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No.1282 ゆかしい屋久島

コーヒーはお好きですか?
日本で初めてコーヒーを飲んだ話が、太田南畝(蜀山人、1749年~1823年)の随筆『瓊浦又綴(けいほゆうてつ)』(1804年)に書かれていることをネットの記事で知り、県立図書館の館内貸し出しで読みましたが、ちょっと驚く記事が書かれています。
 
「紅毛船にてカウヒイといふものを勧む、豆を黒く炒りて粉にし、白糖を和したるものなり。焦げくさくして味ふるに堪ず。」(原文は版本)
 
この『瓊浦又綴』の記事は、蜀山人全集『新百家説林三』の625ページ目に書かれていることを確認しました。初めて口にしたコーヒーは、焦げ臭くて苦かったようで、西洋人の嗜好品を、南畝は、
「味(は)ふるに堪(へ)ず」
(まずくて飲めたものではない!)
と忌憚のない感想を述べています。彼が50代の頃の実体験でした。
                                   
ということは、1853年(嘉永6年)に「泰平の眠りを覚ます蒸気船」でやって来た「ペリー来航」よりも約半世紀も早い「珈琲来航」でした。最初のビールが苦いのと同じで、慣れれば、それがうまみに変わっていったのでしょうが、南畝に「カウヒイ」は馴染まなかったようです。
 
その太田南畝の「コーヒー談義」から220年後の昨日、津久見のY子さん宅に屋久島の畏友から届けられた「屋久島コーヒー」をご相伴させていただきました。敷根茂俊さんが2017年(平成29年)に植えたコーヒー農園で収穫した自家製コーヒーです。
 
見事な色に焙煎された、香り豊かできれいな豆をコーヒーミルで丁寧に挽き、Y子さん自ら淹れてくれました。その一連の動作が、コーヒーのうまみを引き出す作法のようであり、静かで心安らぐ時間でした。「待つ」ことがこんなにココロトキメキしたのは久しぶりです。
 
コーヒー党でもコーヒー通でもない私には、その味をうまく表現することが出来ませんが、濃いのが苦手な私を気遣って下さったからか、香りやかで丸みのある味わいに思われました。個性的な主張よりも、バランスよく飲みやすいコーヒーでした。人生初の、好い邂逅でした。トップの画像は、その時に仲間と味わった1葉です。
 
コーヒーの露地栽培の北限と言われる屋久島で、太陽の光をたっぷり浴びた健康的なコーヒーが、人々の心と体を潤してくれます。大自然を相手に、ご夫婦二人三脚で情熱をもって「屋久島コーヒー」づくりに賭けていらっしゃる。コーヒーは、二人の思いを味に込めているように思いました。そのことに敬意を覚えました。縄文杉を生み育てた島は、その胸懐の深い包容力で新たな種を育て、人を育てています。ゆかしさ溢れるコーヒーの島。
 
「珈琲の豆挽く音の冴返る」
 伊東ゆみ子