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No.998  「のさっちょる」寸感!

ドキッとしました。
西加奈子著『くもをさがす』(河出書房新社)を読んでいる時、不意に出合った言葉でした。

 母が初めて父の実家に赴いた時、家から二人の女性が出てきた。一人はカナエで、一人は曾祖母のイヨだったのだが、どちらが父の母か分からなかったそうだ。それほどカナエは老け込み、すっかり腰が曲がっていた。背が高く、矍鑠としていたイヨと比べて、とてもとても小さかったそうだ。
 嫁いだ頃は、イヨや義姉にいじめられて苦労した。家族全員分の風呂を薪で沸かし、自分が最後に入る頃には誰も温めてくれないので、湯がすっかり冷めていた。ウキオは自分の味方をしてくれなかった。そんな中で、カナエは父を含めた4人の子を産んだ。子供たちを連れて山を越え、里帰りする時だけが唯一の楽しみだった。そして彼女は、長男の嫁である私の母には、その苦労を絶対に引き継がなかった。
 「こんな苦労をミヨコにはさせともない。」
 そして実際、父と母が喧嘩したときは、絶対に母の味方をしてくれた。
 彼女は私が8歳、カイロにいたときに子宮がんで亡くなった。彼女が入院した時、一時帰国した私たちがお見舞いに行くと、
 「小さい子供にはこんなとこはつまらんじゃろ。」
 そう言って、いつも私たちを帰そうとした。彼女は、末期のがんを患ったことも理解していた。延命治療を拒み、すべて「のさりごと」(なされごと)だと受け入れていた。

西加奈子著『くもをさがす』(P70~P71)より

方言「のさりごと」の言葉に、本当に久しぶりに出合い、ドキッとしたのでした。
 
その言葉が興味深く思われたので調べてみると、光村図書の「みつむらweb magazine」に、抄出ですが、

 「のさり、のさる、のさった」
これは長崎県から熊本県の天草、鹿児島県、そして奄美にいたる地域で使われている方言です。「のさり」は一般的に、「天からの授かりもの」「運命」「幸運」などと訳されます。「のさる、のさった」はその動詞形で「授かる、授かった」、あるいは「運がいい、運がよかった」と訳されます。しかし、地元でのニュアンスは、これとはだいぶ違っています。
 「天から授かった、授からなかった」に近いのではないかと思います。
水俣病でさえ「天からの授かりもの」として受け入れるのが「のさり」なのです。

出典 : 方言を味わう 第2回 「のさり」木部暢子(人間文化研究機構 機構長)2023年3月24日 更新

とありました。この「のさる」は、大分県でも使われる方言です。西加奈子さんの父親の実家は大分県杵築市です。ここでもカナエお婆ちゃんは、「天がさだめたこと、運命」の意味で話していたことが分かります。
 
私の母は、国東市安岐町両子の生まれです。カナエさんと同じ子宮がんで85歳で亡くなりました。20代で杵築市(当時は、速見郡)山香町の農村に嫁ぎました。若い頃は、山香町から太田村を越えて両子まで歩いて里帰りをしたと言います。30km前後あると思いますが、故郷に帰れる嬉しさが、足を前に進ませたのでしょう。その母も、日常生活の中で、
「あん人は、のさっちょったなあ!」
(あの人は、運がよかったなあ!)
などと言っていたのを思い出してしまいました。良い意味でも悪い意味でも使えるのは、この言葉の自在な応用力、キャパの大きさということなのでしょうか。
 
西加奈子さんの『くもをさがす』のお陰で、母親に再会し、懐かしい言葉に出会えた気持ちになれました。一粒で二度美味しいのがアーモンドグリコのキャラメルなら、一語で二つを懐かしめた方言が「のさる」でした。
 
母は、2013年12月28日、「のさり」(天の恵み)を頂いて、静かに逝きました。
 

※画像は、9月7日の朝7時前に撮影した大分市の東南の空に見られた雲です。「鯖雲」や「羊雲」や「鱗雲」ではないと思うのですが、さりとて「鰯雲」とも言いかねます。私は勝手に「鰯雲の赤ん坊」と名付けました。『くもをさがす』は「蜘蛛をさがす」のでしょうが、私の場合は「雲をさがす」1葉でありました。