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No.926 Do 湯 know?

朝一番に「白湯」を飲む方はいらっしゃいますか?
昨日の大分合同新聞の「灯」欄のコラムに、久留島武彦記念館館長の金成妍(キムソンヨン)さんの「湯」と題する興味あるお話が載っています。
 
この記念館は、「日本のアンデルセン」と呼ばれた大分県玖珠町出身の童話作家であった久留島武彦(1874年~1960年)翁を顕彰し、多くの資料を展示しているものです。館長の金成妍さんは韓国釜山市のご出身です。九州大学大学院の博士課程で学位を修め、第48回久留島武彦文化賞・第39回巖谷小波文芸賞を受賞されています。2017年(平成29年)4月から久留島武彦記念館館長として活躍しておられるそうです。
 
さて、その金さんの「湯」のお話について、他県の皆さん、海外で暮らしておられる皆さん方にも読んでいただきたくてご紹介する次第です。日本人として嬉しくなる文章です。

 「館長、これをどうぞ~」
 記念館の休憩室にうずくまって書き物をしていると、トモちゃんが白湯を持ってきてくれました。人の優しさと朝の白湯1杯はとがった神経を和らげてくれます。日本語では「温かい水」と言わず「白湯」と言いますよね。
 「湯」は、水と全く区別される独立の言葉です。英語などにはない、極めて日本的な言葉だと思います。「水」も「湯」も英語では「water」です。「hot water」という表現はありますが、日本語の「湯」に当たる言葉はそもそも存在しないのです。韓国語も同じで、「湯」は「熱い水」と言うしかありません。
 「湯」から日本の文化がのぞけるわけです。日本にあって「水」は沸かされることによって「生命に宿る力」なるものが与えられ、本来の水とは違うものに変わります。それを日本人は「ゆ」という特別な呼び方で呼び習わしてきました。「ゆ」に入ることも、日本人にとっては潔斎と再生との複合的意味が込められている独自の行動様式でした。日本人の入浴は、湯に入ることによって「ゆ」の中に込められている生命力を獲得し、それによって日々を再生することだという説明を読んだ記憶があります。
 「教頭先生~!」
 玄関先でトモちゃんを呼ぶ元気な子どもたちの声が聞こえます。この白湯を飲んだら、今日も一日、笑顔で頑張りたいと思います。

毎朝、白湯を飲んでからコラムを書いていたつもりでしたが、私のは、単なる「温めた湯」であって、沸騰させた「白湯」ではありませんでした。これからは、「ゆ」の内なる生命力をいただくために、しっかり沸かして、温かい白湯をゆっくりいただこうと思います。折しも、七月まぢかです。

「文月や唯々白湯のかむばしく」
 野村喜舟(1886年~1983年)は、久留島武彦とほぼ同時代に生きた俳人のようです。


※トップ画像は、クリエイター・MariKusuさんの、タイトル「白湯またはお湯のこと」の1葉をかたじけなくしました。お礼を申し上げます。