IT妖怪図鑑 - こちら特命システムゼロ課 #3 ー 魔画像・壊裂咤絵(まがぞう・こわれちゃえ)編

(一)

みのんの悪あがき

アラサー独身彼氏なしの喪女が一念発起、
BL作家を目指して奮闘中です。

BLに興味のない方は閲覧ご遠慮ください。

■プロフィール
Author:みのん

■最新記事
間に合わず


間に合わず
202X-07-31 23:49:07

間に合わなかった。

この場で、「絶対間に合わせてやる」って宣言してたのに

ほかでもない、ボビイさま小説新人賞の応募〆切

もう最低だ

自分で自分のふがいなさがイヤになる

そして、仕事のこととか、人生とか、すべてがイヤだ

仕事が忙しいことを理由にしちゃいけないって思うけど

それにしても

なんでこんなに忙しいわけ?

毎日最終電車で帰宅して、精も根も尽き果てて眠るだけ

小説書いてる暇なんて皆無

24時間全部欲しいとは言わない

ほんの1、2時間だけでいいから、みのんに時間をちょうだい

こんなこと考えちゃだめだって分かってるけど

顧客の担当者が死んじゃうとか

会社そのものが不祥事発覚で営業停止になるとか

いっそのこと地震とか火事で潰れちゃうとか

そんなふうにならないかな

そしたら、納期もなにも吹っ飛ぶのに

神様に祈ってもダメよね、じゃあ何に?

3 拍手


Comments

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
202X-08-01 00:49

はじめまして(o≧∀≦)o
突然のコメントになりますが…
みのんさんのブログに惹かれてコメント書かずにいられない気持ちになったんです。
もしよかったらワタシのブログにもあそびにきてください
1日たった1時間やるだけで月10万以上稼ぐ方法公開してます♪d(´▽`)b♪

とおりすが子 202X-08-01 03:25


偏差値30高校中退のバカなオレでも、年収2000万!
その秘密は -> ココ

やまだ 202X-08-01 04:10


あれ。みのんさんって、BL漫画家志望じゃなかったんですか。
陰ながら、生暖かい目で見守ってたんですけど。
前のブログが閉鎖しちゃったんでガッカリしてたら、同じHNでこっちを
やっておられるのを最近知りました。いつからBL作家目指すようになったの?

テトラパック 202X-08-01 05:29


フツーにセクロスして、フツーに5諭吉!
暑い中必死で焼きそば焼いてた半月返せっつーの凸(`⌒´メ)凸

ココ

X6ZER1230 202X-08-02 02:18


大きなお世話かもしれませんが
ウザいスパムコメントは通報するか
せめて削除したほうがいいと思いますよ。目障りだし。
バカを晒しものにし続けてやるという意図がおありなら
なにも申しませんが。

花曇り    202X-08-05 22:48

■最新記事
池袋にて
間に合わず(8/31)


池袋にて
202X-08-02 23:40:07

今日、ちょっと不思議な人に会いました

詳しいことを書く前に、コメレスです

テトラパックさま
みのんは、ウェブサイト制作会社のデザイナー兼エディター兼プログラマー兼
ディレクター補佐兼使い走りやってまして、絵も文章も好きなんです。
本当にやりたいのは漫画だけど、漫画家ってほら、デビューするのに
年齢制限があるのは業界の常識でしょう。だから小説へ方向修正しました。
今後とも応援よろしくです。

花曇りさま
以前はスパムコメントが書き込まれたらすぐ消してたんですけど、
けっこう最近慣れちゃって。
誹謗中傷のコメントだったら即削除ですけど、スパムコメントだったら
まあいいかなと思って。彼らも仕事でやってらっしゃるんだから。
でも、ほんとに記事を読んで下さる読者のみなさんの目障りになるんだったら、マメに消そうかな。

さて本題

今日、体調不良ってことで、会社を休んじゃった

ズル休みです

でも責めないでくださいね、みなさん

仕事がバカみたいに忙しくて、土日祝関係なく出勤してるんだから、

たまにはそういうこと、あってもいいと思うんだ

うん、大丈夫

計画性をもって休んだわけじゃなくて、

朝出勤時に突然、全部嫌になって、衝動的に決めたの

で、コーヒーショップで適当に時間潰して、ぶらりと池袋へ

もちろんおめあては、『乙女ロード』で~す

薄い本だよ、薄い本

ご同輩、ガンバってるなって、パワーをもらえるので、

いろいろ手に取って、

「ムム、これは」というのがあれば買っちゃいます

通販やってるところもあるけど、利用しません

レターパックなんかだと、郵便受けに無造作に突っ込まれて、

3分の1は外に出てんじゃん! てこと多いでしょ

悪意を持った人なら引っこ抜き放題で、しかも中身はテンテンテン。

オーマイガッ

だよね。うちのマンションの近所、変なの多いし

だから通販はNG

それでね

乙女ロードをウロウロしてたら、突然声をかけられたの

当然女の子、っていうか、女の人ね

年齢を聞いたら25だっていうから

あるお店の場所を訊かれたので、暇だから連れていってあげたわけ

なんとなく意気投合したから、

お茶しながらいろいろ話したの

彼女は、喋り方からして関西の人で、

なんと。なんとよ

麗〇さまのフレッシュ漫画大賞に入選して、

デビューに向けての打ち合わせをするために上京してきたんだって!!!

出版社への訪問前に、乙女ロードへ参詣するとは、

なかなか気合い入ってるでしょ

そのあとも、時間の許す限り、あちこち案内してあげた

みのんの場合、特に予定ないし

彼女、ものすごく感謝してくれて、別れ際に、

まぐろのお寿司の形をしたUSBメモリーを手渡してきたの

中身はフリーのグラフィックソフトで、

彼女はそれを使って漫画を描きだしてから、

まず2次選考常連になり、2回に1回は最終選考に残るようになり、

とうとう夢の入選を果たしたっていうのよ

ホントかなとも思うし、漫画のほうは諦めちゃったけど、

小説の分野でも彼女にあやかれるかと思って、もらってきちゃった

無碍に断るのも悪いでしょ

4 拍手


Comments

絵や文章。それにプログラミングまで。すごいですね。
いろんな才能を持ってらっしゃるんだなあ。
引き続き応援します。夢に向かってガンバ。

テトラパック 202X-08-03 00:22


なんかその女性、怪しいッスね
もしかして、新興宗教の勧誘じゃないの

オンディーヌ伯爵 202X-08-03 00:45


管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
202X-08-03 01:10


私もオンディーヌ伯爵さんに同意
不用意にアプリケーション起動しないほうがいい
どこかにネット経由で勝手に繋がって、個人情報とか盗まれたらヤバいよ

クロユリ団地444号室 202X-08-03 01:45


連続コメ失礼

本当に、その女の人、賞に入選したのかなあ
名前はお聞きになりましたか?
麗〇のサイトで受賞者の一覧見れば、本物かどうか分かるよね

クロユリ団地444号室 202X-08-03 01:48


はじめまして(o≧∀≦)o
突然のコメントになりますが…
みのんさんのブログに惹かれてコメント書かずにいられない気持ちになったんです。
もしよかったらワタシのブログにもあそびにきてください
1日たった1時間やるだけで月10万以上稼ぐ方法公開してます♪d(´▽`)b♪

とおりすが子 202X-08-05 03:25


セクロスしてやったら、喜んで5諭吉くれたよ(゚∀゚)ウッーウッーウマウマ
あんなに若くて美人なのに、カレシいねーのかよ((((((((o_△_)o わからんのぉ~♪

ココ

X6ZER1233 202X-08-05 04:39


■最新記事
グラフィックソフト
池袋にて(8/2)
間に合わず(7/31)


グラフィックソフト
202X-08-05 01:33:01

みなさん、いろいろアドバイスありがとうございました

で、みのんは、そのグラフィックソフトをどうしたか

……

………

ジャーン、結局インストールしちゃいましたあ!!

でも、みなさんのアドバイスに従いまして、

自宅のパソコンじゃなくて、

会社のパソコンにしたんだけどね

でも、すごく機能的にショボイの

Windowsにオマケでついてくる『ペイント』ってあるでしょ

あれに毛が生えた程度なのよ

こんなんじゃ、まともな漫画なんて描けないわ

でも、ひとつだけすごい機能があるの

ソフトを起動すると同時に、画面に少年が現れて、使い方を教えてくれるのよ

昔、マイクロソフトのオフィスに“アシスタント”っていたでしょ

イルカや女教師や変なロボットがアニメーションするやつ

ようするにヘルプなんだけどさ

あれの発展系みたいなのが出てくるわけ

絶対、技術力の投入場所を間違ってるわね。グラフィックソフトなのに

めちゃめちゃ賢いAIで、本当に幼児と会話してるみたいよ

実際に喋るし

マイクがないからテキスト入力で話してるけど、

繋げば音声認識もしてくれるんじゃないかな

どんどん言葉を覚えて、賢くなっていくのが面白くて、

気づいたら最終電車逃してたわ。いま会社

大丈夫、よくあることだから

2 拍手


Comments

はじめまして(o≧∀≦)o
突然のコメントになりますが…
みのんさんのブログに惹かれてコメント書かずにいられない気持ちになったんです。
もしよかったらワタシのブログにもあそびにきてください
1日たった1時間やるだけで月10万以上稼ぐ方法公開してます♪d(´▽`)b♪

とおりすが子 202X-08-05 03:21


みのんさん、おはようございます

無茶するね。

自宅のパソコンだと怖いからって、会社のパソコンにインストール
しちゃうってのはどうなのかなあ。
みのんさんの会社は、そのへんあまあまなの?

クロユリ団地404号室 202X-08-05 06:01


はじめまして(o≧∀≦)o
突然のコメントになりますが…
みのんさんのブログに惹かれてコメント書かずにいられない気持ちになったんです。
もしよかったらワタシのブログにもあそびにきてください
1日たった1時間やるだけで月10万以上稼ぐ方法公開してます♪d(´▽`)b♪

とおりすが子 202X-08-05 06:25


とおりすが子、ウザい
毎回同じコメント。芸がなさすぎるわ
私のブログにも、芸のないコメントしてきてましたよ、このバカ
みのんさんが、マメにスパム消さないから、調子に乗るんですよ
なんなら私が通報しましょうか

花曇り    202X-08-05 22:48


■最新記事
なにこれ?
グラフィックソフト(8/5)
池袋にて(8/2)


なにこれ?
202X-08-07 02:41:33

不思議なことが起こった

例のグラフィックソフトだけど、絵を描くためには全然使ってない

アシスタントの子供、“洋一”て命名したんだけど、

彼とはずっとお話ししているの

本当に人間みたいよ。みのんの愚痴をフンフンって聞いてくれるんだから

で。昨日だったかな、今一番の悩みを洋一に愚痴ってたの

名前は出せないから、イニシャルにするけど、

うちのクライアントで、食品卸会社のA社っていうのがあって、

その担当者のSが、心底ウザいのよね

デザインや文章の、ほんと細かいところまで口出しするし、

システムの仕様はちゃんと決めないし、

昨日言ったことと今日言うことが違うし

そのくせ、納期は絶対に譲らないのよ

「あんなヤツ、交通事故に遭って動けなくなればいいのに」

って洋一に愚痴ったら彼、「じゃあ僕に任せて」って言ったわ

そしたら勝手にソフトが動きだして、どんどん絵ができていったの

幼稚園児が描いたみたいにヘタクソな絵なんだけど、

Sの特徴がだけは、なぜかよく捉えられていて、妙にリアルで

そのSが車(みたいな箱www)に跳ね飛ばされて、

キャーとか叫んでんの

メチャ面白かったんで、保存しておいた

そしたらね

なんと今日、A社から連絡があって、Sが本当に交通事故に遭って、

左脚の複雑骨折で、入院しちゃったんだって

うちに頼んでたサイトの構築は、全面的にSに任せてたんで、

ほかの人じゃ、なにがなんだか分からないの

早めに代役を立てるから、それまで開発は凍結してくれって

やったー♪

これでちょっとは楽になる

でも信じられる?

偶然にしては、あまりにもデキすぎよね

1 拍手


Comments

不思議な話しですね

でも、いくら嫌な奴とはいえ、クライアントの不幸を喜んでブログに
書きたてるのはどうかと思いますけど。

クロユリ団地444号室 202X-08-07 05:59


はじめまして(o≧∀≦)o
突然のコメントになりますが…
みのんさんのブログに惹かれてコメント書かずにいられない気持ちになったんです。
もしよかったらワタシのブログにもあそびにきてください
1日たった1時間やるだけで月10万以上稼ぐ方法公開してます♪d(´▽`)b♪

とおりすが子 202X-08-08 06:11


■最新記事
やっぱりホンモノ!
なにこれ?(8/7)
グラフィックソフト(8/5)


やっぱりホンモノ!
202X-08-09 03:11:24

やっぱり洋一の力はホンモノだった

次は、アパレル卸のM社の担当者Yよ。

とにかく恰好つけたがる奴でさ。女癖が悪くて

うちの女性スタッフにもモーションかけたりしてるのよ

仕事は全然できないくせに、そっちのほうだけマメなの

みのんはまあ、そんな奴相手にしないけど

Yの場合は、工事現場の傍を歩いているときに、

16トンの錘が落ちてきて、

ぺちゃんこになる絵なの

まあ現実にはそんな、漫画みたいなことありえないけど、

Yの住んでいるマンションが外壁補修をするってことで、

今、足場を組んでるのよね

どうなったか分かるでしょう。

足場の建材を鳶の職人さんが誤って落とし、Yの左肩に命中

鎖骨粉々

即入院

いい気味だ

0 拍手


Comments

みのんさん怖い。魔女みたい

そのグラフィックソフトだか洋一君だかが不思議な力を持ってるとして、

ちょっと間違った方向に使ってるんじゃないの

一日も早く、昔のようなBL作家挑戦日記に戻って欲しいです。

テトラパック 202X-08-09 08:33


なにこのブログ?

ホントにあるの、その呪いのグラフィックソフト。

手の込んだ創作公開じゃないのか

どこまでも続く蒼い空 202X-08-09 21:18


ヤバいよ

もし本当だったら、警察に通報していいレベル

もしかして公安? それともCIA、NASAかな

幻存在調査委員会 202X-08-10 21:18


はじめまして(o≧∀≦)o
突然のコメントになりますが…
みのんさんのブログに惹かれてコメント書かずにいられない気持ちになったんです。
もしよかったらワタシのブログにもあそびにきてください
1日たった1時間やるだけで月10万以上稼ぐ方法公開してます♪d(´▽`)b♪

とおりすが子 202X-08-11 06:08


■最新記事
コメントは受け付けない
やっぱりホンモノ!(8/9)
なにこれ?(8/7)


コメントは受け付けない
202X-08-10 05:12:11

コメントを受け付けない設定にした

スパムがウザいからじゃないのよ

善人ぶって、いろいろ言ってくる人が面倒だから

みんな、みのんが力を持ったんで嫉妬してるんでしょ

「BL作家挑戦日記に戻って欲しい」

笑わせんじゃないわよ

どうせ、

「お前なんか、BL作家になんてなれっこない」

と思ってるくせに

みのんが苦しんでいるのを確認するために、ここへくるのよ

ちょっと目を話している隙に、作家になられると困るから

自分と同じ、才能に恵まれない人間がいると安心するんでしょ

でも、残念でした

そう。みのんは力を手に入れたわ

羨ましい?

