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No.627  今も、耳の奥に残る絶叫

古語に言う「ありがたし」とは、まさに「有り難し」でした。「そうある事が、難しい」。したがって「滅多にないこと」であり、さらに「貴重で尊ぶこと」となり、「感謝」の意味にも変化して行きました。言葉は生きており意味も変遷し、時代を経て求められる姿に磨かれていったのでしょう。
 
よく言われる言葉のQ&Aですが、
問い 「一番美しい日本語は?」
答え 「ありがとう!」
だと言います。恐らく、言葉を覚え始めた幼児に日本の親たちが、いち早く教え込む言葉が、この「ありがとう」ではないかと思います。この言葉には、人が生きる上で大切なコミュニケーションのエキスがあり、他者へのねぎらいや感謝の心が宿っています。
 
2014年(平成26年)11月初旬、亡き義父の家族葬が営まれ、その後、埼玉県越谷市の斎場で荼毘に付されました。喪主である義母と娘二人は互いに抱き合い、腰を支えるようにしながら悲しみの涙にくれていました。
 
いざ火葬炉に義父の棺が納められる直前に、義母が、
「お父さん、長い間有り難うございました!」
と、大きな声で永訣の辞を述べ、深々と頭を下げました。

それは、万感のこもった驚くほど美しい言葉、優しいけれど凛とした姿でした。庭師の夫を半世紀以上支え続けた、戦友とも言える妻の魂の一言でした。その瞬間、私たちの知らない喜びや悲しみの夫婦のドラマがあったことが推し量られました。
 
「趣味が高じて本業となった幸せ者だ」
と自らを評する寡黙な庭師の義父でした。裸一貫で叩き上げた男は、二人の娘を設け、孫5人、曾孫1人を率いました。彼らのおかげで、厳格な父は好々爺に変身しました。
 
「あれ程馬鹿正直でなかったら、もう少し楽が出来たのにねえ。」
義母は、そう言って夫を誇りました。肺病を患い、誤嚥を防ぐ為に胃瘻の手術をし、長く闘病中であった義父が、薬効現れず、献身的な介護の甲斐もなく、力尽きて鬼籍に入りました。晴男の名のごとく、苦しみの中でも笑顔を忘れず、晴天に見送られて浄土へ凱旋しました。
 
庭師の義父が逝ってから、今年で8年目を迎えます。猫の額のような我が家の庭ですが、木々は鳥たちの温床となり、木陰や下草は昆虫のたまり場となって、生き物の命を育んでいます。寡黙な庭師は、小さな命の輝く居場所を遺してくれました。

※見出し画像のクリエイターは、Megu@家庭菜園と刺しゅう好きさんです。縁側に集い、優しく寄り添う家族の温かみが伝わってくる作品です。使わせていただき、ありがとうございます。