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No.1207 裏を見せ 表を見せて

人生は不条理にして非情、そして、摩訶不思議です。
 
2008年(平成20年)に親戚としてのご縁をいただいていた甥っ子の義父さんが、つい先日、お釈迦様のお誕生日の翌日に、59歳の若さで幽明境を異にしました。
 
奥さん、4人の子ども達、7人のお孫さんたちに囲まれた彼のお写真が葬儀会場入り口に飾られており、その快活な性格のよく表れた笑顔が、いっそう悲しみを増しました。
 
企業人として活躍をし、同僚や部下や会社からも「この人あり」と謳われた人物であったと記憶しています。人のために、社員のために、会社のために一肌脱げる偉丈夫でしたが、長い単身生活を余儀なくされ、酒豪も影をひそめることなく、いつ知らずのうちに蓄積されたものがあったのかも知れません。人生100年時代だというのに、その半分を折り返して間もなく、ついに還らぬ人となりました。
 
ソフトな口調で、相手の気持ちを察しながら言葉を丁寧に選べる人でした。明るくて思いやりがあるので、話しやすく親近感の持てる人でした。仕事が出来、部下に愛され、会社で頼りにされました。それゆえ、家族との時を大事にし、孫子を大変可愛がり、
「一度も声を荒げたり、叱られたりしたことがなかった。」
と言います。
「口のきれいな酒飲みだった」
と、お兄さんは彼を誉めました。貸し出しできるなら、お借りしたかった男です。
 
しかし、いつしか彼の内に巣喰うものが彼の栄養を横取りしていたのでしょう。いや、むしろ、いい人過ぎて早くも神さまに気に入られてしまったのかも知れません。
 
苦労をかけた妻と老後の時間を静かに心行くまで共有したいよう、孫子の成長に目を細めていたいよう、頭を撫でてやりたいよう、彼らの悩みに寄り添い、少しでも力になってやりたいよう、彼の中で「~たいよう」の「太陽」が心に輝いていたはずです。その願いは叶わぬまま、永遠の旅路に出ることになりました。人生は、非情です。

「うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ」
 江戸時代末期の禅僧(曹洞宗)良寛さんは、天保2年(1831年)1月6日に74歳で入滅しましたが、その時の辞世の句の一つだそうです。
 
もみじだけではなく、人にも様々な表裏があります。喜びと悲しみ、羨望と嫉妬、本音と建て前、長所と短所、好きと嫌い、愛と憎しみ(マザーテレサは「愛の反対は無関心」と言いました)、幸と不幸等々、さまざまな裏と表の面を世間にさらけ出しながら生きています。良さ悪さ、強さ弱さを隠すことなく素直に生きた良寛さんそのものの句でしょうか。
 
「散る桜 残る桜も 散る桜」
(今どんなに美しく咲く桜でも、早い遅いの違いこそあれ、いつかは必ず散ることだ)
これも辞世の句と言われますが、その出自については少し不安が残ります。しかし、非常に示唆的・暗示的で、命とは何か命を生きるとはどういうことかを問われるようです。

深く愛されたパパであり、夫であり、お爺ちゃんである彼は、その遺影で私たちに「命」について静かに語りかけているようでした。御霊の安らかなれと祈ります。


※トップ画像は、今は誰一人として住む者のない廃墟となった団地内の広場の散り際の桜です。住人が居なくなり、四半世紀近くが経とうとしていますが、昔を思い出し人の世を憂うように、今年も咲きました。例年、この花と対話するのが習わしになりました。