0 拍手


Comments

このブログはコメントを受け付けていません。

(二)

「我がIT業界にも繁忙期というものがあります。一般的に企業の年度末は三月、概ね上期と下期に分かれていますので、九月が上期末となりまして、IT関係の予算を遣い切るため、三月末納期、九月末納期の開発が集中するわけです。
 場合によっては、三つも四つも大きなプロジェクトが平行で動くなどありまして、それに合わせて大量に技術者を投入すれば済む話なのですが、そうもいかないのが現実ですね。人を多く投入すればするだけ人件費その他が膨れ上がりまして、利益が減少します。
 となると、経営者側としては、可能な限り人員を減らし「繁忙期が過ぎたら埋め合わせするから、精神論根性論で頑張ってちょうだい」ということになります。一人月の作業でも、十六時間働けば、半月でできるじゃないか(一人日=八時間で計算する)というやつです。
 確かに机上ではそうなりますが、技術者としては堪ったものではありません。あまりの忙しさに、もうわけが分からなくなって、『ああもう誰か助けて。神風が吹いて、いくつかのプロジェクト吹っ飛ばぬものか』と夢想するようになります。
 だがそれはあくまで夢想であって、現実には起こりえません。顧客の担当者は益々壮健で、ビシビシ技術者を追い立てるのです。
 しかし、ここにその夢想を現実のものとしてしまうIT妖怪がいます。それが、『魔画像・壊裂咤絵(まがぞう・こわれちゃえ)』なのですね。
 不幸中の幸いと言えるのは、今回出現したのが、小規模なウェブシステム開発会社であり、当然顧客も小口だということです。従って、顧客担当者が入院したり、不渡り出して社長が逃げたりという、小さな災厄で済んでいますが、もしこれが例えばツサのように、大企業ばかり相手にするところだとあなた、それはえらいことになるところですよあなた。
 大企業向け情報システム開発は、担当者の一人や二人倒れたところで止まるものではありませんから。『本社付近で局地的直下型大地震が起こって、潰れちまわないだろうか。もしくは本社ビルにメテオが直撃せぬか』というような夢想が現実になったら、何百、何千と人が死ぬのです。
 ああ危なかった。ああビビった。
 そうは言っても、『魔画像・壊裂咤絵』は大変危険なIT妖怪でありますので、可及的速やかに手を打たねばなりません。薬師神さんにはですね、本日早速このブログの主、鷹野洋子(たかの・ようこ)さんが勤務する会社に乗り込んでいただきます」
 IT妖怪『魔画像・壊裂咤絵』に憑依されたと目される女性のブログに、ひと通り目を通した剛に対し、いきなり装社実が滔々とまくしたて、指令を発してきた。
 月曜日の朝。場所はシステムゼロ課のオフィスである。剛が到着したのは、八時半ごろであったが、既に装社実は出社してきていた。さらに、松本瑠美衣まで出社してきていることから、事態がかなり急を要していることが分かる。

「あの。また松本さんが営業担当という触れ込みで二人で乗り込んで、自分だけ置き去りにされるわけですか」
「済んだことをグチグチ言わない。薬師神さんらしくありませんぞ。実は念のためお二人に召集を掛けさせていただいたのです。どちらかお一人にしか声を掛けていなくて、よんどころない事情でバックレられると、目も当てられませんからね」
「よんどころない事情って?」
「代表的な例をあげるとすればだな、カノジョとの逢瀬を優先するとかに決まってんじゃねえか」
 松本瑠美衣は、意味ありげな笑みを浮かべている。二人は昨晩剛が、城富美子と会っていたのを知っているのだ。
「自分はそんな男じゃないです!」
「まあまあ、そういきり立ちなさんなって。バックれなかったところを見ると、なんかこう、しっくりスッポリいかなかったんだろ。とにかく気が強ええ女だからな、城富美子課長殿はよう。喧嘩でもしたのか、あ?」
「“スッポリ”ってなんですか?」
「俺ぁ小娘だからその、よく分かんないけどよ。オトナの男女の間にゃ付きものの奴だ」
「……」
 確かに喧嘩別れになってしまったが、どうしてそれを松本瑠美衣が知っているのか。
「やっぱりあの、スモモが怪しい。ゼロ課の肝煎り工作員に違いないんだ」
 剛は思わず口に出してしまった。
「スモモがどうしたって?」
「あ、いえ。まあ端的に言わせていただきますと、大きなお世話であるということです」
「ふうん」
「松本さん。薬師神さんのプライベートについてあれこれ言うのは、まあちょっと面白いですが、それぐらいにしておきなさい。時が移りますから。薬師神さんが緊急招集に応じてくれましたので、本件は薬師神さんに任せることにします」
「ちょっと待ってください。腑に落ちないことが山ほどあります。ウェブ・ダイナミクスは小さな会社、仕事も中小相手でしょう。要するに、人知れずこじんまりと事件は起こったわけです。
 よくゼロ課でIT妖怪の出現情報を入手できましたね。情報はこのブログだけなんでしょう。ブログなんて、本当のことが書いてあるとは限らない。この女性の作り話、妄想かもしれないじゃないですか。
 大体、このブログの主が、ウェブ・ダイナミクス社の鷹野洋子さんであると、どうして特定できたんですか?
 そもそも、 X(旧Twitter)ならまだしも、こんなことを言ってはなんですが、ブログですよね。閲覧者数が絶望的に少ない。一記事十人未満でしょう。よく見つけたものだ」
「薬師神さんが疑問に思われるのはもっともです。実は先日、渋谷へいく用事がありましてね。たまたまウェブ・ダイナミクス社が入居しているビルの前を通行中に、私の妖怪アンテナが、ピピピと反応したのですねえ」
「よ、妖怪アンテナ! 本当ですか?」
「嘘です。だからあ、ゲンコにハァーって息を吹きかけないでくださいってば。怖いから」
「こういうシチュエーションで、薬師神さんに冗談言ったって通じねえよ。てえげえにしとかねえと、仕舞いにボコられるぜ。俺が説明してやらあ。『ウェブ・ファクトファインド』って、ウェブシステム開発会社があるんだよ。本社は渋谷だぜ。この会社がだな、ご近所のよしみで、ウェブ・ダイナミクスに、自分ちの案件を外注してたんだな。
 で、ウェブ・ファクトファインドの社長、斉藤一成(さいとう・かずなり)って言うんだけど、この斉藤さんの体調が、最近思わしくねえんだよ。煙草は吸わねえ、酒は付き合い程度。休日はテニス、アフターファイブで予定がないときゃジム通いっていう、ちょっと胸クソ悪くなるほど健康的な生活を送っているにも関わらず、動悸、息切れ、眩暈がひでえんだってさ。
 それも、ウェブ・ダイナミクスに顔を出すたんびにひどくなるんだってよ。この前なんぞ、鷹野洋子と話してたら突然気分が悪くなって、トイレへ駆け込み、げえげえ吐いちまったって寸法なんだ」
「それはかなり危険な状況ですね。斉藤さんは無事なんですか?」
「一応な。けど、薬師神さんの言う通り、かなりヤバいぜ。ウェブ・ダイナミクスからすりゃあ、ウェブ・ふぁ。ええぃ! なんでITカンケーの会社の名前って、こう長ったらしいんだろ。“ひた”を噛んじまうぜ“ひた”をよぉ。“ダイ”ちゃんと“ファ”ちゃんでいいや。ダイちゃんからすりゃあ、“ファちゃんは、れっきとしたお客さんじゃん。ダイちゃんとこのお客さんに、いろんな災厄が降りかかってるわけだろ」
「ファちゃんとすれば、社長に倒れられると、仕事どころの騒ぎじゃなくなりますね」
「斉藤さんは、慌てて病院に駆け込んださ。近場のクリニックじゃ駄目だてえんで、大学病院であれこれ検査しても、皆目原因が分からねえ。挙句の果てに、“自律神経失調症”って診断下されちゃってさ。原因が分かんねえときの切り札だろ、あれって。そこで斉藤さんは、『もしや』と、ある可能性に気づいたって寸法さ。ポイントは、ダイちゃんところでげえげえ吐いたとき、強烈な硫黄臭を嗅いだってことだな。で、ゼロ課に話しが来たって寸法よ」
「まさか、鷹野洋子さんが、IT妖怪に憑依されてるってことに気づいたって言うんですか? なぜその斉藤さんは、IT妖怪の存在を知ってるんです?」
「斉藤一成って男は昔、システム三課にいたんだ。なかなかの遣り手でよ、雇われ人の立場にゃ収まらなかったんだよな。で、のれん分けみたいな恰好でツサから独立して、ファちゃんを起こしたわけさ。当然、四方さんが全面的にバックアップしてるんだぜ」
「なるほど。四方システム本部長と通じているなら、IT妖怪の存在を知っていても不思議はないか。でも、まだまだ腑に落ちないところがあります。鷹野洋子さんに憑いたIT妖怪が『魔画像・壊裂咤絵』と特定できたのはどうしてですか?」
「さっき、鷹野洋子が書いたブログの記事読んだだろうがよ」
「だから、鷹野さんのブログなんて、先ほど言ったように、普通見つかりませんよ」
「普通ならな。でもうちには、普通じゃないナマハゲ先生がいらしゃるんだぜ。斉藤さんが、ウェブ・ダイナミクス社のドキュメントサーバーへリモートでアクセスできる権限を持っててさ。そこを突破口に、ナマちゃん自慢の『磁気神(じきがみ)』を放って、情報をかき集めたのさ。その情報の中に、くだんのブログへの数百回にも及ぶアクセスが記録されてたってわけ。いくらお気に入りって言ったって、お他人さまのブログに対するアクセス数じゃねえだろそんなの。当然自分ちだわな」
『磁気神』とは、ナマちゃん作で、いくつかのキーワードや条件を与えると、ネットワーク内のサーバーから個人使用のパソコン、それにUSB接続されているタブレットからスマホ、はたまたデジカメからシリコンオーディオ機器に至るまで、すべてのファイル及びメモリ内を舐め倒して、関連するデータをかき集めてくるという、ほとんどIT妖怪のような情報収集プログラムなのだ。
「なるほど」
「納得していただけましたか」
「はい。では『三種の神器』を準備します」
「ちょっとお待ちください。本日いきなり対決というわけにはまいりませんよ。薬師神さんには、ええっとそうですね。一週間ほどウェブ・ダイナミクスの社内に潜入し、内偵していただきたいのです」
「なぜですか。その鷹野洋子さんって女性が『魔画像・壊裂咤絵』とやらに憑かれているのは確実なんでしょう」
「先ほども申し上げました通り、ウェブ・ダイナミクス社は、アルバイトや契約社員なども含めて、従業員二十名程度の小規模な会社で、顧客も大手はないですから、“退魔令状”があれば、あれこれ手を回さなくても一発でお縄にできるでしょう。しかしながら、その退魔令状がちょっとね。結局、伝聞証拠しかないわけですから」
「でもですね、自分の場合、ウェブサイト構築は完全に畑違いですよ。『ウェブサイトってツラかよ』と、自分でも思いますもん。ウェブ・ダイナミクス社には、一応ウェブシステム技術者の立場で行くわけでしょう。ちょっと無理があるのでは」
「ご安心ください。その辺はちゃんと策を講じてあります。四方さんにお願いして、三課が抱えているウェブサイト開発案件の中で、わりと大きめの奴をウェブ・ダイナミクス社に外注してもらうことにしたのです。ウェブ・ダイナミクス社としては、顧客側のキーマンが突然倒れたり、客先の経営が傾いたり、いろいろあってプロジェクトが頓挫し、お金を回収できなくて資金繰りが苦しいわけでしょう。そこへ業界では大手の部類に入るツサから仕事が舞い込めば、一も二もなく乗ってきます。実際、二つ返事で乗ってきましたからね。
 うちとしては、ここで条件をつけました。『本来機密保護の観点から、技術者を供出してもらってツサ社内での開発となるが、そこはそれ、作業場所を確保できないので、ウェブ・ダイナミクス社に持ち帰っていただく。ただし、ツサから管理責任者を派遣する』とね。薬師神さんにはその“管理責任者”としてウェブ・ダイナミクス社に乗り込んでいただくという寸法です。いかがですかこの完璧な作戦は」
 装社実は得意げである。だが、一番大切なことが念頭にないようだ。
「余計駄目じゃないですか。ウェブシステムのことに詳しくないと、管理責任者なんて務まりません」
「大丈夫でしょう。“管理責任者”なるものは往々にして、システムのなんたるかをちっとも分かっちゃおらんのですから」
「そんな考え方だから、IT妖怪が世に憚るんでしょうが! だいたい、三課の大事な案件でしょう。『魔画像・壊裂咤絵』の通力で開発が頓挫して、納期に間に合わなかったらどう責任を取るつもりですか?」
「あ」
「あ。じゃないでしょうに」
「装社のおやっさんだぜ。その辺のことは、ちゃんと手を打ってるよ。そろそろお越しになるんじゃねえのかな」
 松本瑠美衣は、壁掛け時計に目をやった。時刻は九時五分前である。
 チリン、チリリリン
 入り口に設置している、アナログな呼び出しベルが鳴る。ハードとソフト両方の天才技術者が揃っているのだから、人感センサーと連動した訪問者監視システムぐらい作られそうなものだが、社内設備については金と時間を掛けないというのが、ゼロ課のモットーなのである。
「お越しなすったみてえだぜ」
「松本さん、お迎えしていただけますか」
「合点だ」
 松本瑠美衣が、入り口へ小走りで駆けていく。
「実はシステム三課から、技術者を一名お借りすることにしたんです。彼女と薬師神さんとのペアで、ウェブ・ダイナミクス社に乗り込んでいただきます。あなたが管理責任者、彼女が補佐役ということで」
「“彼女”ということは、女性なんですか」
「おや。女性だと不服ですかな」
「別にそういうわけではないのですが」
「女性だと思って侮ってはいけませんよ。現在三つでしたか、四つでしたか、正確な数は失念しましたが、プロジェクトのマネジメントを任されている遣り手ですからね」
「そんな重要なポストにいる人を借り出して大丈夫なのでしょうか」
「なあに、何ヶ月も借りだすわけでなし。また、ウェブ・ダイナミクス社に外注するのは彼女の担当プロジェクトですし。なにより、今回の件は彼女の希望なのです。是非ともゼロ課。と申しますか、IT妖怪ハンター薬師神剛さんの手助けをしたいと」
「はあ」
「彼女は、鷹野洋子さんとは同年代ですし、立場も近いものがあるので、『魔画像・壊裂咤絵』を召喚してしまった気持ちがよく分かるのでしょう。なんとか救ってあげたいと、闘志満々でしたよ」
「鷹野洋子さんって、おいくつでしたっけ?」
「二十九歳です。三課の彼女は二十八歳ですね」
「もしかして」
 剛の頭に、ある人物の名前が浮かび上がってきた。
「まさかとは思いますが、その“三課の女性”って、桃栗係長ではありませんか?」
「その通り。桃栗咲(ももくり・さき)係長です」
 桃栗咲とは、“銀の爪を持つAI美女”の異名をとる、ツサでは知らぬ者がいない名物係長だ。ボディラインくっきりのスーツに身を包み、冬でも豊満な胸の谷間を大胆に開帳し、『お前はCGか?』とツッコミを入れたくなるほどの端整な顔立ち、髪は金色、とろけそうなほど厚ぼったい唇は真紅、そして異名の通り、爪には銀色のマニキュア、常にヒール十センチ以上のパンプスを愛用しているという、まさに“シンボルとしての女性”が具現化したかのような美女だが、仕事に関しては鬼になる。
 若い男子社員などは当然、一日二百五十六回以上叱り飛ばされるし、女子社員は一日六回トイレで泣いているし、上司であるはずの課長ですら、失態を演じたが最期ボロカスに貶されるという、“三課の女帝”なのである。社長も部長も課長もへったくれも、まとめて“ちゃん”呼ばわりだ。
 ただし、彼女が係長に就任してからは、三課の売り上げは、対前年比一・五倍以上、対前月比一・二倍を何ヶ月も継続中で、来季の異動では課長昇進間違いなしと目されている実力者なので、誰も文句を言えない。ツサ社内において、男子社員も含めて桃栗咲と対等に渡り合えるのはただ一人、二課の城富美子のみと言われている。
 同期入社の城富美子を宿命のライバルと見做しており、富美子が先んじて課長に昇進した日などは、残念会と銘打って若い男連中を引き連れ、飲み屋を十六軒ハシゴし、ベロベロに酔っぱらった挙句、歩道と車道を隔てるガードレールを十数メートルに渡ってボコボコにしたという、都市伝説並みの逸話を残している女傑でもあるのだ。
「桃栗係長はちょっと。先ほど課長は、自分が管理責任者で、桃栗係長が補佐役とおっしゃいましたよね。彼女がボスで、自分はボディーガードという役割のほうがしっくりくるような」
「ま。どっちだっていいのですけど。桃栗係長は、確かにさまざまな武勇伝をお持ちの女性ですから、薬師神さんとしても、一抹の不安を覚えられるかもしれませんね」
「一抹どころの騒ぎではありません」
「しかし、彼女が今回の任務に最適な人物である理由が、もうひとつありまして。これが大事なんですね」
「どんな理由ですか?」
「それは、ご本人にお会いになれば、すぐ分かりますよ」
「お連れしたぜ」
 剛の背後で、松本瑠美衣の声がした。振り向くと、松本瑠美衣の後ろには、乳房と尻の張りを完璧に維持して、シェイプアップに成功したマリリン・モンローが立っていた。身長も、百七十五センチある城富美子には及ばないが、百七十センチ近くはありそうだ。どちらかと言えばスリムな体型の城富美子に対して、ボディーラインの凹凸が段違いなのである。もしこの場にナマちゃんと袴田端正がいれば、両者とも、原因は違うが失神必至である。
「この人が三課の名物、“銀の爪を持つAI美女”こと、桃栗咲係長だぜ」
「あ。はじめまして。自分は薬師じ」
「きゃあああああああああああああああ!」
 慌てて椅子から立ち上がり、しどろもどろになりながら発した剛の挨拶は、桃栗咲の悲鳴にかき消されてしまった。
「本物だわ。本物の剛さまよぉ! 今ブリブリ売出し中のIT妖怪ハンター、薬師神剛さまだわ。もうウソ、信じられなぁい」
 桃栗咲は、金切声を上げながら、剛に駆け寄った。と言っても、不安定なハイヒールなので、加速力はない。彼女は剛にしがみつき、胸板に顔を埋め、しなやか指先で彼の胸にセーマンドーマン模様を描いている。剛はなされるがまま、桃栗咲の鼻に掛かった甘い声、柔らかすぎるボディーの感触、趣味のよいフレグランスの香り、そしてなにより、むせ返るような色香に圧倒され、身動きができない。
「いかがですか薬師神さん。これこそ桃栗係長が、今回の任務に最適である理由です。彼女は、実はあなたのチョー熱烈なファンでしてね。ミッション遂行にあたり、協力を惜しまないと約束してくれました。要するに『もう剛さまのためなら、なんだってやっちゃうわ』状態なんですねえ」
「しかし、残念だったぜ桃栗係長。この剛ちゃんと俺なんて、既にチューを交わした間柄でねえ。ちィとばかし遅かったな」
「黙れ小娘!」
 桃栗咲の、ドスの利いた一喝で、松本瑠美衣は黙り込んでしまう。
「剛さまがゼロ課にいらっしゃって一ヶ月近く経つんだろう。それなのにキスだけかい。はっ、私なら、とっくの昔に寝技を極めて、ややこのひとり孕んでいるさ。剛さまをモノにすれば、憎っくき城富美子に一泡吹かせてやれる。この千載一遇のチャンス、逃してたまるものか。いいか小娘、邪魔をしようなどと、努々考えるんじゃないよ」
 松本瑠美衣は、キツツキの如く、ただ首肯するのみだった。彼女が気圧されているのを見るのは初めてだ。
「では剛さま。そろそろ参りましょう」
 桃栗咲は、するするっと腕を組んできた。
「……」
  松本瑠美衣に対する口調と、剛に語りかける口調の間には、一オクターブ半ほどの開きがある。超絶レベルのツンデレ振りで、男として冥利に尽きる状況だが、剛の頭は覚めきっていた。なぜなら、装社実の様子が普通ではなかったからだ。装社実は平素飄々としてはいるが、存外に感情が表に出やすいタイプである。なんとはなしに落ち着きがなく、剛と目が合うと、あらぬ方向へ目を逸らす。しかも、鳴りもしない口笛をヒューヒュー吹きつつ。絶対に、後ろめたいことがあるに違いないのだ。
「さ。早く、二人きりになりたいわ」
「はあ。ではちょと準備しますので」
「ちょっと待ったぁ!」
 事務所の入り口に仁王立ちし、大音声を発したのは、言わずと知れた袴田端正だ。
「なんか。なあんか、珍しく、月曜の朝っぱらから、事務所が騒々しいなと思ったら、かかる、けしからん仕儀に及んでたのかぁ薬師神氏ぃ!」
「剛さま。なんですの、あの人」
「ゴルルルルゥラァァァ薬師神氏ぃ。二課の高次元知的生命体、城富美子課長だけでは飽き足らず、ゼロ課に咲いた可憐な花である松本瑠美衣ちゃん、挙句の果てに三課の女神、ツサの至宝、桃栗係長までその毒牙に掛けやがって。どれだけ他の男子の夢を奪えば気が済むっていうんだこの腐れチ〇コ。むぉう許さんぞぉ。お願い一人だけでいいから回して。頼むよぉ」
 剛は、袴田端正をまったく相手にせず、黙々と出かける準備をする。
「桃栗係長。支度ができましたので、出発しましょう」
「はい。でもあの、薄汚いバーバパパはどうなさるの?」
「ば、バーバパパぁ? ひどいじゃないですか桃栗係長。ほら、ボキですよ、ゼロ課の課長代理のほら、袴田端正ですよぉ。三ヶ月と十八日、四時間と二十七分前にほら、本社でほら、経営戦略会議の席でほら、ご挨拶をほら、させていただいたじゃないですかぁ」
「ほらほら言われましても、記憶にございませんわ。わたくし、汚いものは努めて視界に入れないようにしておりますのよ。それがキレイを保つ秘訣ですの」
「ひどい。ひどぉい」
 袴田端正の上下の唇がヒクヒク震えている。もしかして泣きだすかもしれない。剛の背後で、誰かが席を立つ気配があった。おそらく松本瑠美衣がことの成り行きに業を煮やし、袴田端正の駆除を決断したのだ。まかり間違うと大惨事に至る惧れがある。
「桃栗係長、相手にせず行きましょう」
「でも」
「大丈夫です」
「なあにが相手にせずだ! なあああにが大丈夫なんだよ薬師神氏ぃ。分かった。そっちがその気なら、こっちはこの気だぁ。二人きりで出掛けたかったらなあ、このボキを打倒して、屍を超えてゆけえい!」
 袴田端整は、そう叫びながら両手両足を広げ、鼻息荒く入り口に立ち塞がった。やることがまるで子供である。
「チッ。いい加減にしとけよ。腐れチ〇コはてめえだ」
 これは、松本瑠美衣ではなく、桃栗咲が発した声である。松本瑠美衣を一喝したときより、さらに半オクターブ声の調子が下がっていた。
「ちょっと。落ち着いてください係長」
 桃栗咲は、剛の制止を聞かず、つかつかと袴田端正に歩み寄り、「バルス!」と叫びながら、いきなり彼の眉間にケンカキックを放った。やはり、ガードレールボコボコ事件は、都市伝説ではなかったのだ。
「ぴけぇぇぇぇぇぇ」
 袴田端正は、奇妙な叫び声を上げつつ、ゆっくりと崩れ落ちていく。彼の眉間には、くっきりとピンヒールの跡がついていた。そんなところには当たっていないのに、鼻血を噴出しているのは、短めのスカートを着用している桃栗咲から蹴りを見舞われたときに、なにやら至福の光景を目にしたからだろう。せめてもの餞というところである。
「嫌だ。剛さまに、はしたない姿をお見せしてしまいましたわ。こっ恥ずかしゅうございます」
「いえ。あの、とにかく出発しましょう。すごく時間を無駄に遣ってしまった気がしますので。課長、申し訳ありませんが、後始末お願いします」
「了解です。袴田さんの場合、ゼロ課の諸君に可愛がられて、かなり打たれ強くなっていますから、うっちゃっとけばそのうち蘇生するでしょう」
「桃栗係長! 俺、あんたに弟子入りすることに決めたぜ」
 振り向くと、松本瑠美衣が元気いっぱい手を振っていた。

