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No.553 たまさかの出逢いがありました

「邂逅」(かいこう)の言葉を初めて知ったのは、高校の図書館にあった椎名麟三の小説『邂逅』を読んでからの事です。「思いがけない出逢い」「偶然の巡り合い」という意味です。

もう20年近く前の事ですが、京都から東京への新幹線のぞみ号に乗っていた時のこと、名古屋駅のプラットホームに歓声が上がりました。顔を上げると、皇太子様と雅子様のお姿がありました。優雅な身のこなし、花のように明るく慈しみ深そうな微笑、清楚でいて華やか、漂う気品と美しさ、リラックスされた中にも身体じゅうの隅々にまで神経が行き届いているとしか思えない御二方の振舞いは何とも魅力的でした。田舎者の私は車窓から拝見しただけですが、あんなに目映い経験をしたのは生まれて初めてでした。

同じのぞみ号の、同じ車内にプロ棋士の谷川名人の姿がありました。奥さんと男の子との三人で座っていました。神経質そうな鋭い目つきと、トレードマークのようなちょっと大きめの鼻が印象的です。トイレに立たれた時のスマートさ、ダンディーな着こなし、家族に話しかける時の優しいまなざしは、厳しい将棋の世界に身を置く緊張感から解放された「お父さん」のそれでした。偶然とはいえ、二つの「邂逅」は、今もこうして思い出して書けるほど心に鮮やかな印象を残しました。

そういえば、こんな出逢いもありました。「ああ勘違い」や「聞き違い」ってこと、ありませんか?まだ私の髪の毛が黒々として、たーくさんあった頃(涙…)のお話です。
 
京都から新幹線での帰りのこと、乗ってきた一人の男性客が、検札にやって来た乗務員に切符を見せながら言いました。
 「私は、『大牟田』って言って買ったのに、今見たら『大分』の切符だったんですよ。何とかなりませんか?」
嘘のような本当の話で、思わず噴き出しそうになりました。しかし、聞き間違いは、誰にでもあるものです。乗務員さんは、余裕の笑顔で切符を交換しました。
 
その新幹線に乗る前に、私は駅の売店で美味しそうな「京風弁当」を注文しました。ナスの田楽が目を引きました。昼になったので車内で袋から弁当を取り出すと、な・な・なんと「京風」ではなく、「洋風弁当」が恥ずかしそうに入っておりました。
 
「アッと驚くタメゴロー!」などと、おくびにも出すこともなく平静を装う私でしたが、思わぬイリュージョンに内心は動揺しました。ナスの田楽のキラリンと輝く画像が、未練がましく脳裏にちらつきます。
 
だからと言って、乗務員に小言を聞いて貰うような野暮はせず、おもむろに洋風弁当の蓋を開けました。ところが、思いのほか美味しくて、田楽の事をすっかり忘れてしまえるほど単純に出来ているのが私の脳ミソです。私が間違えたわけではありませんが、これも、私の滑舌の悪さが災いしたお陰で招いた怪我の功名でしょうか?
 
人生には、忘れがたい偶然があるものです。日本中の人々から「邂逅」のタイトルで原稿を寄せて貰ったら、ユニークな本が出来上がるのではないでしょうか。「邂逅」は、「開口」にも「開稿」にもつながりそうです。

あなたの「邂逅」は?