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No.529 海洋冒険にかける男の意気高し

1938年 大阪生まれ。
1954年 関西大学第一高等学校入学同校ヨット部入部。
1962年 単独太平洋横断。
1972年 小型ヨットによる西回り単独無寄港、世界一周。
1982年 4年間にわたる挑戦の末、初の縦回り、世界一周。
1985年 世界初、太陽電池によるソーラーボートにて単独太平洋横断。
1989年 全長2.8メートルの超小型ヨットにて単独太平洋横断。
1993年 世界初、足漕ぎボート(人力)でホノルルより沖縄まで単独太平洋横断。
1996年 ソーラーボート(アルミ缶リサイクル使用)にて南米エクアドルから東京まで単独太平洋横断。
1999年 ビール樽528個とペットボトルのリサイクル素材で建造の双胴ヨットで単独太平洋横断。
2002年 ウイスキー樽、アルミ缶のリサイクル素材で建造したMALT'S Mermaid Ⅲ(モルツ マーメイドⅢ号)にて単独太平洋横断。
と言えば、海洋冒険家の堀江健一さんです。
 
その堀江さんが1962年(昭和37年)に初航海で太平洋を横断した時は
「No Passport」
「No English」
「No Money」
の、まさに「ナイナイ尽くし」のアメリカ密出入国状態だったといいます。
 
しかし、当時のサンフランシスコ市長、ジョージ・クリストファー氏は、
「コロンブスが、密入国者として強制送還されていたなら、今日のアメリカは存在しなかったのではないか。」
と言って、堀江さんを手厚くもてなしたそうです。クリストファー氏自身がギリシア移民の子で他国からの移入に対して寛容あり、チャレンジとフロンティアの精神を重んじるアメリカの国民性もあってか、向こう見ずな堀江さん(当時、23歳)は、サンフランシスコ市民だけでなく、アメリカ国民からも称賛を浴び、英雄になったといいます。
 
その彼が、2002年(平成14年)、「モルツ マーメイドⅢ号」で5月に新西宮ヨットハーバーからアメリカ西海岸のサンフランシスコ・ゴールデンブリッジに向けて約2か月半をかけた航海に出発したのは、初航海から40年目の記念航海だったと言います。その2年前の2000年9月14日にクリストファー氏は、92歳で没していました。記念航海は、クリストファー氏に感謝を捧げる記念航海だったのかもしれません。
 
今年2022年は、その堀江さんが世界で初めてヨットで日本からサンフランシスコへの単独の太平洋横断に成功してから60年目に当たります。83歳になった堀江さんは、3月27日未明にアメリカのサンフランシスコを出航し、今度は西へ向かう逆のルートで、世界最高齢での単独無寄港の太平洋横断に挑戦しています。日本までの約8,500kmを航海中であり、6月上旬に兵庫県西宮市に到着の予定だそうです。

堀江さんの1時間ごとの位置情報は、古野電気のウェブサイト「堀江健一特設サイト」で公開されており、出航からの経過時間、ゴールまでの距離、現在の経緯度等々を知ることができます。今朝5時に調べたところでは、堀江さんの太平洋上の位置情報として、
出航からの経過時間は、57日と2時間
西宮(ゴール)まであと1,118km
緯度25,96度  経度142,0度
だと表示されてありました。あと、10日間くらいでゴールでしょうか?
 
夢ある生き方のレジェンド・80代の冒険野郎は、意気軒高です。