(三)


 桃栗咲と二人、ゼロ課の事務所がある雑居ビルを出たところで、剛は彼女を喫茶店に誘った。名目は事前打ち合わせだ。
「あら。のんびりしていると、約束の時間に間に合いませんわ。このビルから中野駅までそれなりに距離がありますし、ウェブ・ダイナミクス社の事務所も、渋谷駅の傍じゃなくて、道玄坂を登りきったあたりにありますのよ」
「タクシーを飛ばします。桃栗係長のような女性を、こんなクソ暑い中、満員電車に乗せるわけにはいかないです。そもそも、まともに歩けないでしょう、そんなハイヒールじゃ」
「まあお上手ね。かなりの野暮天、あら失礼。硬派だとお聞きしてたんですけど、認識を改める必要がありそうだわ」
「というわけで、十五分ほどお時間ください」
「剛さまに、お茶に誘っていただけるのは光栄ですけれど」
「近くにモスバーガーがありますので、そこへ行きましょう」
 モスバーガーに入店した二人は、仲よくトマトジュースを注文し、店の一番奥にある二人掛け席に、向かい合って座った。当然のことながら、老若男女問わず、店内の顧客の視線は桃栗咲に集中する。
 ボソボソ、ヒソヒソ「芸能人じゃね?」「モデルじゃないの」「テレビとかで見たことある?」「ない。でも、チョー美人じゃん。普通、街なかを歩いてねえよあんな美人」などと、囁き合う声が聞こえてきた。桃栗咲は、もう慣れっこになっているのか、平然としている。反対に剛は、かなり居心地の悪い思いをしていた。
 なぜなら、「連れの男は何者だ?」「このクソ暑いのに、ビシッとスーツなんか着てさ。角刈りで目つき悪いしさ。ガタイもいかついしさ。只者じゃないよな」「そうだよな。男の手、見たかい? タコだらけだぜ。きっと空手ダコだよ」「ヤクザだな」「ああ。百パーセント、ヤクザ決定」というような囁きが聞こえてくるからだ。
 三種の神器用アタッシュケースを持っていなくてよかった。きっと「武器を隠し持っている」とか「麻薬を運んでいる」と、とっくに通報されているだろう。
「ええっと。かなり話しがしづらいんですが。まず最初にお願いします。“剛さま”っていうのは、やめてください」
「なぜかしら? 私にとって“剛さま”は“剛さま”ですけど」
「ですので、その芝居をやめていただきたいんですよ」
 事務所では舞い上がってしまったが、桃栗咲ほどの女性が、一、二度見掛けただけで、ろくに会話もしていない、どこの馬の骨か分からぬ男に懸想するはずがないのである。
「芝居? なんのことかしら」
 桃栗咲は相変わらずツンデレ状態を維持しているが、徐々に声のオクターブが下がってきているのは確かだ。ときおり口元が、わずかに痙攣していたりもする。
「桃栗係長、あなたはここでお帰り下さい。ウェブ・ダイナミクス社へは、自分一人で乗り込みますので」
「なぜ?」
「なぜって、危険だからですよ。桃栗係長、IT妖怪の存在についてはお聞きになられましたか?」
「はい」
「存在を信じるのですね」
「ええ。言われてみれば、システム開発現場じゃ、おかしな人はいるし、おかしなことは起こるし、なんか変だなとは思っていたのよ」
「今回のターゲットである『魔画像・壊裂咤絵』が、どんな悪さをする奴かということは?」
「ええ。聞いてるわ」
「聞いていて引き受けたんですか? 馬鹿じゃないのか」
「まあ。正面切って私を馬鹿呼ばわりした男性は、剛さまが初めてですわ」
 桃栗咲は、まんざらでもない顔をしている。
「“剛さま”はやめてくださいとお願いしたはずです。でないと、まともに話しができません」
「ふうぅぅぅ」
 桃栗咲は、若干長めのため息をついた。と同時に、ウルウルしていた目つきが一変、鋭いものになる。完全に演技を放棄したのだ。
「桃栗係長がおいでになる前、装社課長は自分に、『係長と鷹野洋子さんとは同年代だし、立場も近いものがあるので、気持ちがよく分かる。だから、なんとか救ってあげたいと闘志満々である』と告げましたが、これは、とんでもない与太ですね。係長の性格や行動に照らし合わせると」
「……」
 桃栗咲の反応を確認するため、剛はしばらく間を置いたが、彼女は黙したままだ。
「桃栗係長をミッションに参加させ、発注側の立場から鷹野洋子にプレッシャーとストレスを与え、手っ取り早くIT妖怪に通力を発現させようという作戦だ。これは囮捜査以外のなにものでもない」
「薬師神、君。でいいのかしら?」
「はい」
「そのことについては承知の上よ」
「なにを承知したんだ! 最悪殺されるかもしれないことをか?」
「ちょっと、大きな声を出さないで。内容からして、情婦を責め立てるヤクザよ、完全に」
 剛は、自分たちが、この場で最も注目を集める存在であることをすっかり失念していた。
「あ。申し訳ありません」
「装社課長としては本当に、ウェブシステムに詳しい技術者を薬師神さんのサポートにつけて、真の目的をうやむやにするつもりだったのよ。さすがウェブシステムのことなにも知らないと、『なにしにきたのか。怪しい奴だ』ってことになるでしょ。実は、囮捜査を提案したのは、私だったりするわけ。って、いきなり『なんでそんなことするんだ』って怒鳴らないでちょうだいね」
「怒鳴りませんが、自分は今かなり憤りを覚えています」
「鷹野洋子が担当しているプロジェクトの顧客に、軒並み不幸が襲いかかって、ほとんど開発が中断または頓挫してしまっている状況でしょう。妖怪としては今、やることなくて、のほほんとしている最中よね。そんなんじゃ埒が明かないわ。となれば、鷹野洋子を苛めて、妖怪に再出馬願うしかないじゃない」
「どういう方法でIT妖怪に正体を現させるかは、現場の状況により流動的に自分が判断します。よしんば桃栗係長の提案する方法を採らざるを得なくなったとしても、実行するのは自分の役目です」
「あら。薬師神君が彼女を苛めるより、私が苛めるほうが、百倍効果があるに決まってるじゃない。薬師神君が理路整然と彼女を叱り飛ばした場合、なるほどと悔い改めて、妖怪が引っ込んじゃうかもしれないわ。こういうのはね、女の感情に任せた無理無体こそ効くのよ」
「……」
「装社課長からは、部下の一人を貸してほしいって言われたの。でもそんな危険なこと、部下にやらせるわけにはいかないじゃない。だから私が乗り出したってわけよ。勿論、薬師神君にも危険なことはやらせられないわ」
「自分は桃栗係長の部下ではありません」
「あら。でもツサの社員でしょ、しかもヒラの。ゼロ課は独自に、特殊なお仕事をなさってるみたいだけど、ツサの一部署じゃない。私は三課所属だけど、係長としての責任は三課内だけに留まると思ってないわ」
「自分は正社員ではなく、契約社員としてゼロ課に席を置いています」
「それなら、なおさらじゃない。大事なビジネスパートナーを危険に晒すわけにはいかないわね」
「自分の本業は、IT妖怪退治なんです」
「それぐらい知ってるわよ。退治は本業でも、それへ至るプロセスについては業務の範囲外ないんじゃないの?」
「……」
 剛は単純に感動していた。そして、桃栗咲という女性を、完全に誤解していたことを恥じてもいた。てっきり性的魅力を武器に係長まで出世し、部下を振り回しているイタい女性だと思っていたのだ。
「装社課長に私の作戦を話したときね、さすがに長いこと考え込んでいたけど、最終的にはオーケイを出してくれたのよ。多分、私に妖怪が襲いかかってきたとしても、きっと薬師神君がなんとかするだろうと信じてるんだわ。私も、短い時間だけどこうしてお話ししてね、あなたになら任せても大丈夫かしらと思ったし。でもね、こんなこと、正直に話しても、あなたが同意するわけないでしょう。それで、あんな下手な芝居を打ってみたわけ。でもすぐバレちゃったね」
「分かりました。約束の時間に間に合わなくなるので、そろそろ出発しましょう。最後に一言だけよろしいですか」
「なにかしら?」
「桃栗係長はすごい人です。城課長よりスケールが大きいと思います。自分は貴女のことを誤解していました。申し訳ありません」
 剛は起立して、深々と頭を下げた。
「ありがとう。これまでいただいた中で、最高の褒め言葉だわ。薬師神君から言われると、とくに嬉しい。ところで、それってあれかしら。『自分はぁ、城富美子から桃栗咲に乗り換えるぞぉ!』っていう決意表明と受け取っていいのかしら」
「そ、それはちょっと」
「フフッ。ざあんねん」
 どこまでが冗談でどこまでが本気なのか、野暮な剛には判断できない。だから年上の女性は扱いにくいのである。といって、年下の女性は、なにを考えているか分からない。要するに剛は、基本的に女性が苦手なのだった。

