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No.744 狂言だったなんて!

寒くなると「あかぎれ」が出来ます。私の場合は、両手の親指の爪の生え際両サイドが割れて、水が沁みます。昔の人々は、この季節「あかぎれ」や「しもやけ」に大いに悩まされたことでしょうね。環境の厳しさや生活の大変さを想像することを忘れるなと「あかぎれ」に諭されているようです。
 
「あかぎれ」は、寒さや空気の乾燥で皮脂や皮膚の水分が奪われ、ひび割れができることから起こるそうです。その漢字「皸」の由来は、偏の「軍」が「亀」(キン)と音が近く、亀裂の意味に通じることから「皮の亀裂」=「あかぎれ」という説明がされていました。私の症状に、ぴったりです。
 
さて、NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」(2015年)で、主人公の文(ふみ)役を井上真央さんが、兄の吉田松陰役には伊勢谷友介さんが、そして、その母・滝役を演じたのが檀ふみさんです。その檀さんが、母親・滝の愛を語るエピソードを述べています。私は、掛詞に唸りました。
 
「息子にあかぎれができていると『あかぎれは恋しき人の形見かな 文みるたびに会いたくもある』という狂歌を詠んだというエピソードが残っています。『(足を)踏むたびに、あっ、痛い(会いたい)』と掛けてあるんですね。そんな素晴らしいユーモアのあるお母さんです。松陰の明るさや人を信じるところは、お母さんから受け継いだのかもしれません。」と。
 
この狂歌については、司馬遼太郎が『世に棲む日日』(1969年~1970年「週刊朝日」に連載。のち文春文庫)の中でも述べているそうです。
 
この「皸」が題となった狂言に「皸」(あかがり)があります。その成立年も作者も未詳ですが、一般的に「狂言」は、今から600年ほど前の室町時代に「能」とともに成立した、日本特有の伝統芸能だと言われています。
 
その狂言「皸」(あかがり)のあらすじは、こんなお話です。

山一つ向こうでの茶の湯の会に参加しようと、主人は使用人の太郎冠者を連れて出ます。その途中に川があり、主人から「背負って川を渡れ」との仰せです。太郎冠者は、自分が「あかぎれ」に悩まされていることを理由に、
「(水につかると沁みて)とても水の中には入れません。」
と横着を決め込んで、拒み続けます。
「それでは、歌を巧く詠んだら、わしがお前を背負ってやろう!」
と主人から言われて、太郎冠者はなかなか上手に狂歌を詠みました。
「あかがりは春は越路へ帰れかし冬こそ足のもとに棲むとも」
(「あかぎれ(皸)」を「あか雁」にたとえて、「あかぎれは、冬に足に棲む(できる)」が「あか雁は冬に葦の中で棲む」と掛けているのです)
 
主人は、「巧く詠んだ」と褒めますが、もう一首詠めと催促します。そこで、再び太郎冠者が、
「あかがりは弥生の末のほととぎす卯月めぐりて音(ね)をのみぞ鳴く」
(「あか雁」は三月末のホトトギスのようなもので、四月になったら鳴き声を上げて現れるが、「あかぎれ」の方は疼き(卯月)て、声を上げて泣くのだと掛けているのです)
あまりの歌のうまさに致し方なく、主人は太郎冠者をおぶって川に入りました。
 
ところが、「そこは深い、あっちに行きなさい、こっちが良いようですぞ」と背負われたまま、口うるさく主人に指図します。本来なら自分が背負われるべき立場なのにと、業を煮やした主人が、太郎冠者を川に降り落とすという、大どんでん返しが待っていました。なんか、スッキリ!
 
まさに、太郎冠者の「あかがり(皸)」は狂言(騙すための作り話)だったのであります!なんて、オジサンギャグ言ってみました。

※画像は、クリエイター・雑記草(ざっきそう)さんの、タイトル「20060306 謡」をかたじけなくしました。この舞台で「あかがり(皸)」も演じられたのですね。お礼申します。