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No.794 こんなお話のプレゼントはいかがでしょう?

第8回「全国高校生文章表現コンクール」(1990年)の小冊子が贈られてきたのは、もう30年も前の事です。そのコンクールで、個人特別賞となる文部大臣奨励賞に輝いたのは「朝日和」と題した浜田うららさん(徳島県)の作品でした。しみじみとした余韻や感動があります。少し長いのですが、紹介させてください。
 
 「朝の散歩の途中、蓮の葉に溜る朝露に指先で触れると、それはまるで甘露の味わいなのだと祖父は語った。真夏の暑い夜のことだ。そしてその話は、私の好奇心をムクムクと湧き立たせた。
 翌朝、早速祖父の散歩にくっついて行くことにした私は、珍しく早起きをした。午前六時、祖父と一緒に家を出た。セルリアンブルーのスプレーを吹きつけたような空の爽快感。祖父と肩を並べて歩くのは久しぶりのことだった。私の祖父は、大柄で温和な83歳。毎朝のこの散歩を、所要時間がいつもきっかり52分なので『52分のコース』と呼んでいる。その日の祖父は、白い帽子に白いシャツを着、手にした木製のステッキが何ともオシャレだった。祖父のゆっくりした歩調に合わせてゆっくり進む。祖父を見かけた人たちが、あいさつの声をかける。慣れた風に親し気に応える横で、私も知らず知らずのうちに愛想が良かった。孫である私としては、なるべくいい印象を彼らに与えたかったのだ。
 道々、祖父は山の形や稲の緑の美しさを一つ一つ私に説明してくれた。私の前に自然が広がる。美しい田舎の朝の景色が、祖父の言葉によって呼吸し始める。
 『なあうらら、ただ歩くだけやったら毎日同じ道も、こんな風に細かいことに目を凝らしながら歩いて行くとそれが少しずつ昨日とは違うんよ。日々変化していっきょるんよ。』
私は、何だか自分の持ち得ない世界を突き出されたような気がして、少し戸惑いながら頷いた。祖父は移り変わる季節をこうして静かに見つめているのだ。明日、この景色は祖父の目にどう映るのだろう。今日とは違う景色とはどんなものなのだろう――。
 いつの間にか、蓮根畑に着いていた。私達二人の背丈より高い蓮の葉が、ひしめき合って太陽に自己主張している。
 『さあて、朝露はあるかいな。』
まるで宝探しだ。私は少し背伸びしながら葉の顔をのぞいていく。祖父はステッキの柄に茎を引っかけ、一つ一つたぐり寄せていた。どうやらステッキはそのためのものでもあるらしい。5分探しても、露は見つからなかった。いつもはすぐに見つかるんやけど、と祖父も首をかしげた。蓮の葉の、少し毛羽立った表面の集団が、私という突然の侵入者を拒絶しているようで悲しくなってきた。もう今日は甘露は味わえないのだろうか。散歩の楽しみが半減しかけたその瞬間、
 『おお、あったあった。』
祖父が叫んだ。甘露!やっと巡り合えた。葉をのぞくとアメーバのような動きでうようよと転がる露が、太陽を反射してピンク色に光っていた。夏の恵みを一身に集めている。まるで生きているような朝露の輝き。
 『触ってごらん。』
うながされるままに、そっと指先を浸した。ああ、これだ。これが甘露の味わい。それは意外にひんやり冷たくて、とうとう念願が果たせた私は、感電したように身震いした。どう、と祖父の目が眼鏡を通して私に笑いかける。祖父の世界に一歩近づいた気がした。自然を、夏を、指先から感じた。まさしくそれは甘露の味わいと呼ぶにふさわしかった。この感動を、そんな言葉で表現してしまう祖父の情緒が、私にはとてもうれしかった。
 気がつくと、日差しは一層強まり、私も祖父もじっとり汗をかいていた。不思議と不快な感じはせず、むしろ私は汗をかくことにある種の充実感のようなものを感じていた。近くの学校へラジオ体操をしに行く数人の子供が、私達を追い越して行った。
 ふと、祖父は足を止めて側の木から一枚、緑が鋭くとがった葉をちぎり取った。
 『これ、何の木か知っとるか。きへんに冬って書いて……。』
   『あ、ヒイラギ。』
私も真似して取ろうとすると、たちまち葉のチクッとした攻撃にあってあわてて手をひっこめた。
 『ヒイラギは年をとるごとにこのトゲトゲしとる葉も丸みを帯びてくる。人間と同じじゃ。』
祖父はそう言うとまだ若い葉をズボンのポケットに突っ込み、かわりに飴玉の包みを2つ取り出した。それは手品師の手つきを思わせる巧妙さに近かったので、私はただぼんやりと見つめていた。
 『さて、この飴玉がどこまでもつか、いっちょ競争してみよう。』
私は笑った。こんな子供っぽいゲームが妙にうれしくて、楽しかった。祖父にとって私はまだほんの小さな子供なのかもしれない。
 包みを開くと、赤く透明の飴玉が真夏の太陽の陽に透けて、例の『甘露の味わい』を思い起こさせた。うるさいはずのセミしぐれが実に快い。ラジオ体操の元気なリズムがその間をぬってかすかに漂う。夏休みも半ばにさしかかる頃、私はその飴玉と散歩道が、どこまでも続けばいいのにと願っていた。」(全文)
 
先日、この資料をもとに中学生たちと話をする機会がありました。
「あなたのお爺ちゃんは、どんな人?」
と問うたら、「優しい」「毎日電話で話す」「いろんなことを知っている」「知らない言葉を話す」「塾の送り迎えをしてくれる」等々、聞かせてくれましたが、一人の女生徒が、
「歳の離れた、カッコいい男友達です!」
と思慕と敬愛を思わせる笑顔でこたえ、みんなからの視線を浴びました。カッコいい男友達に相応しいカッコいい女の子だなと思いました。
 
老人の知恵は、知識だけではないということを教えてもらった気がします。遠く離れて暮らす孫たちが、こんな風に思ってくれる日はくるでしょうか?
 
「菊植ゑて孫に書かする木札かな」
小林一茶(1763年~1828年)

※画像は、クリエイター・flow Essence 真柴 みことさんの、タイトル「荒梅雨や木霊のこゑも響き合ふ」をかたじけなくしました。「雨上がりの高野山。寺院の蓮です。」の説明もありました。うららさんのお話に符合するような画像作品とのめぐりあいを私もしました。お礼申します。