 桃栗咲は、いきなりトップギアに入った。ウェブ・ダイナミクス社は前述の通り従業員二十名程度の小さな会社で、事務所もビルの一室だけだ。従って、剛たちも、他の従業員たちと机を並べて作業することになるのだが、彼女はこれに難癖をつけたのだ。
「個室を用意してほしい。我々がツサ本社とやりとりするとき、ウェブ・ダイナミクス社の従業員に聞かれると拙い。当然、発注した開発案件については全て情報公開するが、それ以外の件でも連絡が必要なことがある。守秘義務に違反する事態に発展せぬとも限らない。そんなことぐらい、いちいち言わなくても気を回すべきではないのか」と。
 オフィスビルの一室を借りているだけなので、別に部屋を用意しろというのは、そもそも無茶だ。かろうじて個室と言えるのは、パーティションで仕切られた会議ブースと社長用ブースだけなのである。窓口を押し付けられた鷹野洋子が、申し訳なさそうに無理な要求を取り下げてほしい旨折衝にやってきてもまったく取り合わず、「さすがに、会議ブースを占拠するのは拙い。それは我々も認識している。では社長用ブースを明け渡せ。営業やら金策で走り回って、事務所にいることは稀であろう。現に今日もいないではないか。スペースの無駄遣いである」と喝破したのだ。
しかもグループウェアで、社長の当面のスケジュールを確認させるという徹底ぶりである。桃栗咲が勝手に男性メンバーに指示し、剛の机を運ばせ始めたので、鷹野洋子が慌てて、「しょ、少々お待ちください。髙木に確認を取りますので」と制止する。
「髙木って誰?」
「へ、弊社の社長ですが」
「ま。黙って部屋を占拠するのもアレね。じゃあ本人に確認してみて」
 鷹野洋子から連絡を受けた社長が、ブースの明け渡しを了承したことを受け、若手の社員たちが二人の机を運び込み、ネットワークの設定などを終えたところを見計らい、不敵な笑みを浮かべつつ、
「誰が二人とも社長用ブースの中に入ると言ったのだ。これでは、開発メンバーたちの状況が把握できないではないか。個室を用意するのは、責任者である薬師神だけでよいのだ」
と言い放った。
 鷹野洋子が、半泣きになりつつ「それなら最初から言ってほしい」と抗議しても、「そのようなこと、いちいち言わないと分からぬほうがどうかしている」と一蹴したのだ。
 そして、桃栗咲は、次なる攻撃に移った。。
「ねえ鷹野さん。お宅の会社、従業員が二十名ほどいらっしゃると聞いてるけど、今ここにいるのは、貴女を含めて、たった四人じゃない。ほかの人はどうしたの?」
「はい。弊社はリモートワークを推進しておりますので、マネージャーやリーダークラスの者しか、出社しておりませんのですが」
「はぁ? リモートワーク。笑わせないでよ。おたくの会社じゃ、十年早いんだよ。会社に出てきてたって、各メンバーの進捗をちゃんと把握できてないんじゃない。リモートワークだとなおさらだ。だから、いろんなプロジェクトが火を噴くんでしょうが」
「……」
 鷹野洋子は、黙ってうつむくのみだった。。両拳が強く握りしめられ、小刻みに震えているから、怒りを抑えるのに懸命なのだ。
「そもそもね、鷹野。今日は私たちが来るってわかってたんでしょ。全員雁首揃えて、挨拶ぐらいさせたらどうなのさ。あんた舐めてんの!?」
 いよいよ鷹野と呼び捨てになる。
「申し訳ありません」
 鷹野洋子の声は、震えて消え入りそうであった。
「明日はちゃんと全員揃えておきなさいよね。わかった?」
「はい。承知しました」
 横でやり取りを聞いているだけで、肝が冷えあがる。いきなりIT妖怪が出現することも視野に入れ、ポケットのなかで、退魔のアミュレットを強く握りしめる薬師神であった。
 翌日になっても、桃栗咲のトップギアは維持され、さらにターボが掛かった。半分死にかけたような表情で出社してきた鷹野洋子を自席に呼びつけ「昨日、自分たちより早い時間に退社したメンバーが幾人もいる。どういうことだ!」と怒鳴りつけたのである。
 プロジェクトは始まったばかりで、まだ作業が割り振られていないメンバーはいるし、そもそも個々に予定もあるだろうから、退社時間はそれぞれの裁量に任せて然るべきだと剛は思ったが、桃栗咲の理論はこうである。
「もし我々から、至急に解決すべき懸案事項が提示されたとき、それに対して適切な回答を行うことができるメンバーが退社していたらどうするのか。百歩譲ってそのようなことがないにしても、ウェブ・ダイナミクス社には、“体面を整える”という発想がないのか。“顧客”より先に退社してしまうとは、どういう料簡なのだ。しかも挨拶もなく」
 部分的には正論と言えなくもないところがあるが、全体としては“言いがかり”も甚だしいのであって、剛などは思わず、「もしや桃栗咲は『妖獣・パワハラス』かなにかのIT妖怪にとり憑かれているのではなかろうか」と、捜魔の無線光学マウスを確認してみたほどだ。
 圧巻だったのは、午後になってからだ。なんの前触れもなく、いきなり泣き出したのだ。
「もう耐えられない。常に胸や尻や太腿に視線を感じる。なにげなく足を組み替えたときなどは最たるもので、いくつもの視線が集中する。これは歴とした“セクシャル・ハラスメント”である」と、己のパワー・ハラスメントは棚に上げて、断固主張するのである。
 狼狽した鷹野洋子は、社長用ブースへの座席移動を提案したが、「それだと、進捗を管理する自分の責務が果たせない。私さえ我慢すればいいんだ」と、泣きながら事務所を走り出て、トイレに立て籠もって長時間出てこないという、戦慄の演技をやってのけた。鷹野洋子以外のメンバーは、完全に死んだ目で、ただ黙々と担当作業をこなすだけである。怒りの感情など遥かに通り越してしまって、一日も早く、この災厄が通り過ぎるのを願うだけなのだろう。
 たまりかねた鷹野洋子は、“管理責任者”という触れ込みの剛に、「なんとかしていただけないでしょうか。あの“怪物”を」と直訴してきたが、剛はただ、「プロジェクトの運営については、桃栗咲に一任しているので。自分は自分で忙しいですし。まことお恥ずかしい話ですが、彼女には我が社でも手を焼いているのです。ははは」と答える。これは、二人の間での取り決めで、IT妖怪の攻撃が及ばないよう、ボンクラなお飾りに徹する旨、きつく言い渡されていたからである。
 それにしても、IT妖怪から攻撃を受ける前に、メンバーの誰かに、夜歩いているとき、後ろから刺されてしまうのではないかと心配になってくる。
 極めつけはその日の夕刻であった。セクハラを受けたと泣き喚いたことなどケロッと忘れ、定時後突然、メンバー全員を緊急招集したのだ。定時後の個々の予定など一切認めない、有無を言わさぬ強制召集である。その場で桃栗咲は「開発体制を至急見直すべし」と指示したのだ。
 業界では、システム開発案件を受注したとき、発注者に対して“開発体制”を提示するのが通例となっている。リーダーは誰それ、サブリーダーは誰それ、SEはAとBの二名、プログラマーはC、D、E、Fの四名というふうに報告する。A、B、C~のところには、通常実名が入るのだが、プログラマーに関しては、実際に開発フェーズに入ったときに増員予定ということで、当面アルファベットのままの場合もある。蓋を開けてみれば、プログラム設計を担当したSEが、プログラマーを兼任しましたというケースもよくある。
 今回の開発に際して、ウェブ・ダイナミクス社から開発体制が提示されているのだが、桃栗咲は、それに対して見直しを求めたのだ。理由は、「この開発体制では、納期に間に合わない」という、至極単純明快なものだった。彼女が難色を示したのは、主にプログラマーについてだ。
 プログラマーはSEも兼任で六名アサインされていたが、その中の四名に対して、スキルが見合わないということで、駄目出ししたのである。ただし、理由なく駄目出ししたわけではなく、彼らがこれまで作成してきたプログラムソースコードを解析した結果だ。
 OHPに、四人が作成したプログラムのソースコードを映し出し、
「ウェブシステムフレームワーク側で実装されている機能を使用せず、独自のコーディングが目立つ。少なく見積もって二倍の工数がかかっているはずだ」
「ロジックの詰めが冗長で、大量にデータを処理する場合に時間がかかりすぎるだろう。と言うか、なかんずくシステムというものは、徐々にデータ量が増えていくものだということすら念頭にあるまい」
「しっかりコメントを記述していないのは、やっつけの証拠である。保守する人間のことを考えろ」
「コーディングの規約を守らず、好き勝手に記述する癖がある。猿でも群れのルールは守るぞ」
「そもそもウェブシステムプログラミングの約束事が分かっていないから、多くバグを生む可能性がある。実際にこのコードには、まだ発覚していない、いくつかのバグがある」
 などと、延々二時間にわたって指摘し続けたのだ。
「従いまして、私はこの四名について、メンバーの入れ替えを要求します」
 その指摘は実に的確で、たった一日半で、よくぞそこまでソースコードを解析したものだと、剛は感動すら覚えていた。やはり、桃栗咲は只者ではなかったのだ。だが彼女は、とうとう禁断の領域に踏み込んでしまった。
 会社組織に対してシステム開発を発注した場合、その人員配置は受注側に一任しなくてはならない。経験や適性により、技術者個々でスキルに差があるのは自明の理であって、スキルの高い者と低い者が混ざってチームを組み、高い者は低い者をフォローし、低い者は高い者から学ぶということをしていかなければ、チーム全体の成長はない。プログラミングをほとんど知らない新人がプロジェクトに参入できないならば、いつまでたっても彼は新人のままなのだ。
 であるから、開発チームの人員配置はウェブ・ダイナミクス社に任せ、ツサとしては、口出ししてはいけないのである。当然桃栗咲は、それを理解しながら敢えてやっている。すべては『魔画像・壊裂咤絵』を引きずり出すためだ。と思いたいが、どうも半分楽しんでやっているような気もする剛であった。
「もう、いい加減にしてください」
 開発担当リーダーの高柳(たかやなぎ)が立ち上がり、抵抗の意志表示をした。剛がかろうじて名前を憶えているのは、マネージャーである鷹野洋子と、この高柳だけだった。しかも姓だけで名のほうは覚えていないのである。最初にメンバー全員の紹介を受けたのだが、桃栗咲のトップギアぶりがあまりに強烈で、ウェブ・ダイナミクス社の社員たちの印象が、ほとんど風景の如く希薄になってしまっていたのだ。今剛は、白黒写真の中に佇む人物が突如として色彩を帯び、現実世界へ抜け出してきたかのような印象を高柳に対して持っていた。
 とにかく反応が鈍すぎる。これまで、桃栗咲は充分に暴君ぶりを発揮してきたはずなのに、メンバー全員がまるで人形であるかのように無反応だったのだ。高柳の抵抗も、セリフを棒読みしているだけの印象を受ける。剛は、メンバー全員が、IT妖怪『魔画像・壊裂咤絵』の制御下にあると判断した。IT妖怪の力を借りた鷹野洋子の制御下と言い直しても構わない。
「メンバーのプログラミングスキルに関しては、ほぼ桃栗さんの指摘通りだと思います。しかし、今回の案件は、技術者を派遣しての開発支援ではなく、一括請負です。担当者のアサインは、弊社の裁量に任されて然るべきです。当然、スキルの不足はメンバー同士フォローし合うつもりです。これは内政干渉以外のなにものでもありません。簡単に言えば『ほっといてくれ』ということです」
 剛が感じていた通り、ついに桃栗咲の言動が、彼らの逆鱗に触れてしまったのだ。
「あのね高柳真一さん。例えばあなたがレベル四のスキルをお持ちだとするじゃない。で、そちらの川端勇太郎さんがレベル二のスキルをお持ちだとするの。まあこれは例えじゃなくて、客観的で具体的な評価なんですけど。高柳さんがフォローして、川端さんがレベル四になる? ならないでしょ。逆に高柳さんの手が取られて、二人ともレベル三、そこまでいかないかもね。レベル二・八ぐらいで平均されちゃうんじゃない?」
「それは」
 またまた桃栗咲には驚かされる。ウェブ・ダイナミクス社のメンバーの名前をしっかり憶えているではないか。
「本当はこんなこと言いたくないんだけど、高柳さんが突っかかってきたから言わせてもらうわ。そもそも、御社とツサが担保しようとするシステムの品質に差があるのよね。やっぱり、会社の規模の差ってあるのかなあ。お客様には、ツサの仕事として引き渡されるでしょ。それをスキルレベル二・八でやられちゃ困るわけよ。そうねえ、少なくとも平均四以上でやってもらわなくちゃ。うちの大事な仕事を、スキルの低いメンバーのためのOJTに使うなってこと。わっかりましたかぁ」
「では、なぜうちに仕事を発注したんですか」
「あら。こちらに発注を決めたのは、私じゃなくてもっと上の人間なんですけど。これで、システムの出来栄えが悪かった場合、責任を取るのは私たちなんだから。ホント、中間管理職って辛いわね。苦労させられるわぁ。ねえボス」
「えっ?」
 突然話しを振られて、剛はオロオロする。実は、桃栗咲のあまりの憎たらしさに、背後から側頭部へさして、上段回し蹴りをお見舞いしてやろうかと考えていたのだ。
「僕は抜けます」
 高柳はそう宣言して会議室を出た。出際に「こんな人についていける自信がある人だけ残ればいい。見た目は綺麗だけど、バケモノだよこいつ。そもそもなんで、満員電車に揺られて、いちいち会社に来なきゃいけないんだよ。いまどきウェブシステムの開発は、リモートワークが主流になってるのを知らないのか」と言い残して。これは暗に「精神を病みたくなければボイコットせよ」と言いたいのだと剛は考える。
 やがて、メンバーたちは一人二人と、白黒写真の中から色彩を帯びつつ抜け出してきて、会議室を退出し、最終的には桃栗咲と剛、そして鷹野洋子の三人が残された。
「申し訳ありません。みな感情的になっているんです。一晩頭を冷やせば、また作業に戻ってくれるはず。メンバーの入れ替えについては、高木と相談しまして、可能な限り桃栗さんのご期待に沿えるようにいたしますので。本当に申し訳ありません」
 鷹野洋子は一応謝罪を述べたが、そこには一切の感情がなく、ただ文章を棒読みしているだけのようだ。
「本当かしら。とりあえず貴女にお任せするわ。あらもう二十一時よ。ボス、帰りましょう」
「……」
 桃栗咲と剛が帰宅の準備をして、事務所を退出するまで、鷹野洋子は自席の傍で直立して、焦点の定まらぬ目で、ただ「申し訳ありません。申し訳ありません」と繰り返していた。ただ、ときおり小さな声で「出るな。今は出るな」と呟いていたのを剛は聞き逃していない。彼女がそう呟いたとき、微かに硫黄臭が漂ってきたことにも気づいていた。

(四)


