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No.1254 そういう気?小右記!(1)

昨日、県立図書館で数冊の本を借りました。
「一袋とり入れて、得て帰る心地のうれしさぞいみじきや。」

寛弘5年(1008年)生まれの菅原孝標の娘(次女)は、寛仁4年(1020年)に父の上総介の任期が終わって家族で帰京した翌年、彼女のおばさん(お金持ち?)からサプライズとして、たくさんの本をもらいます。その中に『源氏物語』があった時の心境を述べた一文です。念願の源氏物語が読める嬉しさで興奮し、感情が爆発しそうな勢いです。
 
因みに、16年前の2008年(平成20年)はその『更級日記』の著者・菅原孝標女の生誕千年にあたり、千葉県市原歴史博物館では彼女についてのコラムの開設をしています。(市原歴史博物館「I'Museum」のページ参照)
 
昨日の私も、ちょっとご機嫌さんでした。
図書館で借りた中に『小右記』(倉本一宏編、角川ソフィア文庫)の一冊があったからです。『小右記』は、藤原実資(藤原道長よりも9歳年上)が右大臣であり、比叡山麓の「小野」に私邸があり「小野宮第」と呼ばれたことから、『小野宮右大臣家記』の略称で『小右記』となりました。

NHKの今期の大河ドラマ「光る君へ」では、この藤原実資役をお笑い芸人のロバート秋山(秋山竜次)さんが好演しています。道長に唯一対抗できる人物で、道長も一目置いている、そんな実資という人物像をうまく演じているように思います。
 
例えば、『小右記』の長保元年(999年)10月19日の条に、
「武蔵守寧親(やすちか)、馬六疋を左府(=道長)に献ず。左府、余(=実資)を招きて見しむ。見了りて、逎(すなは)ち出づる比、馬一疋を志す。余、綱の末を執りて小拝す。主人(=道長)地下に下り立つ。」
とあり、道長から一目置かれている実資は葦毛の馬一頭を贈られました。(『小右記』倉本一宏編、角川ソフィア文庫、P185~P186)
 
また、同年10月23日、道長の娘・彰子が一条天皇へ入内する時、和歌を書いた屏風を調度とするため、道長は周りの殿上人たちに「倭歌を読むべし」と命じました。しかし、実資は拒否し、憤慨しています。
「上達部の役、荷汲(=荷物運びと水くみ)に及ぶべきか。」
(同著、P187~P188)
 
更に、一条天皇の次の三条天皇の時、三条天皇の妻には道長の次女・妍子と実資の親戚の娘・娍子がいました。妍子は中宮でしたが子がなく、三条天皇と娍子との間には敦明親王がいました。
 
三条天皇は、娍子を皇后としようとしましたが、道長を恐れて躊躇します。ところが、道長は娍子を皇后にと進言します。それなのに、長和元年(1012年)4月27日、娍子の立皇后の儀式の当日、道長は出席せず、他の公家たちも道長に同調してしまいます。怒った実資は、
「天に二日無く、土に二主無し。仍りて巨害を懼れざるのみ。」
と「巨害」と記して道長の横暴を言及しています。この時実資は病気で療養中の身でしたが、この事を聞いて参内し、道長の圧力をものともせず娍子の立皇后の儀式を執り行いました。(同著、P294~P296)
 
このように唯一、道長に対抗・批判できた人物と言われています。しかし、それでも二人は険悪な間柄ではなかったようで、あの「望月の和歌」の際は、道長を持ち上げているように思います。
「藤原実資は、『小右記』で、そう言う気!?」
そんな駄洒落が思い浮かぶほど、面白く読んでいます。

明日は、あの、例の、いわゆる、
「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の かけたることも 無しと思へば」
の和歌について、出典となっている『小右記』の記事を味わってみたいと思います。さて、実資の思いは?珍しくCMしちゃいました。


※画像は、クリエイター・娯楽ないみさんの、「『お絵かき』まったり。」の1葉をかたじけなくしました。お礼申し上げます。