No.610 「走馬灯」の季語は「夏」(三夏)だとか
一昨日は、67歳で幽冥境を異にした義姉の初盆の法要が営まれました。盆提灯には回転筒が付けられ走馬灯のように色とりどりに揺れ動いています。きゃしゃな体つきの心優しき義姉の人生は、どのようなものだったか、走馬灯のように映し出されたら義姉の姉妹も遺族たちも、どんなにか悲しみが慰められ癒されることだろうと思いました。
大分合同新聞朝刊では、昨年の10月24日から「はるか、ブレーメン」(作、重松清 画、丹下京子)という新聞小説が始まりました。昨日で281話(第十一章、11話)目です。私は毎日読み進め、切り取ってファイルしてあります。冒頭の写真が、それです。
新聞小説「はるか、ブレーメン」の主人公は、瀬戸内の周防市で暮らす高校生・小川遥香(16歳)です。3歳の時に両親に捨てられ、以来13年間育ててくれた祖母も亡くし、一人ぼっちになった遥香は、祖母の四十九日の法要の日に舞い込んだ一通の不思議な依頼の手紙を機に旅行会社「ブレーメン・ツアーズ」と出合います。思い出の地を訪ねる大人たちと触れ合いながら、「人生の走馬灯」に描かれるのはどんな場面なのか、その意味を考え、答えを探しながら成長していく、切なくてほろ苦くて心温まる物語です。
主人公は遥香だけなのか、親友で心憎い相棒の北嶋裕生(ナンユウ君)、ブレーメンツアーズの走馬灯の絵師で、渋さも渋し葛城圭一郎、トイレの長いのだけが玉に瑕だが、人生哲学を語る魅力的な社長(圭一郎の父親)、ナイスなキャラのブレーメンツアーズ社の女性事務員・小泉さん(大仏さん)など、個性的な脇役がイイ仕事をしています。実は、葛城親子は走馬灯の絵師なのですが、遥香もナンユウ君も、絵師になれる才能の持ち主だったのです。その能力が、謎解きのように場面を展開させます。
「ブレーメンの音楽隊」は、人間の虐待から逃げてきたロバが、イヌやネコやニワトリと出合い、音楽隊に入るために一致協力してブレーメンを目指すも、途中でドロボー軍団を追い払ったり、返り討ちにしたりして、最後はみんなで幸せに暮らすお話です。しかし、遂に、ブレーメンに行く事も、音楽隊員に仲間入りすることもなかったのです。
小説「はるか、ブレーメン」も、それに似ています。葛城社長は遥香に言うのです。
「ブレーメンとは、たどり着けない場所の事なんだ」
「ロバたちは最初に思っていた目的地にはたどり着けなかった。でもあの童話はハッピーエンドだ」
「だから私は、ウチの会社の名前に、ブレーメンを使ったんだよ」
たどり着けない街を目指す旅行会社――。たどり着けないものがあった人生をハッピーエンドにする会社――。
「それが、私たちだ」
村松光子さん(85歳)と息子の達哉さんは、ブレーメンツアーズの依頼者で、光子さんの走馬灯の旅に期せずして同行することになってしまった遥香とナンユウ君は、人生の走馬灯に画けるもの画けないもの、走馬灯はいかにあるべきかを、考え、発見してゆく旅となるのです。
今や認知症に罹った光子さんにとって、夫と離れて暮らした間の「不倫」問題を、走馬灯にどのような形で落ち着かせるか、高校生の2人にとっては理性と感情が交錯して複雑な心境です。彼女の背中にそっと手を当てると、読めてしまう絵師としての才能が、かえって2人を苦しめてしまうことにもなるのです。
走馬灯には、喜怒哀楽、様々な表情が浮かぶに違いありません。ひょっとしたら、お墓の中に一人で持って行こうと心に決めたようなものだってあるかもしれません。走馬灯を人々の前に画像のように流したとしたら、立派な人権侵害に当たることなのかもしれません。そんなことも、この毎日の小説を読みながらあれこれ考えさせられるのです。
いったい、この話は、どういう決着をつけ、読者に心地よく着地して見せるのでしょう。物語も佳境に入り、高校生2人が、以前のような高校生活を取り戻せるのかどうかも気になっているところです。
それにしても、「人生の走馬灯」は、洋の東西を問わず、人間なら誰にも当てはまることであり、そのことに焦点を当てて小説化した重松清と言う作家の挑戦に魅せられています。私はどんな走馬灯を脳裏に思い浮かべるのでしょうか?そして、あなたは?
「走馬灯こころに人を待つ夜かな」
高橋淡路女(1890年〜1955年)