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No.1251 私の器は?

奈良県生駒郡の龍田山といえば『伊勢物語』中の「筒井筒」のお話でも知られています。
 
 昔、幼馴染の男女が、筒のように丸く掘った井戸の枠である「筒井筒」の周りで、背くらべをしたりして遊んでいた。長ずるに及んで互いに意識し、恥ずかしく思って疎遠になっていたが、 二人とも結婚するならこの人と心に決め、女は親が縁談話を持ち掛けても断っていた。その女のもとに、男から求婚の歌が届き、相思相愛だった二人は結ばれた。
 ところが、妻(女)の親が死に、生活が苦しく貧しくなると、夫(男)は河内の高安に別の女をもうけ、足しげく通うようになった。それなのに、夫の浮気を知ってか知らずか妻は怒った素振りも見せずに快く送り出す。
 不審に思った夫は「妻も浮気しているから快く送り出しているのに違いない。」と疑い、真相を掴むために裏の庭の植え込みの陰に隠れて見ていると妻は綺麗に化粧をし、物思いに耽りながら龍田山に向かって歌を詠んだ。
「風吹けば 沖つ白波 たつた山 夜半にや君が 一人越ゆらむ」
(風が吹くと沖の白波が立つという名の(物寂しく危険な)龍田山を、この夜ふけに貴方は一人で越えているのでしょうか(心配でなりません)。」
その女の本心にうたれた夫は、河内の女のもとへは行かなくなった。
 
この話のテーマは「純愛」とか「和歌の情趣を愛する風流心」とか言われていますが、時代を超えてもゆるぎない愛の本質が見えるように思います。心の波立つ龍田山です。
 
その龍田山には、『万葉集』のこんな歌もあります。巻三「挽歌」の巻頭にある415番歌で、興味深い「題詞」から始まります。
 
「上宮聖徳皇子(かみつみやのしょうとくのみこ)、竹原井(たかはらのい)に出遊(い)でます時に、龍田山の死人を見て悲傷(かなし)びて作らす歌一首
415 家ならば 妹(いも)が手まかむ 草まくら 旅に臥(こ)やせる この旅人(たびと)あはれ」
(上宮聖徳皇子が、竹原の井〈現在の大阪府柏原市高井田〉にお出かけになったときに、龍田山の死人を見て悲しんで作られたお歌
415 この人は、自分の家にいたなら妻の手を枕にして安眠しただろうに、旅の途中で横たわり変わり果てた姿になるとは、なんとも痛ましく哀れなことだ。)
 
そんな解釈を施していたら、古来言われる通り、人生も旅のようなものであり、この私も、昔同様、いつ、どこで、どのように果てるか、誰にも分らないのだ、という厳粛な気分を強く感じてしまいました。

万葉集のあの話(『日本書紀』「片岡飢人伝説」由来か?)が事実か否かを知りませんが、たとい骸であっても、聖徳太子の目に触れ、彼の心に深くとどめられ、手を合わせて貰ったであろうと思うと、それだけで仏となる機縁になったのではないかと妄想するのです。この人は、そんな器をもっていたということなのでしょう。

人は、どのような人と出会うのでしょうか?宮本輝は『命の器』(講談社文庫、P61)で、
「どんな人と出会うかは、その人の命の器次第なのだ。」
と断言していました。私には、恐ろしく、厳しく、重い一言でした。


※画像は、クリエイター・でぃーぷ ☆ パーポーさんの「聖徳太子の大伽藍」(世界遺産の奈良・法隆寺)の1葉をかたじけなくしました。お礼申し上げます。