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No.1077 アイタタタ!
和歌をたしなむ方から頂戴したお葉書に、短歌が添えられていました。
「我が為と定めて歩む川土手のなだりにひとつ夕顔の花」
へっ?「なだり」?? 当時64歳の私は、すぐに調べました。すると、
「私が昭和十五年一月にアララギ会員となり、その月の青山の発行所の面会日に初めて出席した時、土屋文明先生に取っていただいた歌に『息づきて登りし山のなだりなど夜半にぞ思ふ恋しかりけり』というのがある。当時『なだり』という語を少年の私が使用するくらいでは、歌の世界ではもう一般的に使われていたに違いない。ところがこの『なだり』が辞書には見えないのであった。広辞苑も第二版までは項目に立てなかったが、今度の第三版に到って、『なだり[傾](ナダレの転)斜めに傾くこと。また、そのような地形。』として収録されるようになった。古典には例がない…」
というのがあり、お蔭で、一つ賢くなった気がしました。もう少し古い例はないのかと調べたら、北原白秋の歌を青空文庫で見つけました。
「名も知らぬ黄なる花むらなだり咲き目もあはれなり時化波(しけなみ)の隙間(ひま)」
「ぺんぺんとなづな実りて群れにけりとどろきくらき波なだり来ぬ」
白秋の動向から言って、1925年(大正14年)の北海道旅行の時の作かと思われます。宮地伸一氏よりも少し早い時期の用例かと思います。確かに、使われていました。
さて、先のお葉書の続きには、
「パートナーを大事にしていますか。感謝していますか。言葉に出して言っていますか。思っていても言葉に出して言わなければ伝わりません」
とあって、痛い所をつかれてしまいました。アイタタタ!
※画像は、クリエイター・吉塚康一さんの、百年ニュース「毎日が100周年」の1葉をかたじけなくしました。お礼申し上げます。そのタイトルには、3人目の妻となる女性の興味ある記事が綴られてありました。
【百年ニュース】1921(大正10)4月28日(木) 北原白秋が三度目の結婚。(旧姓佐藤)菊子は大分高等女学校卒の才女で,「大きな赤ん坊」と言われた白秋の最後の妻となった。21年半に渡り家庭の安らぎをもたらし,1937(昭和12)視力を失った夫を献身的に支えた。1983(昭和58)没,享年93。