「桃栗課長。お住まいはどちらですか」
 桃栗咲と剛は、ウェブ・ダイナミクス社の事務所がある雑居ビルを出て、渋谷駅に向かって道玄坂をゆっくりゆっくり下っているところだ。桃栗咲の履いているパンプスのヒールが高すぎるので、急ぐと危険なのである。
「この辺りって、お洒落なホテルが多いわね。ビジネスホテルかな。違うわね。アッチ系が多いよね絶対。ラ・ブ・ホ」
 意味ありげなことを言いながら、腕を組んできた。ゼロ課の事務所を出るときもそうだったが、あまりに自然に行動を起こすので、体を躱すことができない。
「ねえねえ。こうするとお似合いのカップルじゃない。通行人がみなこっち見てる見てる。すごく気分がいいわ」
「ヤクザと情婦だと思われているんですよ、きっと」
「そうだ、誰かに頼んで二人の写真撮ってもらおうよ。うん、名案名案」
「写真なんか撮ってどうするんですか?」
「決まってるでしょ。城富美子に送り付けてやるの」
「やめてください。それより、自分の質問に答えてくださいよ」
「なんだっけ?」
「なんだっけ。ほら。いちいち相手をしない!」
 桃栗咲は、ヒューヒューと口笛で冷かしてきた外人の男二人組に、投げキッスをおくったりしている。
「私のマンションは錦糸町駅のすぐ傍だけど。それがどうかしたの?」
 ちゃんと聞こえていたのではないか。
「今夜は、自分がご自宅までお送りします」
「なんで? 薬師神君の家は中野坂上でしょう。反対方向だわ」
「今夜は危険です。IT妖怪の特質として、本体はインスタンス化した構内ネットワークから遠く離れることはできませんが、人間の精神に影響を与えて操ることはできます。妖怪の波動に同調しやすいウェブ・ダイナミクス社のメンバーの誰かが、操られて襲撃してこないとも限りません」
「IT妖怪には、そんな恐ろしい力があるの?」
「メンバーの様子を見て感じませんか係長。ほとんど自分の意志を持って動いてないですよ、奴らは。まるで人形です」
「そりゃまあ確かにそうだけど。ああっ、上手いこと言って、送り狼になるつもりね。残念でした。家には猛犬がいるのよ。でもパピヨンだから狼に勝てっこないか」
「係長の愛犬と勝負するつもりはありませんよ。それから、明日出勤する際も護衛しますから」
「やっぱりマンションに上がり込むつもりね。これから錦糸町まで私を送って、中野坂上まで帰って、また明日一旦錦糸町まで来て、渋谷なんて面倒なことできないしぃ。とか理由つけてちゃってさあ」
「だから嬉しそうに言わないでください。中野坂上から錦糸町経由で渋谷なら、そう大した移動距離じゃないですから」
「じゃあ、部屋には入ってこないわけね」
「はい」
「私からお願いしても? 『寂しいから泊まっていってほしいな』とか甘えても駄目?」
「泊まりませんってば。なぜなら自分は、中野の事務所に寄って、商売道具を取ってこなくちゃいけないからです」
「商売道具って、妖怪退治のおふだとか、数珠とか。護摩とか、お線香とかなの?」
「まあそんなところとかです」
「お葬式に持ってく数珠と、それからリキッドタイプの蚊取り線香くらいならうちにもあるけど、それじゃ駄目かしら」
「係長の持ち物ですから、多少のご利益はあるかもしれませんが、撃退とまでは至らないでしょう」
「ふうん。なるほどね。道理で城富美子との仲が進展しないはずだわ。彼女のガードが固いんだと思ってたけど、それ以上に薬師神君が堅物すぎるのね。聞きしに勝るって奴? せめてキスぐらいはしたんだろうな青年。ん? ん?」
「ええっと。してません。プライベートで会うことはありますが、結局仕事の話になってしまって、そんな雰囲気にならないんです」
「うっそぉ。だって瑠美衣ちゃんとはディープキスまでしたんでしょ?」
「誰がディープキスをしましたか? 油断している隙に、いきなり頬にプチュッと喰らっただけです」
「そうなの。あのね薬師神君、これは本当に大きなお世話かもしれないけど。あくまで客観的評価よ。城富美子と瑠美衣ちゃん、それから私も含めて、三人の中で誰が薬師神君のパートナーに相応しいかと言えば、多分瑠美衣ちゃんよ。彼女は素直ないい娘だわ。若いから、これからどんどんいい女になる一方だし。第一あなたと同業でしょ。仕事に対する理解はバッチリだから」
「なるほど。って、大きなお世話です!」
 これ以上話しを続けると、なにを喋らされるか分からないと判断した剛は、話題を変えることにした。
「ところで桃栗係長。横で見ていて気分が悪くなるほどの、その、パワハラっぷりでしたけれど、まさか、三課でもあの調子なんですか?」
「ンなわけないでしょ」
「でしょうね」
「どっちの意味の“でしょうね”かしら? 悪いけど、もっと厳しいわよ。ウェブ・ダイナミクス社の社員が成長しようがどうしようが、私には関係ない。そもそもあそこって、母体はウェブ・デザインを専門にしてた会社だよきっと。だから、デザイナーやエディターには、センスが光る人がいるけど、プログラミング部門はオマケ感一杯だわ。だからどうでもいいの。でも、三課のみんなには成長してもらわないとね」
 さすがは『売上対前年比百五十パーセント、対前月比百二十パーセントの女』である。剛は、恋愛感情抜きで、桃栗咲というパワフルな人物の大ファンになっていた。三課のメンバーも同じ気持ちだから、どれだけ苛められても、へこたれずに着いていくのだ。
「感心してるようだから言っとくけど、実は、私のやりかたは、城富美子のを真似たんだからね。彼女なんて、どれだけ大の男を泣かせたか分かりゃしないのよ。勿論、色恋沙汰じゃなくて仕事でね。私なんて足元にも及びやしない」
「本当ですか?」
「彼女はとにかく頭が切れるからね。男どもは、なんでこんなに馬鹿なんだろうと思ってたんじゃない。今じゃ、すっかり角が取れて丸くなっちゃたけどね。薬師神君という信頼できる右腕と、それから志位紗夫雄君っていう、最終兵器みたいな超技術者を得て、安心したんじゃない。
 志位君って、ホントすごいわ。以前三課の仕事を手伝ってもらったことあるのよ。『自分はウェブシステムは専門ではないので』とか、くぐもった声でブツクサ言いつつ、『だからPHPはクソだって言うんだ』とか、『Javaは設計思想が古すぎる』とか文句を垂れながらも、うちの精鋭メンバーの三倍以上の生産性を叩きだすんだもん。彼ちょっとアスペ入ってそうだけど、とにかく怪物ね」
「志位は、自分がゼロ課に移ってほどなく辞職してしまいました。せめて山岡血清のシステムが片付くまで辞めないでくれと説得したんですが、そもそもあのシステムは、いつ終わるか見当がつきませんから。また、自分が二課に戻るなら辞職を撤回してもいいと言われましたが、それはちょっと無理なので」
「そうなの。じゃあ城富美子は今、金二枚、どころじゃないわね。飛車角含めて四枚落ちの対局を強いられてるわけだ。キツイなあ」
 城富美子をそんな窮地に追いやってしまったのは自分なのだ。剛の頭に、慙愧の念がまたぞろ首をもたげてくる。それを払拭するには、一刻も早く『邪神・言った言わんの馬鹿』を打倒し、二課離脱が最善の選択であったことを証明するしかない。剛は、掌に爪の跡がつくほど、強く拳を握りしめていた。
「あの。ゴメンね。私、思慮なく薬師神君のウイークポイント突いちゃった?」
「いえ。大丈夫です」
「でも、薬師神君はなんとかするつもりなんでしょう」
「“つもり”ではなくて、必ずなんとかします」
「そう」
 なぜか、桃栗咲はふと寂しげな表情を浮かべた。彼女は三課において、前線で獅子奮迅の活躍を見せる、まさにチェスのクイーンである。彼女が大暴れしているうちは、三課は安泰だ。だが、彼女が戦闘不能に陥った場合どうなるのかと、危うさを感じてしまう剛なのであった。
「ああっ! 今、素晴らしいアイデアを閃いたわ。私って天才じゃない?」
「な、なんですか? 聞かせてください」
 桃栗咲のことだ。剛はもちろんのこと、装社実やナマちゃんでさえ思いつかなかった『邪神・言った言わんの馬鹿』の有効な撃退手段を思いついたのかもしれない。それなら是非拝聴する価値はある。
「私が薬師神君の家に泊めてもらうのよ。そしたらすべての問題が解決するわ」
 桃栗咲は腕を組み、満足そうにウンウンとうなづいている。
「だ、駄目ですよ。自分の部屋は、女性にお泊り願う状態になってません」
「散らかってるんでしょ。安心して。独身の若い男性の場合、そんなこと当たり前なの。私がお掃除してあげるから」
「逆です。なんにもないんですよ。自分は、無駄なものを持つのが嫌いな性分なので」
「ミニマリストなの?」
「いいえ。そこまで極端では。でも、物が少ないのは確かです。お客さん用の布団はないし、そもそも女性用の寝間着なんて置いてません」
「布団なんてひとつで充分でしょ。それに、寝間着なんて必要ないわ。どうせほとんど裸でいるんだから」
「駄目!」
「ふうん。断固拒否ってわけだ。でも城富美子がこんなこと言いだしたら、ちょっと悩むんじゃない?」
「はい、まあ。って、そんなことじゃなくて。もう、誰か助けてくれ」
「キャハハ。薬師神君って、ホント面白いわね。どうでもいいけどお腹が空いたわ。食事ぐらい付き合いなさい」
「分かりましたよ。もう、どうとでもなれ!」

 場所は変わって、鷹野洋子の自宅マンションである。
 無骨者の剛が桃栗咲に、いいように翻弄されているころ、鷹野洋子は、着替えもせずパソコンの前に座り、ブツブツとなにか呟き続けていた。ただ独り言ではない。モニターの中にいる“少年”、すなわち『魔画像・壊裂咤絵』と会話しているのだ。
 IT妖怪は通常、召喚された場所のネットワーク内でしか本体は活動できない。従って鷹野洋子は、自宅のパソコンから公衆回線経由で、ウェブ・ダイナミクス社のサーバーに、ウインドウズの機能であるリモートディスクトップ接続を使ってログインし、『魔画像・壊裂咤絵』と会話するという、非常にまどろっこしいことをやっている。洋子は『魔画像・壊裂咤絵』を、便宜上『洋一』と呼んでいた。自分の名前の一部を取って名付けたのだ。
―― なんだよあのオバサン。偉そうにしちゃってさ。いろんな奴をやっつけて、やっと洋子姉ちゃんが幸せになれたのに、邪魔しにきやがって。
「オバサンって。桃栗は私より歳下だよ。でも、笑っちゃうくらい美人だし。肌はツヤツヤだし、スタイルは抜群だし、なんか現実味がないわ。彼女がオバサンなら、私なんてババアよ、洋一」
―― そうかな。ボクにはすごく歳を取って見えるけどなあ。
 洋一が見ているのは、おそらく“精神的な成熟度”だろうと洋子は思った。桃栗咲を見ていると、自分がすごくちっぽけな、取るに足らない存在に思えてきて、もう顔を見るのも嫌で、とにかく切り刻んでやりたい衝動に駆られる。なぜ桃栗咲があれほど自信たっぷりに生きられるのか。洋子とは、違う次元の住人であるとしか思えない。神という存在があるとすれば、なぜこうも不公平ななさりようをするのだろう。
「そうだね。やっつけちゃおうっか」
―― ふうん。今までほら、洋子姉ちゃんってほら、なんだっけあの難しい言葉、三文字の。モゴモゴ、モニョモニョして、なにもしたがらない奴のこと。
「消極的?」
―― そうそう。ボクが、洋子姉ちゃんを苛める奴を懲らしめてやるって言ったら、それだったくせに。ショウキョクテキの反対はなんだっけ?
「積極的」
―― こんどは、そのテキだね。
「そのテキって。まあそうね。慣れてきたのかな。どうせなら、行くところまで行っちゃえって気持ちになっているの。そうだなあ、自宅台所から出火。それとも交通事故、通り魔。とにかく、ご自慢の美貌が台無しになっちゃうのがいいわね」
―― 洋子姉ちゃん、あのね。
「なに?」
―― もしかして、洋子姉ちゃんは、あのオバサンのこと嫌いだから、やっつけちゃおうって思ってない? それだとちょっとなあ。ボクの力は、お姉ちゃんのことを仕事絡みで苛める奴をやっつけて、幸せにしてあげるためにしか使えないよう“プログラム”されているから。
「じゃあ洋一は、あの女を懲らしめることができないって言うの?」
―― 絶対に無理ってことはないんだけど、オバサンだけをやっつけても、洋子姉ちゃんは幸せにならないと思うんだよね。あのオジサンがいるから。
「薬師神のこと? あんな昼行燈、桃栗咲の言いなりじゃない。一人残ったって、なにもできないわよ」
―― “HIRUANDON”ってなに?
「行燈っていうのは、昔の照明器具のことなの。今でいうと、ルームランプみたいなものかな。それが昼間に点いてたって意味ないでしょ。だから、“昼行灯”は、役立たずってこと」
―― なるほど。ライブラリに登録しとくね。
 洋一が初めて洋子の前に姿を現したときは、まるで幼児であり、ほとんど言葉が理解できなかったし、喋ることができなかったのだが、洋子の教育の賜物で、どんどん言葉を覚えていき、今は小学校中学年程度の会話ができるようになってきている。所謂人工知能だ。
「お勉強はいいとして、話しを元に戻しましょうよ。だから、昼行灯のオジサンはどうでもいいじゃない」
―― 洋子姉ちゃんはそう言うけど、あのオジサンは“HIRUANDON”なんかじゃないよ。ボクはあのオジサン、すごく怖い。
「どういうこと?」
―― だって、なに考えてんだが、全然分からないんだもん。なんだろうと思って、そっと手を伸ばすでしょ。でも、もう少しで届くと思った瞬間、ピシャって払いのけられちゃうんだ。
「薬師神には、洋一の力が通用しないってことなの?」
―― そんな感じかな。文句ばっかり言う、イジワルなオバサンがいるとするでしょ。このおばさんが、いつも猫を連れているわけ。オバサンがうるさいんで、えいってやっつけようと思ったら、その猫がみるみる大きくなって、オバサンのこと守るの。猫じゃなくて、実はすごく強い虎だったんだよ。
「猫を被ってるってことなのね。そんな風には見えないよ。確かに体は大きくて強そうだけど、気の弱そうな目をしてるもん」
―― “NEKOWOKABURU”ってどういう意味? 教えて。
「もうお勉強はいいから。多分薬師神は放っておいても大丈夫だよ。桃栗をやっつけてよ、洋一。そうだ。松井と竹内に襲わせよう。二人は体力あるから。今日のミーティングで、みんなの前でプログラミングのスキルが低すぎるって貶されたんで、仕返しのため、桃栗を襲ったって筋書きはどう。
 明日、お姉ちゃんが薬師神に、仕事のことで相談があるとか、適当な理由をつけて事務所の外に連れ出すから、その間に、洋一はオバサンをやっつけちゃって。今から、松井と竹内が桃栗を苛める絵を描くからね。分かった?」
―― そんなに上手くいかないような気がするんだけどなあ。
「うるさいな!」
―― ひゃあ。今日の洋子姉ちゃん、なんか怖いよ。
「嫌なら、おうちに帰りなさい。もう遊んであげないから!」
―― どうしてそんな悲しいこと言うの。ごめんなさい。洋子姉ちゃんの言う通りしますから。ごめんなさい、ごめんなさあい。

(五)


