見出し画像

No.821 丑三つ時の後の訪問者

今から10年前の第20回「新聞配達に関するエッセーコンテスト」(2013年)の「大学生・社会人部門」で優秀賞に輝いた埼玉県の女性(当時、25歳)のエッセー「午前三時の配達者」は、心に強く残っている作品です。
 
「いつも、午前三時になると、きまってわが家には新聞が配達される。
 古びたブリキに、ペンキを塗っただけの赤いポスト。午前三時になると、バイクの音とともに、カランカラン、とポストに新聞が入る音がする。わが家のポストは古くて、投入口も狭いから、新聞をねじ込むように入れると、大きな音がする。『そろそろ新しいポストに変えなくっちゃね』と言いつつ、当分新しいのを買う予定もなかった。
 ある時、わが家に子供が生まれた。元気な女の子だったけれど、生まれてからしばらくの間は、ひどい夜泣きに悩まされた。病気を疑うほどの、それはひどい夜泣きで、午前零時から六時くらいまで、ギャーギャーと泣き続け、泣き止む気配はなかった。
 生まれたばかりの娘を、病院から自宅に連れ帰った日、やはり娘は午前零時過ぎたあたりから泣き始めた。約三時間、泣き続けた。
 『ああ、もう三時だわ』と時計を見て、少し気を紛らわそうと、窓際から赤いポストに目をやった。新聞と差し込まれた一輪のひまわりの花がそこにあった。
 後になって、大の子供好きであった当時の配達員さんは、夜泣きで疲れ切った母を励まそうとひまわりを差し入れたこと、赤ちゃんである私を驚かせないようにその一年もの間、静かに新聞を入れ続けていたことを、母は現在の配達員さんから聞いたそうである。」
 
赤ちゃんは、このエッセーの筆者である女性の娘さんのことかと思いながら読んでいたら、な・な・何と、筆者御自身が夜泣きのひどかった赤ちゃんだった頃のお話でした。筆者は2013年に25歳でしたから1988年(昭和63年)のお誕生であり、今から35年も前の出来事でした。元号が「平成」となる前年の想い出です。
 
「丑三つ時」は午前2時~2時30分頃をいうのだそうですが、まさに「草木も眠る」真夜中であり、古来から幽霊や妖怪の出やすい時間帯だと恐れられていたそうです。ところが、その時間に女性宅を訪れたのは、「疲れた母親を励まそう」と「赤ちゃんを驚かすまい」と「一年間静かに新聞を入れ続けよう」とする心根の優しい、思いやりある新聞配達員さんでした。「有り難く」「心憎い」くらいの大人の振る舞いだったと思います。
 
日本新聞協会が発表した記事によると、2022年10月の新聞発行部数は3084万部で、前年より218万部(6.6%)も減少したそうです。新聞発行のピークは1997年(平成9年)で、その時の総発行部数は5376万部だったといいますから、25年の間に2300万部余りが減少したことになります。紙ベースの活字離れということなのでしょうか?
 
理由は、いくつもあるでしょうが、このエッセーのような「生のドラマ」が見られた心の風景が次第に見られなくなって行くことが、何か惜しまれてならないのです。


※画像は、「日経新聞の紙面と電子版です。意外と便利です。#日経COMEMO」と説明された、クリエイター「おおつかも#あとは寝るだけ」さんの作品です。お礼を申し上げます。