見出し画像

No.1384 時は金なり?

先日、高校生の弁論大会を視聴する機会を得ました。
その中の一人の弁士の演題は「八万六千四百円」という興味をそそられるものでした。

中学時代に2か月も不登校中だった彼に
「もう、そろそろいいんじゃないか?」
と声を掛けてきたのは、部活動の先生だったそうです。その先生が、久しぶりに登校した彼に語ってくれたのが、「八万六千四百円」のお話でした。

「今な、毎日、86,400円をもらえたらどうする?ただし、
 ○全額、その日のうちに使い切らないといけない。
 ○貯めることは、一切できない。
 ○もし遣いきれなければ、残りはその日のうちに消滅する。
という条件付きだ。さあ、どう使うかな?」
と言うのです。それだけの大金を365日使いこなせと言うミッションです。中学生には大金であり、容易なことではないだろうと想像しました。

私だったらどうするかな?毎月8万円分もの本を買えたなら、私設図書館ができるかな?などと、頼まれもしないのに、妄想を逞しくながら弁論を聴いていました。

すると、先生は、
「実はこれは、お金ではなくて、1日のこと。
24時間×60分×60秒=86,400秒になるんだ。
それは、お金と同じくらい尊い時間で、二度と戻らない。それをどう使うかだな。」
というような話をしてくださったそうです。

彼は、自分が2か月も休み、70万円以上ものお金を無駄にしていたんだなと考えたのだそうです。「時間は、自分への最大限の投資」かも知れないと気づいた彼は、与えられた時間をどう過ごすのか、ちゃんと考え始めるようになったと言います。そして、何度か誇るように先生のお名前を挙げました。

その話から、私は「機縁」というものを感じました。何度言っても聞く耳を貸さない人でも、状況次第でスーッと心に染み込むことがあります。部活動の先生は、喉の渇していた彼にとって、生き返るような水を与えてくれた方なのでしょう。

私は、初めて聞いたお話だったので大変感動したのですが、ネットで調べてみたら、14年も前に既にアップされているお話でした。
「86400円の神様からの贈り物」(能力開発センター 2010年8月12日)
と言うのがそれです。受験生にビンビン響くプレゼントだったと思います。

その初めに言った人の名前も出典も分かりませんでしたが、お金は使い切ることが出来ても、時間を使い切るというのは、なかなか難しい事のように思われます。使い切ることばかり考えるのではなく、時には足踏みしたり、休んだり、楽しんだりしながら、残りの人生を過ごしたい。彼から課題を与えられたような気のする弁論でした。


※画像は、クリエイター・アキランカさんの「新紙幣」の1葉をかたじけなくしました。お礼を申し上げます。今はもう、すっかり生活になじんでいますね。