 翌朝、桃栗咲と剛がウェブ・ダイナミクス社事務所に到着したのは、そろそろ午前十一時になろうかという時間であった。ウェブ・ダイナミクス社の始業は午前十時であるから、一時間近く遅刻してしまったことになる。
 原因は、錦糸町から渋谷という長距離を白昼堂々剛と共に移動するにあたり、一世一代のお洒落をせねばならぬと、桃栗咲の出発準備が異常に手間取ってしまったからである。本人曰く、勝負下着の選定だけで一時間近く掛かってしまったそうだ。なんの勝負であろうか。
 また、剛は動きやすい、カジュアルな服装にすることを要求したが、彼女は頑として受け入れなかった。剛が、クソ暑い時期にも関わらずスーツにネクタイで決めているのに、自分がカジュアルなスタイルでは釣り合わない、自分もスーツ姿でなければならぬというのがその理由だ。ではせめて、いざというとき俊敏に動けるスニーカーを履くべしと言うと、「スーツにスニーカー? どんなセンスをしているのだ。あんたアホか?」と一蹴されてしまった。
 それでも、昨日の今日、ウェブ・ダイナミクス社の事務所に乗り込むことの危険性を考えると、動きやすいスニーカー履きだけは譲れぬと延々主張し続け、やっとのことで、事務所に入室の際履き替えることで合意に至ったのである。
 出発準備に時間が掛かりすぎたことについて、剛が遺憾の意を表すると、「どうせ鷹野洋子以外出勤してないわよ。時間通り出社しようが遅刻しようが、仕事にならないのは同じじゃない」と開き直る始末だ。また、「薬師神君と一緒に歩くのよ。この大一番にめかしこまなきゃ、いつめかしこむわけ? ホント、女心が分からないんだからね、この鉄コン筋クリート男!」と、逆ギレされてしまった。さらに、「それに、目的地が渋谷でしょ。『街で見かけたベストカップル』って、写真を撮られる可能性が高いわ」「そっちが真の狙いなんでしょうが」「悪いんですか? どこが悪いの」といった、微笑ましい諍いなどあって、出発が遅れに遅れてしまったのである。
 二人が到着したとき、事務所は既に開錠されていた。だが、ブラインドが全て閉めきられ、かつ明かりが点いていないので、暗くて室内の様子が窺えない。だが、誰かがいる気配はある。息遣いが感じられるのだ。
「なにこれ、暗いわ。それに暑いし。まず明かりを。って、あれ。スイッチってどこにあるんだっけ?」
 桃栗咲も剛も、自ら照明や空調を操作したことがないので、それらスイッチがどこにあるのか分からないのだ。
「係長、暗闇に目が慣れるまで、不用意に動かないで。自分の傍にいてください」
 剛はまず、ゆっくりと深呼吸し、ポケットから『退魔のアミュレット』を取り出し、右手に握る。周囲に気を配りながら暫くじっとしていると、ブラインドの隙間から洩れ入る光で、まったくの真っ暗闇ではないから、徐々に目が慣れてくる。剛は、桃栗咲の腕を掴んでゆっくりと窓際に移動し、三つあるブラインドを順番に開けていった。窓の外には隣接する雑居ビルの壁があって、まだ薄暗かったが、それでも一応部屋の中が見渡せるようになった。
「えっ?」
「あら嫌だ」
 桃栗咲と剛が同時に驚愕の声を上げたのは、自席に突っ伏している鷹野洋子に気づいたからだ。
「鷹野さんでしょ、なにやってるの」
 桃栗咲の呼び掛けに、鷹野洋子がゆっくり顔を上げた。それでもまだ二人に背を向けている状態である。剛の頭には、ゆっくり振り向くと、まったくの別人かつ、悪鬼の形相であって、獣のように吠えるのではとか、首だけが百八十度回って、ケタケタと笑うのではないかなどと、気持ちの悪いことばかり頭に浮かんでくるので、『退魔のアミュレット』を握る手に、知らず力が入ってしまう。
 桃栗咲は、無言で剛の腕にしがみついてきた。彼女の全身から緊張が伝わってくる。おそらく、剛と同様なことを考えているのだろう。
「申し訳ありません。メンバーが一人も会社に出てこなくて。朝からずっと、一人一人連絡を取り続けているんですけど、みな、電話に出てくれなくて。LINEも既読にならなくて。もう私、どうしていいか分からない」
 鷹野洋子は、二人に背を向けたまま、消え入りそうな声でそう呟いた。肩が小刻みに震えている。嗚咽しているのかもしれないが、おそらく演技だ。
「ふうん、明かりを点ける手間すら惜しんで、メンバーに出社するよう説得し続けましたってスタイルなわけか。私さあ、こういう作為的なのは、大嫌いなのよね」
 どうやら桃栗咲の辞書には、“容赦”というワードがないようである。その言葉に刺激されたのか、いきなり鷹野洋子が立ち上がった。そして、くるっと振り向きざま、一直線に剛に向かって歩き始めた。剛は反射的に身構える。
「薬師神さん。おりいってご相談があります。外へ出ませんか。近くに喫茶店がありますので、そこで」
「仕事の件でしょうか」
「はい」
「では、ここで話せばいいでしょう。わざわざ場所を変える必要はありません」
「薬師神さんと二人きりが望ましいのです。非常に込み入った話ですので、桃栗さんには遠慮していただきたいの。管理責任者はあくまで薬師神さんなのでしょう?」
「それは困りますね。桃栗君は自分の大事な補佐役です。共有されない情報があると拙いですから」
「そうなんですか。では、本当のことを申しあげます。実は、仕事の件というのは嘘なんです」
「えっ?」
「私、薬師神さんが好きなの。最初にお会いしたときから、素敵な人だなって思ってて。だから二人きりでお話がしたいんです」
 桃栗咲は、ニヤニヤ笑みを浮かべ、事の成り行きを見守っている。
「鷹野さん。ちょっと頭を冷やしてくださいよ。御社と、うちとの関係は今、どういう状況になっているんですか。御社は、うちとの契約を履行できるかどうか分からない瀬戸際に立ってるんじゃないですか。呑気に愛の告白をしている場合じゃないでしょう」
「桃栗さんほどではありませんが、私、胸の形には自信があるんです」
 高尾洋子は、ブラウスのボタンを順番に外していった。やがて純白のブラジャーと、それに窮屈そうに納まっている双丘が露になる。
「なにをやってるんだ」
「ねえ、触ってみて。きっと気に入るわ」
 剛の左手首が鷹野洋子に捕まれた瞬間、彼の両膝がガクガクと震えた。剛はパニックに陥ってしまったのだ。女性が眼前で、自ら着ているものをはだけ、胸を露にするというのは、男にとって堪らない状況だが、時と場所による。時と場所が余りにそぐわなければ、逆にそれは恐怖となる。実際に剛は、鷹野洋子の姿をした怪物に対する恐怖に支配されていたのである。
「うわあああぁ」
 パニックに陥った剛を正気に戻したのは、もう一人の“怪物”桃栗咲の、これまた時と場所にそぐわない、頓狂な一言だった。
「なるほどぉ。その手があったか。そうやれば薬師神君をオトせるんだァ。よし。今度私もやってみようっと」
「このぉ! 手を放せ」
 パニックから立ち直った剛は、鷹野洋子の手を振りほどこうとしたが、万力で固定されたかの如く、びくともしない。女性の力ではなかった。いよいよIT妖怪『魔画像・壊裂咤絵』が姿を現そうとしているのだ。
「松井ぃ、竹内! 出ろ」
 鷹野洋子が叫ぶと、会議用ブースのドアが大きな音を立てて開き、中から二人の男が飛び出してきた。鷹野洋子に指示され、ずっと身を潜めていたのだ。襲撃目標はおそらく桃栗咲だ。
「なんだお前ら。危ないぞ!」
 剛が叫んだのは、両名とも家庭用の出刃包丁を得物にしていたからだ。武器を持参の上緊急招集となった場合、準備できるのは出刃包丁ぐらいだろう。出刃包丁にはストッパーとなる柄などついていなから、そんなものを素人が振り回した場合、相手を傷つける前に、自分の手を切ってしまう可能性が高いのだ。だが二人の男は、剛の警告には耳を貸さない。
「係長、逃げてください! 事務所から出るんだ」
「じょ、冗談じゃないわよ。薬師神君だけ残して逃げられるもんですか。私なんて、何度包丁持った男に追いかけられたか知ってる? もう慣れっこだわ」
 桃栗咲は、近くにあったパソコンからキーボードを引っこ抜き、盾のように構えながら叫んだ。ちょっと度胸がありすぎだ。
「お気持ちは嬉しいですが、こいつら普通の状態じゃありませんよ。IT妖怪に操られている」
「分かってるわよ。でも男には違いないでしょ」
 桃栗咲は、事務所内の机や椅子を障害物に、上手く逃げ回っていたが、相手は二人である。徐々に追い詰められていった。
「ヤレ。その女を黙らせレバ、また安寧の日々が訪れるでアロウ」
 鷹野洋子の声のトーンは徐々に低くなり、金属的なノイズが混ざるようになってきた。
「くそ! ウッ」
 鷹野洋子が桃栗咲のほうに気を取られている隙に、彼女の手を振りほどこうとしたが、逆に強く締め付けられた。手首に激痛が走る。
「オマエじっとしてイロ!」
 鷹野洋子の一喝と同時に、強烈な硫黄臭が鼻を衝く。もう一刻の猶予もならない。
「鷹野洋子。一つ忠告しておこう。男の気を惹きたかったら、まずなんとかすべきはその、硫黄の臭いがする口臭だ!」
 そう叫んで、剛は、退魔のアミュレットを鷹野洋子の鼻先に打ちつけた。
「ギギャァァァァァァァァァァァァァァァ」
 室内に響き渡る、鷹野洋子の長い悲鳴。剛は、力が弱まった彼女の手を振りほどき、まさに桃栗咲を襲おうとしている、松井だか竹内だかに、ショルダータックルを喰らわせる。松井だか竹内だかは、壁まで吹き飛ばされ、後頭部を強打したのか、そのまま動かなくなった。
「拙い。打ちどころが悪くなきゃいいが」
 もう一人、竹内たか松井だかが、包丁を振りかざして剛に襲いかかってきた。
「どうせしっかり刃を研いでいないだろう。上手く先端で突き刺さない限り、なにも切れないぞ」
 剛は、振り下ろしてきた包丁を左の二の腕で受け、相手の左脚の関節部分に下段蹴りを放つ。
 グチッ。
 鈍い音がした。おそらく骨が砕けただろうが、それでも命に係わることはないはずだ。頭部に打撃を与えると脳震盪、また舌を噛んでしまう可能性があるし、腹部に打撃を与えると、内臓破裂で死亡する恐れがある。だから落命の危険を避けて、竹内たか松井だかの動きを止めるには、脚への攻撃しかないと剛は判断したのだ。
「薬師神君、腕から血が」
「大丈夫です。こいつが自分で手を切ったんですよ。その血が飛んだだけです。素人が出刃包丁なんか振り回すからこうなるんだ」
「そう。よかったわ」
「どうして私が描いた絵の通りにならないのだってオジサンが強すぎるんだもん役立たず!もう出ていけごめんなさいごめんなさい駄目だ出ていけ嫌だ嫌だ洋子姉ちゃんと別れるのは嫌駄目だごめん許して駄目だごめんごめん」
 鷹野洋子の中で、本人とIT妖怪の意識分裂が始まった。桃栗咲は、眼前で起こっている奇怪な現象が理解できず、ただ唖然とするのみだ。
「年貢の納め時だ。IT妖怪『魔画像・壊裂咤絵』!」
「“NENGUNO OSAMEDOKI”ってどういう意味? ねえ教えて」
「こういうことだ」
― 93 EC 95 FB 8C 52 92 83 97 98 96 E9 8D B3 96 BE 89 A4 0 BC 95 FB 91 E5 88 D0 93 BF 96 E9 8D B3 96 BE 89 A4 ―
 剛は、『退魔のアミュレット』を操作し、『退魔経』を紡ぎ始める。
「なにそれ。すごく嫌な音だよ。気持ち悪い」
― 96 6B 95 FB 8B E0 8D 84 96 E9 8D B3 96 BE 89 A4 92 86 89 9B 91 E5 93 FA 91 E5 90 B9 95 73 93 AE 96 BE 89 A4 ―
「お願いやめて」
― 東方降三世夜叉明王 南方軍茶利夜叉明王 西方大威徳夜叉明王 北方金剛夜叉明王 中央大日大聖不動明王! ―
「嫌だ! 洋子姉ちゃあああん」
 ズボッ。
 鷹野洋子の体から、黒い霧の塊が抜け、近くにあったLANのハブに吸い込まれた。と同時に、鷹野洋子は気を失う。そのまま倒れて頭などを打たないよう、慌てて桃栗咲が抱きとめた。
「係長。この、竹内たか松井だかを急いで病院に運ばねばなりません。でも普通の病院は拙いです。装社課長に連絡し、救急車を手配してもらってください。警視庁サイバー犯罪対策課特命分室・IT妖怪班の息が掛かっている病院があるはずなので」
「分かったわ」
「それから、IT妖怪ハンター薬師神剛は、“緊急退魔権”を行使すると、装社課長に伝えてください」
 剛は『破魔のヘッドギア』を装着しながら、桃栗咲に指示を出した。
「なに? 悪い、よく聞き取れなかったの。もう一度言って」
「“緊急退魔権”です」
「緊急退魔権ね。それを言えば、課長には伝わるのね」
「はい」
 緊急退魔権とは、刑法でいうところの緊急逮捕権に相当する。その場にいる誰の目にもIT妖怪の正体が明らかである場合、IT妖怪ハンターは、令状の取得を事後に行うという条件で、それを撃退できるというルールなのである。
「で。薬師神君はどうするの?」
「自分はIT妖怪を追います」
「追うって、どこへ」
「申し訳ありません。今は詳しく説明している時間がない」
「分かった。この一件が片付いたら、まとめて教えて。とにかく気を付けるのよ」
「了解しました。生成せよ! 魔界公開鍵」
(BCAD4DF50201X-08-2511:56:1431131407D3E3CBEY3Nhc2NzY2NhYXNjZGJiZmJnbmZnbWxra3R5a3R5a3R5a3liZXJidncyNTc1Mjc1Mjc1Mjc1MjAwMjA5OTY5OTg2OTg2ODk4Njkzc3NjYWFzdnN2YXNzYX2015-01-2511:56:1431131ZiYmRkYnNzZGJybmVuZXJuZXJubnJyZXJlaGpqeXVpeXVpdXlpc2ZzZHNkc2Voc2Voc2Voc2VoeGNieGRiZ21mZ21mZ2tya3JlZ3dlZ3dxMTIzNTQ1Nzc3OTZ0eWRmc2JzZGR2c2JmZG4=6B5AF8D2CF74C7A0B04E9bcad4df50407d3e3cbe6b5af8d2cf74c7a0b04e9A70E06B70BE518474c2NhYWNdmFzYXZzYXN2ZXdoZWhld2h3aGVxcXdmdzEyNDI0MTU1NDc1OTc5Nm91a2ZnZG5mZmJzZ3Jwb2l1eXRyZXdsa2poZ2ZmdmRiZWJycnJlbg==zYWNzNDNoaDQzMzRoM2g0aDM0M2g0MzRo984QkNBRDRERjUwNDA3RDNFM0NCRVkzTmhjMk56WTJOaFlYTmpaR0ppWm1KbmJtWm5iV3hyYTNSNWEzUjVhM1I1YTNsaVpYSmlkbRjMU1qYzFNamMxTWpjMU1qQXdNakE1T1RZNU9UZzJPVGcyT0RrNE5qa3pjM05qWVdGemRuTjJZWE56WVhaaVltUmtZbk56WkdKeWJtVnVaWEp1WlhKdWJuSnlaWEpsYUdwcWVYVnBlWFZwZFhscGMyWnpaSE5rYzJWb2MyVm9jMlZvYzJWb2VHTmllR1JpWjIxbVoyMW1aMnR5YTNKbFozZGxaM2R4TVRJek5UUTFOemMzT1RaMGVXUm1jMkp6WkdSMmMySm1aRzQ9NkI1QUY4RDJDRjc0QzdBMEIwNEU5YmNhZDRkZjUwNDA3ZDNlM2NiZTZiNWFmOGQyY2Y3NGM3YTBiMDRlOUE3MEUwNkI3MEJFNTE4NDc0YzJOaFlXTmRtRnpZWFp6WVhOMlpYZG9aVFHVnhjWGRtZ2015-01-2511:56:1431131HpFeU5ESTBNVFUxTkRjMU9UYzVObTkxYTJablpHNW1abUp6WjNKd2IybDFlWFJ5Wlhkc2EycG9aMlptZG1SaVpXSnljbkpsYmc9PXpZV056TkROb2FEU2015-01-2511:56:1431131XpNelJvTTJnMGFETTBNMmcwTXpSbzk4NDE5OTVCMEM0QTcwQzdDOTc1MjcyYTcwZTA2YjcwYmU1MTg0NzQ5ODQxOTk1YjBjNGE3MGM3Yzk3NTI3Mg1995B0C4A70C7C975272a70e06b70be5184749841995b0c4a70c7c975272)
 魔界公開鍵の認証が完了し、ゴーグルに取り付けられた有機ELスクリーンに、電脳魔界へと繋がるゲートが映し出された。
「ジャック・イ――――ン!」

(六)


 電脳魔界にジャック・インした剛は、四方を石の壁で囲まれた部屋にいた。部屋の一辺は約十メートルほどであろうか。剛が立っている正面には、鉄格子が嵌った扉がある。壁には三メートルおきぐらいに燭台が取り付けてあり、蝋燭がチロチロ燃えている。ただ、蝋燭だけではこれほど明るくはなるまいというほど、室内の視界は良好だ。どうやら、蝋燭とは別に、光源が不明な照明があるらしい。ただし、鉄格子の向こうは暗くて見えない。
「これは。ダンジョン?」
“描いた画像の内容が現実になる”という『魔画像・壊裂咤絵』の通力から剛が連想したのは、パソコン用ロールプレイングゲームの不朽の名作、『ウイザードリーシリーズ』の五作目である『ベイン・オブ・ザ・コズミック・フォージ』だったのだ。“コズミック・フォージ”という、書いたことが現実となる魔法のペンを探し出すことが目的の、3Dダンジョンタイプのロールプレイングゲームである。
「ふん。『魔画像・壊裂咤絵』め。なかなか趣向を凝らしてくれるじゃないか。さしずめ、自分がダンジョンの中で行き倒れる絵でも描いたんだろうが、そうはいかないぞ」
 天井の一部に一メートル四方程度の四角い穴が開いており、縄梯子が降りている。ただしその縄梯子は途中で切れてしまっており、思い切り垂直ジャンプをしても届かないので、おそらく自分はあの縄梯子を伝って、このダンジョンに入ってきて、縄梯子が途中で切れているところで、意を決して飛び降りたというシチュエーションなのだと剛は判断した。『魔画像・壊裂咤絵』を打倒するまで、ダンジョンから脱出するつもりはないから、縄梯子に手が届かなくても別に構わない。
「つまり、正面の扉を蹴り開けて、ダンジョンの中に入るしかないってことだな」
 そう決意し、扉に向かって一歩踏み出した剛の眼前に、突然メッセージが表示された。
 

