというようなゴールがあることやあったことを、私たちは経験的に知っています。

あるいは、芸術家や求道家たちが時に口にするように、納得のできる「ゴール」は永遠にないのものなのかもしれません。努力し続けてもたどり着けない境地なのでしょう。

人間なればこそ(あれ?AIも「ゴール」を認識しながら頑張れるのかな?)の「ゴール」の設定は、時に歓喜や絶望を生み、時に永遠のテーマとしてのみ存在するような深遠さもはらんでいるように思えます。
 
「三崎さんの小説って、SFですね」
と大阪の某書店の書店員さんからご本人に言われたことがあるそうです。
「サイエンス・フィクションじゃなくって、『少し、不思議』の頭文字のSFです」
 
失礼ながら、思いっきり笑ってしまいました。
「書店員さん、座布団5枚!」
と私は声を上げたく思いましたが、当の三崎さんは「うん、言い得て妙だ」とご納得。
 
その三崎氏は、その名言を踏まえて、こんなふうに自らの「SF」を分析しています。
「私の小説の基本は、どこにでもある日常だ。そこに『少し、不思議』なものが入り込んでしまったからこそ、日常に大きな歪みが生じてしまう。その結果、私たちの日常そのものの『歪み』が炙り出されてくる、という仕掛けだ。
『そんなの、不可能』の頭文字になってしまうんじゃないかという危惧がないでもない。
『素敵な、ファンタジー』になるかどうかは『すこぶる、不安』なんだけれど、『それでも、奮起して』、『締め切りギリギリまで、踏ん張る』しかない。」
 
その三崎氏の指摘「SF」論のご開陳に、やられちゃいました。
「すっかり、ファン」になってしまった私です。


※画像は、クリエイター・鐘井ユウ🦉NFT Holder🥷🏯CNPLOVE❤️さんの、タイトル「デジタル片付けをして本当の自分を取り戻そう」をかたじけなくしました。お礼を申し上げます。