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No.764 長い余韻がありました。

轡田隆史(くつわだたかふみ、1936年生まれ)さんは、ジャーナリストで、浦和高校から早稲田大学へ進学後もサッカー選手としてプレーを続けたというスポーツマンでもありました。

1959年(昭和34年)に朝日新聞社に入社し、52歳から朝日新聞の論説委員も務めました。「ニュースステーション」や「スーパーJチャンネル」などにも、キャスターやコメンテーターとして出演し、柔らかな口調で時代を斬り、お茶の間に日本のありようをかみ砕いて説明してくれました。
 
その人の、こんな文章を読みました。
「1.心遣いを忘れない
東海道新幹線の通路側の席に座っていたとき、前の席の客が、遠慮がちに顔をのぞかせて、小声でこう話しかけてきた。
『あのう、すみませんが、背もたれを少し倒してよろしいでしょうか?』
二十歳ぐらいの女性だった。ちょっとびっくりして、『どうぞ』と答えると、『ありがとうございます』と礼を述べられた。
やがて背もたれは、ゆっくり静かに、まるで恐縮でもしているように倒れてきた。
いきなり、バタンと倒れてくるのに慣れっこになっているけれど、考えてみると、背もたれは、前後二人の乗客の共有物ではないか。
せめて、静かに、遠慮がちに倒すぐらいの心遣いはしたい。ぼくはそうしている。」
 
何気ない、新幹線の車内でのありふれた光景ですが、背もたれを挟んだ前と後ろの乗客の心の交流が、背もたれの動きに表れていて心に温かみを覚えます。優しい息遣いです。そのような心を寄せてくれる若い女性をゆかしく思うのは、男だ女だという事に否定的な意見の強い昨今、なじまない考えなのでしょうか?
 
今から12年前の小冊子『PHP』通巻758号(平成23年7月号)「特集 こころに残る 父のこと、母のこと」の中にある、轡田さんのエッセー「心に効く話」(P40)の2つのうちの1つです。

轡田さんは、2022年8月に86歳で亡くなられましたが、この文章は、75歳の時の筆になるものでした。ふと、人柄の察せられるような、流れるように優しい彼の文字を思い浮かべました。私には長い余韻がありました。
 
「心太箸より逃ぐる字の形」
河野薫
カオス的な動きの文字が新鮮、句は斬新。


※画像は、クリエイター・きゃらをさんの、タイトル「ぜつぼう」をかたじけなくしました。お礼申します。