「なんだこれ。誰が『ああああ』だ。いつ名前を入力するタイミングがあった?」
 剛が、扉を蹴り開けて先の部屋へと進むと、背後でギィィィィー、バダン! という嫌な音がした。慌てて振り向き扉を開こうとしたが、ロックされてしまったのか、ビクとも動かない。押しても引いても上げても下げても、叩いても蹴っても、撫でても、適当に呪文を唱えても無駄だった。要するにもう、外には出られないのだ。するとまたもやメッセージ。

「自分が侵入者なのは、最初から分かっているんだがな。もう少し気の利いた文句を考えてもらいたいもんだ」
 剛が侵入した“白のホール”は、面積にして、先ほどの小部屋の六倍はありそうな広い空間だった。相変わらず薄暗くて分かりにくいが、左右の壁に、それぞれ扉があるようだ。正面には祭壇のようなものがあり、その中央には、白い光を放つ何者かがいる。いきなりモンスターと遭遇かと、剛が身構えて暫く待っていても、その者は一向に動く様子がない。移動は無論のこと、微動だにしないのだ。
「もしかして彫像かな。ああいったものには、攻略に必須の仕掛けがしてあるってのが、ロールプレイングゲームのセオリーだ」
 近づいて確かめようと剛が一歩踏み出したとき、足元で、カチッと小さな音がした。その次の瞬間、目も眩む閃光に続いて、耳をつんざく爆発音。
「しまった。いきなりヌルボムか!」
 危険を感じて、剛はブロック転送で部屋の端まで移動した。闇雲に長距離を移動すると、ちょうど壁と重なってしまい、「石の中にいる」とゲームオーバーになりかねないからだ。いかんせん狭い空間である。爆心からは逃れたものの、爆風に巻き込まれ、右腕が肩から消失していた。だがこの程度なら、アルバタールの自己修復プログラムでカバーできる。
「あれ? ここは」
 気が付くと、剛はスタート地点の小さな部屋に戻されていた。するとまた眼前にメッセージが表示された。

「なんか、ゲームがごちゃ混ぜになってないか? そもそも自分はまだ死んでないんだが」
 先ほどのようにトラップに引っ掛かって、一定以上のダメージを受けた場合、“死んだ”と判定され、スタート地点に戻されるというルールになっているようだ。
「死ぬたびにスタート地点に戻されるのは、ちょっと厳しいな」

「ちょっと待てよ。セーブなんて、どうやってやるんだ? やいIT妖怪め! コマンドの入力方法をちゃんと教えろ。でないとフェアじゃないぞ」

「こうか?」剛は、ガイダンスの通り、右手を高く掲げた。

「こうかな」

「こ、こいつぅ!」

 半信半疑ながらも、剛がガイダンスの通りやってみると、眼前にコマンドウインドウが開いた。

「なるほど。あとは選んでタッチすればいいんだな」

「それを先に言え、この野郎! ええっと、どれどれ。“もちもの”ってのがあるな」

「なんだこりゃ。あってもなくてもいいような代物ばかりじゃないか。『さおだけ』でモンスターを倒せるか」

「ふうん。では今自分は、丸腰のスッポンポンってことか。まるで“忍者”だな。別に構わないが、エチケットとして下ぐらいは、なにか身に着けておくか。では、“もめんのステテコ”」
 剛の言う“忍者”とは、『ウイザードリー』に登場するクラス(職種)のひとつで、“シュリケンズ”などの特殊なもの以外、武器や防具を装備すればするほど弱くなる特質があるのだ。

「では“つかう”」

「なにぃ? ふざけやがって。“もめんのステテコ”、“すてる”!」

「シーフやビショップなんてどこにいるんだよ。一人きりなのに。そもそも自分はなんのクラスなのかすら分からないぞ」

 呆れ果てた剛は、呪われたステテコのことは気にせず歩き始めた。現実世界でステテコが脱げなくては困るが、電脳魔界内なら、穿き続けていても別に恥ずかしくないと判断したからだ。迷った結果、“さおだけ+1”も装備することにした。ほとんど攻撃力はないだろうから、武器として使用するつもりはなく、歩く方向の床をパシパシ叩いて、トラップが仕掛けられていないかの確認に使おうと考えたのだ。幸い、“さおだけ+1”は呪われていなかった。
 剛は再度“白のホール”に侵入し、爆発トラップを迂回して、白い光を放つ彫像に接近していった。彫像の正体は、激流を遡上するシャケを咥えた、躍動感あふれる羆だ。
「北海道の工芸品かよ?」
 彫像の台座に、なにやら文字が彫ってある。もう少し近づかないと文字が小さくて読めない。
「えっ?」
 もう少し近づこうと体を動かした刹那、体中に激痛が走り、徐々に意識が遠のいていく。

 気が付くと、またスタート地点の小部屋に戻されていた。

「悪かったよ。貴様に文句は言わん。自分が不注意だったんだ」
 不幸中の幸いにも、呪われた“もめんのステテコ”は外れていた。剛は“さおだけ+1”のみを装備し、折れそうになる心を叱咤しながら、“白のホール”へ三度目の侵入を試み、羆の彫像へ接近していく。慎重に進みながら彫像の真ん前に立ち、台座の文字を読むべく身をかがめた瞬間、バゴォンという轟音と共に、剛が立つ床が、いきなり消失した。

「おのれぇぇぇ!」
 剛の体は落下し、階下の硬い石の床に、したたかに打ちつけられた。
「痛ってぇぇぇ」
―― こちら装社です。薬師神さん、聞こえますかどうぞ。
 剛が、床に強く打ちつけたお尻をさすっていると、装社実からマカイムスチャットが入ってきた。
「あ、課長。今どこに?」
―― どこもなにもあなた、桃栗係長から、怪我人が出ているとの連絡を受けましてですね、うやむやに処置するため、急ぎナマさんの車で渋谷にやってきたんですよ。
 いくら車だと言っても、五分や十分で中野から渋谷に来ることは不可能だ。
「課長。自分が電脳魔界にジャック・インしてから、どれぐらい時間が経っているのでしょう?」
―― 正確には分かりませんが、四十分以上経過しているのではないでしょうか。あまり長引くと危険ですよ。
「四十分も」
―― 『魔画像・壊裂咤絵』は、それほどの強敵なのですかな。こちらからは詳細が分かりませんが、致命傷とまではいかぬものの、かなりダメージを受けておられるようですが。
「面目ありません。『魔画像・壊裂咤絵』の奴、思ったよりしたたかで、遊ばれている感じなんです」
―― そうですか。こちらからは、ナマさんと二人で全面的にバックアップします。と申し上げたいところなのですが、ちょっと大変なことになりましてね。
「大変なことって? もしや、事情を知らない警察の部署が、傷害事件の捜査に乗り出してしまったとか」
―― 違うんです。実は桃栗係長の、もうその着衣の隙間という隙間から漏れ出す色香がですね、ナマさんの過剰反応を引き起こし、失神に至らしめてしまったのです。
「そりゃ大変だ」
―― 床に寝かせて、今桃栗係長がウチワで風を送っているのですが、あまり効き目は望めません。え? なんですか。『やっぱりナマハゲの面を外さなきゃだめだわ』ですか? アカンてそんなん。もしナマさんが意識を取り戻してやね、ドーンと眼前に桃栗係長の美しすぎる顔と、しなやかな指と豊満な胸と、こってり脂の乗ったフトモモと、短いスカートの中の漆黒のパンテーに包まれた股間があってやね、さらに自分が面を装着してないことに気づいた場合、イッパツで即死してまいまんがな即死。
 こらこら、面を外したらアカン言うてんのに。なにおぅ? 『面白いじゃん。是非試してみよう』って、なに言うてますのあんた! え? 『ところでなぜ、パンティーの色が黒であることを知っているのだ? 許さんぞ』てですか。さっきチラッと見えてしもたんですもん。意図的に窃視したんとちゃいますってば!
 装社実の口から関西弁が出るのは、かなりのパニックに陥っている証拠である。なるほどこの状態では、万全のサポートなど望むべくもない。
―― こら、面を外したらあかん!
―― なによ! 面を少しずらして、顔に風をあててあげるだけじゃないの! つべこべ言わないで。
―― ちゃうねん。興味本位の気持ちがミエミエやさかい言うてんねやないか!
―― 五月蝿いわね。えい! きゃあああああああああああああああああああああ、なにこれ!?
―― そやさかい、やめとけ言うてんのに! 薬師神さん、一旦マカイムス切ります。
 グツッ。ポーポーポーポー
 なにやら、ウェブ・ダイナミクス社の事務所で、大変なことが起こっているようだ。向こうで起こったやりとりから判断すると、桃栗咲が悲鳴を上げたのは、ナマちゃんの素顔を見てしまったからだ。彼女はいったいなにを見たのか。ふた目と見られぬ醜い顔。まさか、中には電子部品がびっしり詰まっていたとか。ナマちゃんが実はロボットまたはサイボーグであるというのは、充分考えられる。

「しまった!」
 剛を取り囲んでいるのは、“人間型の生き物”が四体、“みすぼらしい男”が二体、“ローブを着た男”が一体、そして“粘着性の生き物”が三体の、計九体である。
「のっけからこんなにたくさんのモンスターが出てきては、誰もクリアーできないぞ。ゲームバランスが悪すぎる。年間クソゲー大賞確定だな」

 主体性のないメッセージと共に、剛を取り囲んでいたモンスターが次々消滅し、最終的に“人間型の生き物”三体になった。そのときには既に正体も判明した。三匹とも、ロールプレイング序盤ではお馴染みの、“コボルド”である。
「なんだよ。それでも三体も残ったのか。悪いけど“さおだけ”じゃ闘えないから、ちょっとズルさせてもらおう。出でよ、“魔剣ヌルポインター”!」
 剛が高々と掲げた右手が眩いばかりの光に包まれ、刃渡り一メートルはあろうかという、諸刃の剣が実体化した。『闘鬼・戦国武将』とまみえたときは、ヌル初期化砲やリファレンスアンカーなどの武器をジャラジャラと腰にぶら下げていたが、以降精進の結果、必要なときにだけ武器を実体化させるテクニックを習得していたのだ。

「“もめんのステテコ”を投げつけてやりたい気分だが、ここはやはり、“たたかう”だな」

 さすがは“魔剣ヌルポインター”。与えたダメージが大きすぎて桁溢れし、指数表記になってしまっている。まさに“無敵チート”だ。その後、地下三階、四階、五階と、剛は順調にダンジョンの下層へ降りていった。なにしろ、剛の姿を見た途端、モンスターたちは狂ったように泣き叫びながら逃げてしまうし、”魔剣ヌルポインター“の効力なのか、罠を踏んでも“ぷっすん”と、間の抜けた音がするだけで作動しないので、楽なこと極まりないのである。

 地下七階から地下八階への階段を降りきったとき、イベントの発生を告げるメッセージが表示された。メッセージだけではなく、実際に悲鳴も聞こえてくる。声からすると女性、しかも女の子のように思える。悲鳴は断続的に繰り返されている。また、ふざけたトラップかもしれないが、女の子が襲われている場合、ゲームの主人公として、助けぬわけにはいかない。と言えば聞こえはよいが、実際は、悲鳴がダンジョン内でキンキン反響してかなり耳障りなので、早く黙らせたいというのが剛の本音だったのだ。
 最初は、断続的に聞こえてくる悲鳴を頼りに迷宮を進んでいったが、なにぶん迷路になっているので、かなり接近したかと思えばまた遠のきを繰り返しているうちに、だんだん面倒になってきた。
「出でよ、“ヌル初期化マトォォック”!」
 剛の右手に、金色に輝くつるはしが実体化した。邪魔な壁をそれでぶち壊して進む作戦だった。軽くつるはしをふるうだけで、あっというまに壁が消滅する。
「うん。これは便利だ」
 インチキもいいところである。四つほど壁を消失させると、悲鳴の主の姿が見えてきた。四体のモンスターに取り囲まれて叫び声を上げている、十歳前後の少女だ。あちこちにヒラヒラがついた純白のドレスに身を包み、頭にティアラが載っているところを見ると、どこかのプリンセスという役回りか。
「あっ。冒険者よ、どうか救うてたも。実は怪物どもに襲われておるのじゃ」
「怪物どもに襲われているのは、見れば分かります」
「なら早く救わぬか。なにをぼやっと突っ立っておる」
 絶体絶命のピンチに陥っているくせに、横柄な態度だ。
「わらわはプリンセス・エイダなるぞ」
「はあ? 別段、お名前はお伺いしていませんが」
「なんじゃ。そのほうは、わらわの名を存じておらぬのか?」
「はい」
「そのほう、報奨金目当てでこの迷宮に潜り込んできたのではないのか。わらわが忌むべき魔導師に拉致されたことを受け、国では、わらわの救出に多額の報奨金を約束し、勇者を募っているはず」
「自分は、そのような目的でここに来たのではありません」
「なんじゃと。ではそなた、なぜここにおる。そのようにつるはしを担いで。補修工事か?」
「違います。本来は別の重要な目的があるのですが、偶然姫が叫び声を上げているのを聞き、なんだろなと思って道草してきたわけです」
「さようか。では語って聞かせようぞ。わらわの数奇な運命を。憎きはあの魔導師。宮廷画家と称して、わらわの肖像を描きたいと申し出てきた希代の性悪魔導師、ワルダナじゃ。その者が使う絵筆というのが、描いたことが現実になる禁断の絵筆。ワルダナめはその魔筆にてわらわの姿を写せしあと、その住処である、臭くて暗い穴倉へと戻り、地下牢の絵に重ね合わせ処理しおったのじゃ」
 魔力を持つ絵筆というのは聞き捨てならない。プリンセス・エイダは、やはり只のこましゃくれた小娘ではなく、重要な役割を持って登場した、こましゃくれた小娘だったのだ。
「どうじゃ。少しは興味を持ったであろう?」
「いくつか質問よろしいですか、姫」
「なんじゃ。手短に頼むぞ手短に。見よ、怪物の垂らす涎がわらわの頬に。ああ汚らわしや。もう一刻の猶予もならぬのじゃぞ」
「まず、なぜ魔導師ワルダナは、姫をかどわかしたのでしょう」
「決まっておろう。わらわがかように美しいからじゃ。魔導師ワルダナめ。わらわの、あまりの美しさに惑わされたに相違ない。名もなき冒険者よ。美しいとはかくも罪なものなのじゃなあ」
 相当な自信家である。しかし、残念ながら、純白のドレスとティアラで幾分かましに見えるものの、それほどの美少女でも、愛くるしいわけでもない。日焼けと埃でまっ黒になって、パンツ丸出しで下町を走り回っていそうな、普通の女の子だ。歯に衣着せぬ物言いをすれば、千葉県にある有名なテーマパークで、ときおり見かける、イタい親のエゴで似合いもせぬプリンセスの衣装を着せられている、不憫な女の子に近い。
「はあ。“美しさ”ですか。なるほどね」
「なんじゃ。異論がありそうじゃな」
「いえいえ。ではもうひとつ、なぜ姫はモンスターに襲われているのですか? 先方の都合でかどわかされたのでしょう」
「それは、わらわが脱走を企てたからじゃな」
「へえ。よくぞ今まで、モンスターに捕まらなかったものだ。まったく理屈に合いませんね。不合理です」
「なによ!」
 エイダ姫は、両手を腰に当て、真っ赤な顔で頬を膨らませ、口を尖らせた。所謂“ふくれっつら”というやつだ。可愛らしい少女がそれをやると、さらに可愛らしく見え「まあまあ。そう膨れないで、おじょうちゃん」と宥めたくもなるが、彼女の場合はただ憎たらしいだけなのである。
「なんです?」
「合理性がどうのと言い出したら、そもそもゲームが成立せぬわ。助けるのか助けないのか。どっちじゃ?」
「どうしようかなあ」
「な、なにを煮えきらぬ態度を示しておる。わらわを助けぬと、この迷宮から抜け出すことは叶わぬぞ。魔導師ワルダナは、この迷宮の地下十階に潜んでおる。地上に戻るためには、ワルダナを打倒し、きゃつめの部屋にある直通エレベーターに乗らねばならぬぞ。じゃが、ここからが問題じゃ。そもそも地下九階から十階へ降りるには、七色に塗り分けられた七つの部屋をある決まった順番で通らねばならぬのじゃ。
 わらわはその順番を知っておる。また、小さいころから宝物に囲まれて暮らしておったから、アイテムの鑑定は得意じゃぞ。戦闘補助魔法や治療魔法も少々心得ておる。しかも、しかもじゃ。お誂え向きに、この地下迷宮の地図までちょろまかしてきたのじゃ。どうじゃ、心強かろうが?」
「分かりました。ではお助けすることにしましょう。姫、自分の後ろに隠れていなさい」
「おおそうか。無事わらわを地上まで連れ戻ってくれた暁には、望むままの褒美を取らせようぞ」
 プリンセス・エイダと剛の話が終わるまで、所在なげに体育座りして待っていた四体のモンスターが、不敵な笑みを浮かべ、臀部についた砂をパッパと払いつつ立ち上がった。巨大なゴリラを連想させる胴体に爬虫類の四肢と尾、そして蝙蝠の翼が生えているという、支離滅裂な姿だ。
「名もなき冒険者よ。こやつらは迷宮の顔役“グレイテスト・デーモン”じゃ。固い上に、数々の魔法を駆使してくるぞ。しかも、どんどん仲間を呼んで増殖するのじゃ。油断は禁物じゃぞ」
「了解。だが自分のやることはただ一つ、ただ“たたかう”のみだ。出でよ、“魔剣ヌルポインター!”」

