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No.1273 ねこのここねこ

私の実家は、鄙びた山村の農家です。子供のころ、牛は農家にはなくてはならない家畜でしたし、家の床下には鶏を飼っていました。また、米や麦を蔵に貯蔵していました。そこで、獣やネズミ対策として犬と猫を飼っていました。今日は、三毛猫のミケのお話です。
 
この子は、ネズミを捕る名手でした。また、蛇にも果敢に挑む「オトコマエ」な雰囲気のメス猫でした。水屋の戸口を、宿屋の女将よろしく両手を当てて引き開くという秘技の持ち主でした。なかなかのやり手で、猫にしておくにはもったいない器量でしたが、残念ながら、戸を閉めることは最後まで出来ませんでした。
 
そのミケに子供が生まれ、座敷で私とじゃれ合っていた55年前のある日、いきなり子ネズミが現れ、襖の隅っこを忍者のように走りました。その時、飛び上がって驚いたのは子ネズミではなく、歴戦の勇女ミケの子ネコの方でした。それを観て飛び上がるほど驚いた(大分弁では「たまがった!」)のが、この私でした。狩猟のDNAを失った(?)「新猫類」の出現に、ニャンともいえぬ「種の法則の破綻」を感じたからです。
 
とはいえ、その子ネコが数か月で死んでしまった時のミケの姿が忘れられません。じっと傍に寄り添って、一日中伽(とぎ)をしていました。何度も顔や体を舐めたり、反応を見るように前足で触ったりするのですが、冷たくなった骸がこたえることはありませんでした。生き物の情というか親子の愛というかを、無言の振る舞いが雄弁に語っていました。
 
その母猫ミケは、実によくネズミを捕まえましたが、食べているのを見た記憶がありません。「食べるな。危険!」のプレートが鼠の首に提げられていたとも思えません。ただ「とったどー!」と言わんばかりに、誇らしげに見せに来て、主人に甘えようとしていたような気がします。なかなか、ういやつでした。
 
鎌倉時代中期の説話集『古今著聞集』(橘成季、1254年)巻二十「魚虫禽獣第三十」に、こんなお話があります。
「或貴所の飼猫鼠雀等を取るも喰はざる事
 或(ある)貴所に、しろねといふねこをかはせ給(たまひ)ける。その猫、鼠・すずめなどをとりけれども、あへてくはざりけり。人のまへにてはなちける、不思議なる猫也。」(日本古典文学大系『古今著聞集』687話)
 
「しろね」という名の白猫だったのでしょう。捕ってきても食べずに、人に見せたと言います。「不思議なる猫」とありますから、一般的に、猫はネズミをよく食べていたのでしょう。今と昔では飼い猫と言っても食糧事情は大いに異なっていたでしょうから、鼠は捕って食べる物だったはずです。
 
ところが「しろね」は食べずに人に見せたといいます。一種の自己顕示欲でしょうか?ご主人に褒めてもらおうとする欲求行動だったのでしょうか?まさか、餌を与えてくれる主人に、お礼返しとして進呈しようとしたなんてことは?
 
今から770年も前の「しろね」と、私の子ども時代の「ミケ」が二重写しになってしまいました。大分弁でいうなら、「えらしー!」(かわいい!)ねこのお話でした。
 


※画像は、クリエイター・NPO法人あおぞらさんの、タイトル「💓家庭内ノラ(=^..^=)ミャー💓」の1葉をかたじけなくしました。「『もも♀」白くろ&「こにゃん♀」三毛 保護猫17匹の頂点にいる2匹哉(=^・^=)💛」の説明も添えておられました。お礼申し上げます。