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No.949 魅せられ、乗せられ、舞い踊る。

秋田県では今月14日から活発な前線が停滞し、記録的な大雨は各地で大きな被害をもたらしました。秋田県内では、今も暮らしへの影響が続いているといいます。
そんな中、19日、穂積志市長と市竿燈会の加賀屋政人会長は、
「警備に万全を尽くしたうえで、(8月3日~6日までの竿灯まつりを)予定どおり開催する」
と明言したそうです。
「この災害を乗り越えて前に進むため、会員一同が希望の竿燈を上げることで、被災者を勇気づけたい」
とも述べていました。被災された皆様方には、心よりお見舞いを申し上げます。歴史と伝統あるまつりの行事が、皆様方の力となるよう祈ります。
 
秋田県仙北市には、大好きな民族歌舞団「わらび座」があります。終戦の翌年の1951年(昭和26年)2月に早くも創立されたそうです。現在、5つの公演グループで年間約800回の公演を全国で行っており、海外公演は、アメリカ、ヨーロッパ、アジア、ブラジルなど16カ国で行なっているとホームページにありました。

今をさかのぼること28年の1995年(平成7年)2月中旬のことでした。創立44年目の「わらび座」が来県し、大分文化会館で「おらだの祭り」の公演をしてくれ、家族4人で観に行きました。
 
第1部は、無声劇でしたが、歓喜・苦悩・祈り・希望・落胆・夢・怒り・愛のほか、幾つものテーマを、先端まで神経の行き届いたしなやかな指で、軽妙な踊りで、大胆で力強い演技で、男女の華麗にして豊かな人情の機微そして表現力で、舞台芸能の素晴らしさというものを心行くまで味わわせてもらいました。
 
第2部は、民謡劇団に相応しく、日本各地の舞踊や民謡を、緩急織り交ぜ、青森弁の名司会・名調子にいざなわれながら、非日常の別世界に遊びました。7歳だった息子が、そのリズムに魅せられ、いつしか客席でノリノリに踊り始めたのには驚かされましたが、
「もっと観たかったねえ!」
という子どもたちの一言が、すべてを言い当てていました。
 
 そういえば、鎌倉時代初期の説話集『宇治拾遺物語』巻1の3に「鬼に瘤取らるる事」(瘤取り爺)のお話があります。「瘤取り爺」の名は、古典に従えば「瘤取られ爺」ではないかというツッコミもありますが…。
 
山に薪を取りに行った右の頬に瘤のある爺さんは、風雨のために帰れなくなり、木の空洞に潜り込んで避けていました。そのうちに、どこからともなく鬼の一団が現れ、瘤取り爺のいる木の前で車座になり、宴会を始めました。次は、その一部抄出です。

あさましと見る程に、横座にゐたる鬼のいふやう、「今宵の御遊びこそいつにもすぐれたれ。ただし、さも珍しからん奏でを見ばや」などいふに、この翁物の憑きたるけるにや、また然るべく神仏の思はせ給ひけるにや、「あはれ、走り出でて舞はばや」と思ふを、一度は思ひ返しつ。それに何となく鬼どもがうち揚げたる拍子のよげに聞えければ、「さもあれ、ただ走り出でて舞ひてん、死なばさてありなん」と思ひとりて、木のうつほより烏帽子(えぼし)は鼻に垂れかけたる翁の、腰に斧(よき)といふ木伐る物さして、横座の鬼のゐたる前に躍り出でたり。

【口語訳】「(瘤取り爺が、鬼たちの楽し気な宴会を)驚いて見ているうち に、上座に座っている鬼が、『今夜の酒盛りは、いつも以上に面白い。じゃが、いっそう珍しい芸を見たいもんじゃ』と言った時に、この爺は、何かの霊がとり憑いてしまったか、それとも神仏がそう思わせなさったのか、『ああ、(わしも)走り出て舞いたいものじゃ』とは思ったが、一度は考え直した。それでも、鬼たちがはやしたてる拍子があまりに調子よく聞こえたので、『えい、かまうもんか、ただ走り出て舞うてやれ。死ぬならそれまでさ』と心に決めて、木の洞穴から、烏帽子を鼻までたれかけた爺が、腰に斧という木を伐る物をさして、上座の鬼の面前に飛び出した。」
 
霊がとり憑いたか、神仏の御意志だったのか?瘤取り爺は、「ああ、走り出て舞いたい!」と逸る気持ちを一旦は押し込めようとしますが、鬼たちが囃し立てる拍子に乗せられて、「えい、もう死んでもよいわ!」と言うほどの高揚感で浮かれ出てしまうのです。太鼓のリズム、手拍子と歌には、共同幻想してしまう甘美なエキスや癒しの力が、含まれているのでしょうか?
 
あの夜の息子は、幼い頃の瘤取り爺の姿かと思われました。


※画像は、クリエイター・Pupさんの、タイトル「お花のパッチワーク」をかたじけなくしました。「富良野四季彩の丘。パッチワークの花畑。」の説明もありました。声を上げたくなる1葉です。お礼申し上げます。