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No.507 思い出は、前に進める手押し車にも似て

母は、2013年に85歳で鬼籍に入りました。その母が73歳になった年の、息子が小学校を卒業し、田舎の母に報告をしに帰った時のお話です。

あれこれ話をしている時に、大きく成長した息子を見ていた母が、ふと幼かったころの息子の思い出話を始めました。
「幼稚園に上がる前じゃったろうか、午前中にまだ月が白く空に残っちょったのを指さしちな、『おばあちゃん、夕べお月さまは、忘れものしちゃったみたいだよ!』ち言うたんが忘れられんわえ。あん子が、もう中学生になるんじゃなあ…。」
としみじみとした声で語ってくれました。

時に、何度か同じ話を壊れたレコードみたいに繰り返すようになっていた母でしたが、その話は、私には初耳でした。息子は、月が脱皮して白い皮だけを空に残したと思ったのか、着ていた白いコートを置き忘れたと思ったのかも知れませんが、既に本人の記憶には無いようでした。母の記憶が鮮明なのは、それだけ感動する強い印象があったからでしょう。子どもは詩人だと言われますが、母は、孫たちの良き理解者だったようです。

こんなふうに書くことが出来るのは、私が在職中に毎日学級通信を発行しており、そのコラム欄に「記事に困った時の家族話」として紹介させてもらったからです。書き残したおかげで、当時の子どもの思いや考えが、生き生きと伝わってくる事もあったのです。

人は、未練がましく過去を振り返らずに、前だけを向いて進むことが良いとされます。しかし、思い出は、懐旧に浸らせて前進を阻害させるわけではなく、誰もが疲れた時や気分転換にコーヒーブレイクしたり、スポーツや趣味に興じたりするのと同じで、退屈させず、追懐が喜びや発見や快楽に繋がることもあるのです。

もちろん、後悔も含めての思い出ですが、人生の大変さと面白さは、振り返ってみると心新たに感じられるものなのではないでしょうか。思い出の欠片やガラクタさえも自分の人生の一部であり旧友です。そして、旧友があの時に気づかなかった表情を今ごろになって見せてくれることだってあるのです。ちょうど、年を取って読み返した本が、あの時とは違う表情を見せたり印象を残したりして驚くのと同じように。

プレ古稀年を迎えたばかりの私は、祖母となった母を思い出し、今はママやパパになった子供たちが幼かった頃の忘れかけていたことを心の中が温かくなるほど思い出して、何か目線を上げる力を貰ったように実感していました。思い出は、年をとっても手押し車のように前に進めてもらえるものだと感じた次第です。