No.537 鮮度の落ちない成人へのエール

明治時代から今日まで約150年間、日本での成年年齢は20歳と民法で定められていましたが、2022年4月1日から、成年年齢が20歳から18歳に変わりました。尤も、女性が結婚できる最低年齢は16歳から18歳に引き上げられました。一方、飲酒や喫煙、公営競技に関わる年齢制限は、これまでと変わらず20歳ということのようです。

「成人」というと、今から20年近く前に大分合同新聞に載った記事を思い出します。それは、私の大好きな『家栽の人』の著者で漫画家・毛利甚八氏の「不安ですてきな20代へようこそ」と題した心を揺さぶられる文章です。今もスクラップしてあります。ご紹介させてください。

「成人を迎えられたみなさん、おめでとうございます。
みなさんの中には、すでに働かれている方も、勉強を続けている方もいることでしょう。また、ぼんやりと考え事をしている人もいるでしょうね。自分が二十歳のころを思い出してみると、今のみなさんにとっては、将来のすべてが不確定で、不安定で、自分がなにも力のない、小さなものに感じられることもあるのではないかと思います。
 ちなみに、私は二十歳のころに『自分は本当に実在しているのか』という哲学的命題に、二年間も悩んでいました(笑)。真剣に悩んで、本を読み、旅をして、トカラ列島で釣りをしている最中に『自分が生きて実在していること』を発見しました。自分が生きていることに、本当にびっくりしました。
 もやもやしたり、悩んだりすることはとてもツライことですが、私はそういう自分に向きあう時間を持てる二十代という季節が、人生にとって一番ぜいたくな時代ではないかと考えています。
 社会の中で自分を本当に表現できるのは、ずっと先の三十代や四十代です(そのことに私も後で気が付きました)。だからこそ、二十代の十年間を、好奇心をいっぱい持ち、先輩たちから生きる技術を盗みとり、嫌だと思ったことは、わがままでいいから、嫌だと言い切って生きてほしいのです。
 いけてる大人はわかってくれます。また二十代の時にサトリの境地に入っちゃうと、頭も心も錆びついて動かなくなります。
 今の日本は『偉い人、頭のいい人』が仕事を口実に弱い者いじめをする悪い癖があって、そのせいで行き詰まっています。大人の作った日本社会が、自分たちを点検して軌道修正することができなくなっているのです。
 その人たちはやがて去っていきます。だから大人たちを見て、あきらめたり、悟ったりしないでください。みんなが、あなたたちを頼りにしているのです。あなたたちが歌や物語を通して身に付けたすてきな心を世の中で実現していってください。
 二十代はスリル満点のジェットコースターのようなものです。不安もいっぱいだし、そこで得たものはあなたの一生を創造する大切な部分になっていきます。
 『楽しそうに』でなく、楽しくやってください。泣いたり笑ったりすることを恥ずかしがらないでください。
 人間は生きているだけで凄いんだから。」

この文章を書いた時、毛利甚八氏は45歳でした。2001年(21世紀元年)、東京から大分県豊後高田市に移住し、農業やダム問題などを取材して雑誌などにリポートしていたそうです。そんなご縁で、2003年1月のこの記事が成ったのでしたが、その12年後の2015年、病禍のために豊後高田市の自宅で永眠されました。満57歳でした。
 
小説家・井上ひさしは、
「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書くこと。」
と言ったそうですが、毛利さんの文章はまさにそれです。平易でいて奥深く、笑顔にさせて心をきゅっと締め付ける、そんな文章のように私には思われます。「家栽の人」桑田裁判官に諭されでもしているように感じ、素直に向き合えるのです。3度目の成人式の時に、改めて読み返してから既に9年が経ちますが、今も新鮮な味わいは変わらぬままです。いかがでしたか?