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No.965 どこにでもある話。その思いに「ほ」!

思い起こせば、盃が乱れ飛ぶ宴会が盛んに行われていた、私が若かりし頃のお話です。

久しく咳が止まらぬ日が続いていました。くしゃみが出る訳でも、扁桃腺や関節が痛いわけでも、熱が出るわけでもないのに、コンコンとむせるような咳が出るのです。そんな折でも12月になれば「宴会」は待ちかねたように、容赦なくやってきます。毅然として断る勇気もなく、参加を余儀なくされます。その実は、酒への未練絶ちがたく、気丈に(?)飲んで、飲んで、また飲んで、コンコンやっておりました。

ちょっと用足しにトイレに立ってから席に戻ると、私の座布団の隣にお盆に載せた風邪薬と水が置かれてありました。仲居さんが気を利かせてくれたようです。直接手渡すのではなく、さりげなくした心憎いそのやり方に、「大人の気配り」を見た思いがし、ズキュンとやられました。

考えるまでもなく、その行為は、仲居さんの仕事外の事だったでしょう。仲居さんの誰もがやってくれることのようには思えません。とするなら、その人の性格・人柄と言うことになります。人(相手)の気持ちの側に立つことの出来る仲居さんは、ひょっとして、もしかすると、女将さんだったのかなとも思いました。

小説家でエッセイストの阿川佐和子さんに『聞く力』(文春新書、2012年)という作品があります。その中の一つ、山形県かみのやま温泉の、ある旅館の女将さんがして下さったと言うお話の中に、

「お客様が今どういう気持ちでいらっしゃるのか」を、子細に尋ねなくとも、様子を見て推し測ることができるようにならないと、本当のサービスとは言えないのだと思い知ったそうです。

『聞く力』(文春新書、2012年)

という一文がありました。それを読んだ時、私の胸にストンと落ち、数十年前のあの仲居さんの心ある行いが急に蘇ってきたのです。

それは、どの時代の、どこの宿屋でも見られた小さな振る舞いだったかもしれません。しかし、受け取る側からすれば、一生忘れないくらいに心嬉しく有り難い思い出として脳裡に刻まれることもあるのだと言うことだけは書いておきたいのです。

飲むか否かは、客の自由意思でしょう。しかし、昨今では、「どういう薬であろうとも、むやみに人に飲ませるべきではない。」とクレームがついたり、宿の方でも下手に気を回したりするのはご法度という立場を取るのでしょうか。事なかれ主義に陥りやすい世の中で、本当のサービスを心がけることの乖離を考えさせられます。

ただ、気遣いをして下さった女将さんのような仲居さん、いや、仲居さんのような女将さんに、私が「ほ」の字になったことだけは確かなのです。
せめて、お名前を!


※画像は、クリエイター・青柳 政孝 (Aoyagi Masataka) _画像投稿用さんの、タイトル「AI生成画像 『日本酒』」をかたじけなくしました。涼やかで澄み切った色合いが素敵です。お礼申し上げます。