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No.741 「歎旧」なれども…

「旧(ふ)りゆくことを嘆く」の題で『万葉集』の巻十に二首が並びます。
1884番「冬過ぎて 春の来たれば 年月は 新たなれども 人は旧りゆく」
(冬が過ぎて春が来ると、年月は新しくなるが、人は年をとってゆく)
1885番「もの皆は 新(あらた)しき良し ただしくも 人は旧りゆく 宜(よろ)しかるべし」
(すべて物は新しくなるのが良い。ただ、人間だけは、年をとるのがよろしいだろう)
 
二首とも作者不詳歌ですが、1884番の「嘆き」の歌を1885番では「なだめる」歌のようにも思えます。いや、「なだめる」よりも老いに対して居直りにも近い自慰の心を感じます。誰も年は取りたくないのですが、生きている限り老化は避けられません。だからこそ、老いることの意味、「老人力」を考えようではないかと主張しているようにも思うのです。
 
奈良県立万葉文化館の中西進名誉館長は、
「確かに物は新品の方がいいのに決まっている。でも人間には品物と違って経験がある。人間は成長するにつれて考えも深くなり、物を見る目も正しくなり、心に感じたことが豊かに蓄えられていく。子どもたちは、この目や心の成長を目指して立派な大人になろうとする。やたらに年を取るだけでなく、思いやりが深く、心の豊かな大人になりたいものだ。」
という分かり易い解説を子どもにされています。
 
そんな大人ばかりでもないことを、日々のニュース報道で教えられますが、経験値によって積み上げられた大人の知恵が、敬意を持って受け止められる成熟した社会でありたいものだと願います。
 
 アフリカには、
「一人の老人の死は、一つの図書館がなくなるのと同じ」
という格言があるということを、ギニア出身で外交官だったオスマン・サンコンさんの講演で聞いたことがあります。年寄りを大事にする考えは、知恵者であることへの敬意からくるものでしょう。物よりも心を大切に守り伝統とする文化は、人として尊びたい自然な感情のように思います。
 
奇しくも万葉人の発想と重なっているようでもあり大変面白く思いました。無為に年を取るだけでなく、思いやりや心の豊かさが、若者や子どもたちに届いてほしいなと思います。

※画像は、クリエイター・ニンパイ(忍)さんの、タイトル「フォトギャラリー2020.9.27」をかたじけなくしました。万葉の時代を彷彿とさせます。お礼申します。