見出し画像

No.1283 恐るべき勉強術

高校時代に、二宮金次郎だったか新井白石だったか、眠気に負けそうになるので左手に錐を持ち膝にあてて勉強したというエピソードを聞きました。睡魔に負けてコックリすると、錐が膝に刺さって目が覚めるのだと言います。本当か知らん?昔の人は、どんだけストイックなん?と呆れる感じで聞いていました。
 
13世紀の半ばに成立した鎌倉時代の説話集『十訓抄』(下)「十 才芸を庶幾(願い極める)すべきこと」を読んでいたら、その七十三話の中に、こんな記事がありました。
 
本文…「唐の太宗の時、王珪(わうけい)申していはく、『人臣、学業なければ、心賢なりといへども、昔の言葉、古(いにしへ)の振舞を知らず。あに大なる任をつかさどらむや』といへり。ゆゑに、蘇秦(そしん)は股をさして、眠りをおどかして学び、董生(とうせい)は帷(とばり)をたれて、外を見ずして、勤めけり。」(日本古典文学全集51『十訓抄』小学館 P475)
口語訳…(唐の太宗の宦官、王珪は、こんなことを言っています。『人臣たる者、学問なければ、心いかに賢くとも、昔の良き言葉、古のよき振舞を知ることが出来ない。かような者が、どうして大任をあずかることが出来ようか』と。それゆえ、蘇秦は股を錐で刺して眠りを覚まして学び励み、董生は垂れ衣を下ろして、外を見ないで学び勤めたといいます。)
 
蘇秦(紀元前382年? ~紀元前284年?)は、中国戦国時代(紀元 前403年~紀元前221年)の弁論家で、諸国を遊説して回ったとされる人物です。この話は、『戦国策』の「秦策」にあるということです。編者の劉向は、紀元前79年~紀元前8年の人らしいので、
『十訓抄』よりも1250年も前に書かれていました。おそらく、平安時代の初期には、すでに日本に渡っていたのではないかと思われます。本当にあったお話なのですね。

この『戦国策』の話から、
「引錐刺股」(いんすいしこ)
「中国戦国時代の蘇秦は、書物を読んで一生懸命勉強しているが、つい眠気を催してきたとき錐で股を刺して眠気を覚ました。」
という四字熟語も生まれています。その学習態度や意気込みに、恐れ入るばかりです。

江戸時代の日本人には、なるほど、蘇秦に倣い、膝に錐を当てて勉強した猛者もいたかもしれません。また、それほどではないにせよ、やぶ蚊に刺されながら眠気を覚まして学業に励んだ人々は少なくなかったでしょう。蚊取マットのお世話をいただきながら快適な空間で勉強できる今日の我々とは、志の強さが違っていたように思われました。

※画像は、クリエイター「JUN🧩1年後の自分の「居場所」をつくる情報発信中!」さんの「【勉強法】勉強効率を上げるために意識したい5つのポイント」の1葉をかたじけなくしました。グループで教え合い学び合う学習法でしょうか。「友を師と仰ぐ」学習法でもあるように思いました。お礼申し上げます。