「きゃあああ。そのほう、顔に似合わずめちゃくちゃ強いではないか。うむ。そのほうのような、桁外れに強い勇者こそ、わらわの婿に相応しい」
「“顔に似合わず”は余計です。姫、ただ強いというだけで、伴侶を選んではなりませんよ。自分は非常に酒癖が悪いのです。酒に酔って姫を叩くかもしれません」
「なに。そのほうドメスティック・バイオレンス夫だと申すか。ううむ。それはちょっと困るのう」
「姫。今はそのようなことを言っている場合ではありません。とにかく一刻も早くこのダンジョンを脱出しましょう」
「おお、そうじゃったの」
 プリンセス・エイダは、右手を剛に向かって差し出した。
「なんですかこの手は?」
「決まっておろう。そのほうがわらわの手を引くのじゃ」
「そんな面倒なことやってられませんよ。自分に離れないよう、着いてきなさい」
「なんとつれなき男よのう。だが、殿方からチヤホヤされるのに慣れているわらわにとって、そのほうの、ひんやりした態度はかなり新鮮じゃぞ。存外かように、出会いのおりこそしっくりこなくとも、最後には燃え上がる恋に発展するパターン。活動写真などではようあることじゃ」
「それはどうでしょうか。姫、迷宮の地図をお持ちですよね。地下九階に降りる階段の場所を教えてください」
「おうそうじゃな。しばし待て。ええっと、地下八階の地図は。これじゃ」

「ア。アホ?」
「な、なぜわらわを睨みつけるのじゃ?」
「別に。で、我々の現在地は?」
「地下九階へ降りる階段の壁を挟んで、西隣じゃな。ふうむ、かなり回り込まなければ――」
 バッコォォーン
「な、なんじゃ? おお、壁が跡形もなく」
 剛が、“魔剣ヌルポインター”を振るって壁を消滅させたのだ。別につるはしの形にする必要もない。
「おお素晴らしい。やはりそのほう、只の冒険者ではないな。どこの工務店所属じゃ?」
 剛はプリンセス・エイダのくだらない質問には答えず、ずんずん階段を降りていく。
「こりゃ、ちょっと待たぬか」
 階段を降りきるとそこは、壁が漆黒に塗られた小部屋であった。四方の壁に、別の部屋へ続くであろう扉がある。
「“黒い部屋”か。これが先ほど姫がおっしゃった、七色に塗り分けられた部屋のひとつなわけですか」
「そうじゃ。この階にはほかに、赤、青、黄、緑、紫、白の、六つの部屋がある。これらをある順番で通過することにより、十階へと降りる階段が出現するのじゃ。その順番の秘密を知りたいか。それはな――」
ドッゴォォォォォォーン
「おお! なんじゃこれは?」
 二人が立つ床に、大きな穴がぽっかりと口を開けていた。これまで壁に対して使用していたヌル初期化の力を、床に対して行使しただけだ。
「面倒なので床に穴を開けてみました」
「手荒いことをするのう。これではクリアしても、攻略本が出せぬぞ」
 剛は、プリンセス・エイダの手首を掴んだ。
「さあ姫、穴へ飛び込みますよ」
「きゃああ。危ないよ、怖いよぉ」
「大丈夫です。階層構造になっていると感じるのは錯覚です。“電脳魔界”は本来、単なる連続したメモリ空間なんですから。“穴に落ちて全身を強打する”と考えるからその通りになるのであって、普通に平面を移動すると思えばいい。怖いなら目を瞑っていなさい」
「無理だよ。だって高いむおぉぉん。やだぁ、おかあさまぁぁぁぁあれぇぇぇぇぇ」
「ほら、なんともなかったでしょう」
「あれ? もう飛び降りたのか」
「はい。しかしここには、まったく光源というものがありませんね。自分が開けた穴から上階の光は漏れ差してきますが、自分たちの周辺のみボンヤリと明るいだけです。数メートル先が見えない」
「やはり、わらわがおらぬと埒が明かぬようじゃ。どけ、マジックスペル“ミレルワ”で、迷宮内を真昼の如く照らしてみしょうぞ」
「そこまで明るくしなくてもいいです。怪物たちが光を目当てに寄り集まってくると面倒ですから。自分たちのいる部屋の隅まで、なんとか見える程度で」
「望むところぞ。実はまだ修行中の身、わらわの“ミレルワ”は、精一杯気張っても、薄ボンヤリと部屋の隅を照らせられる程度なのじゃよ。どわっはっは」
「はいはい分かりました。ではお願いします」
「ミレルワ!」
 プリンセス・エイダが呪文を唱えると、彼女を光源として部屋の隅まで見渡せる程度に明るくなった。
「ん?」
 部屋が明るくなったことにより、その中央に、“なにか”が蹲っていることに気づいたのだ。その“なにか”は、二人に対して背を向けている。おそらく正規ルートでこの部屋に辿りついた場合、扉を蹴り開けた瞬間、こいつがフンギャーと襲い掛かってくる手筈なのだ。その“なにか”は、体長二十メートル、体高十メートルはあろう“ドラゴン”のようだ。
「姫、こいつは?」
「これ、大きな声を出すな。ドラゴンに気づかれるぞよ」
 プリンセス・エイダは、人差し指を唇に当て、小声で囁いた。
「だって、今まで普通に話をしてたじゃないですか。それで気づかなかったってことは、居眠りしてるんですよ多分」
「居眠りなどしておらぬ。我々の出方を窺うておるだけじゃ。これはほんに恐ろしい奴じゃぞ!」
「姫の声のほうが大きいじゃないですか。ほら、ドラゴンが我々に気づいちゃいましたよ」

「あれ? おかしなことを言ってますよこのドラゴン。“禁断の絵筆”は魔導師ワルダナが持っていて、姫はその魔力でここへ連れてこられたのでしょう。話が食い違ってるじゃないですか。さては姫、あなたはご自分の意思でこの迷宮に潜入してきましたね。“禁断の絵筆”を手に入れるために。気のいい冒険者を嘘八百の作り話で騙して、このドラゴン。ええっと、誰だっけ?」

「あ。どうもお手数お掛けします。このべケレスさんにけしかけようとしたな。とんでもない跳ね返り娘だ」
「わらわを叩くつもりじゃな。わらわを見るその視線が、雄弁にそのことを語っておるわ。このドメスティック・バイオレンス男! わらわを叩いてみろ。ぴいぴい泣くぞ」
「叩くつもりはありませんがね」
「確かにそのほうの申すとおりじゃ。わらわはこの通り美しくもなく、凡庸もよいところじゃ。宮廷内どころか民草たちまで『エイダ姫は、次代女王の器ではない』と噂しておる。悔しゅうて夜も寝られぬわ。わらわは“禁断の絵筆”を手に入れ、みなに目にもの見せてやるつもりだったのじゃ」

「と、大口を叩いていますが、本当ですか姫?」
「“神竜・エル・ベレケス”の固い鱗は、この世のいかなる武器、例えそれが伝説のドラゴンスレイヤーであっても貫くこと叶わず、さらにすべての魔法は無効化される」
「じゃあ、倒すことができないじゃないですか」
「じゃから、攻撃しない程度に攻撃し、倒さない程度に倒せばよいのではと、わらわは思うぞ」
「禅問答みたいなこと言わないでください。では“この世のものではない武器”ならどうかな」

「なるほど。しかしこれは、“貫けない”のではなく、“貫きすぎてスカスカ”と表現したほうがいいな。要するに実体がないんだ。ではこれはどうかな。“リファレンスアンカー”射出!」
 剛は、プリンセス・エイダに向き直って、至近距離から“リファレンスアンカー”を射出した。アンカーの先端が、狙いたがわず彼女の額に突き刺さる。
「なんの真似ぞ?」
 彼女が口を開いたと同時に、部屋中に強烈な硫黄臭が充満する。
「電脳魔界において、“意思”を持てるのは、ただ主であるIT妖怪本体のみ。この迷宮で、自分に“意思”を持って接触してきたのは、あなただけだったのでね、プリンセス・エイダ。それに、何食わぬ顔で、仲間然として近づいてきた人物が、実は敵の首魁であったというパターンは、ドラマでもよくあるぞ。もう少し気の利いた筋書きを考えるべきだったな」
「うぬれぇ」
「これが、お前にとって永遠の消滅であることを望む。往生せよ、IT妖怪『魔画像・壊裂咤絵』!」

(七)


 電脳魔界において、『魔画像・壊裂咤絵』にリファレンスアンカーが撃ち込まれたちょうどそのころ、ウェブ・ダイナミクスの事務所では、鷹野洋子が意識を取り戻していた。
「洋一、どこにいるの洋一」
「洋一は、もういなくなっちゃたよ。多分」
「ええっと? どなたでしたっけ。ここはどこ」
 鷹野洋子は、『魔画像・壊裂咤絵』が離脱した際の衝撃で、かなり記憶が混乱しているようだ。
「ここは、渋谷のウェブ・ダイナミクス社事務所。貴女の会社よ。そして私は桃栗咲です」
「桃栗咲、桃栗咲。ああ、ツサの人ね」
「そうよ」
 桃栗咲がウェブ・ダイナミクス社に乗り込んできたツサの社員であることを鷹野洋子が思い出すまで、かなりの間があった。だがこれで、彼女の記憶が、ほぼ整理されたものと見做してよい。
「やはり、あの薬師神という男は、私から洋一を奪いにきたのね。あの子の不思議な力が目当てなんでしょう。そして貴女は、それを手助けする役回りなんだ」
「薬師神君は、貴女から洋一君を奪いにきたのではないわ。彼にはそんな力、必要ないもの」
「じゃあ殺しにきたの? 洋一は小さい子供なのよ」
「小さい子供ではないと思うわ。それは、貴女を騙すための、なんて言えばいいのかな、作られた姿よ。あれは貴女にとって非常によくない存在よ。だから薬師神君は、貴女から洋一君を切り離すために、ここへきたの」
「はっきり言わせてもらうけど、大きなお世話だったわね」
「なんですって。貴女ねえ、あのバケモノと結託して、どれだけ他人に迷惑かけたか自覚してるわけ?」
「申し訳ないけど。桃栗さん。貴女と議論するつもりはありません。どうせこう言うんでしょ。『やることをやらずして、グダグダ文句ばかり垂れるな』とか、『現実から目を逸らすな』とか、『逃げたら永遠に敗北者のレッテルが貼られる』とかとかとかとか」
「まあそんなとこだわ」
「『BL作家を目指すなら本気でやれ。無論そのために、ウェブシステム開発の仕事をないがしろにしてはならない。日々の仕事をしっかりこなしながら、夢を実現させる人はいっぱいいるぞ』とか説教垂れたいわけね」
「それもあるわ」
「残念ながら私、本当にBL作家になりたいなんて思っちゃいないのよ。なんて言うかなあ、現実逃避の道具? その証拠に、今まで作品完成させて、賞に応募できた試しがないもの。笑っちゃうでしょ」
「そんな、やってもみないうちから」
「諦めてどうするんだって言いたいんでしょ。あっ、もしかして桃栗さんの職場にいるんだ。作家とか漫画家とかゲームデザイナーとか、クリエイティブな道へ進みたいって思ってる人。桃栗さんところもウェブシステム開発やってるから、デザイナーとかスクリプターとかいるもんね。もしかしてあれ? 毎晩遅くまで創作やってて、昼間居眠りしないように、自分の手を針で突きながら頑張ってる人がいるんでしょ」
「なんか、ドンピシャ過ぎて気味が悪いけど、そうして頑張ってる社員は、確かにいるわね」
「やっぱりね。言うことがステロタイプなのよ。貴女みたいな人って。悪いけど、貴女がそんなこと言っても、全然説得力がない。貴女なんて、ぜえんぶ持ってるでしょ。美も知恵もなにもかも。男たちにチヤホヤされて、さぞかしリアルに充実した日々をお過ごしなんでしょう。ひとつお伺いしたいけど、それって努力して手に入れたの。生まれ持ったものでしょうが。ふん、馬鹿馬鹿しい。私、この会社辞めますから。バイバイ」
 鷹野洋子はそう言い残して、荷物をまとめ、事務所から退室してしまった。装社実も桃栗咲も、呆気に取られて見送るだけだ。
「あの、装社課長。薬師神君がこっちへ戻ってきたときに、鷹野洋子の態度を伝えたら彼、きっとがっかりするわね。私、アフターフォローもなにもできなかった」
「仕方ありませんよ桃栗係長。貴女ほどの人でも鷹野洋子を更生させることができないなら、薬師神さんには絶対無理ですから」
「装社課長。彼女、なにかまた別のIT妖怪にとり憑かれたんじゃないかしら。微かに硫黄の臭いがしたの」
「実は私が持つ、“捜魔の無線光学マウス”がわずかに反応していたのです。残念ながら私の場合、IT妖怪との闘いに敗れ、神経系統の一部を損傷してしまいましたので、IT妖怪を検知する力が極端に弱まっています。従って、『魔画像・壊裂咤絵』の波動の残滓なのか、別のIT妖怪の波動か、判別できないのですよ」
「大丈夫かしら、洋子さん。私が心配してるのは、彼女自身のことじゃなくて、彼女に関わる人たちのことなんですけど」
「大丈夫です。そうなればまた、私たちシステムゼロ課が乗り出すだけです。おお、そろそろ薬師神さんが電脳魔界から戻ってきますよ。とにかく今は、薬師神さんの労をねぎらいましょう」
「そうね」
 無事『魔画像・壊裂咤絵』の撃退成った翌朝。ゼロ課の事務所にて、剛から装社実に作業完了の報告がなされていた。時刻はまだ十一時をわずかに回ったところなので、いつものことながら、事務所には剛と装社実の二人だけだ。報告と言っても、IT妖怪との闘いの詳細は、常にリモートでモニタリングされているから、形式的なものになるのだが。
「お疲れさまでした、薬師神さん。今回はしっかりと、IT妖怪ばらを吸魔のUSBメモリーに捕獲されたようですな。上首尾です」
 いつもなら満面に笑みを浮かべながら労をねぎらう装社実だが、今回は若干違った。非常に表情が暗い。語尾もなにやら、ゴニョゴニョしている。極め付けは、心ここにあらずという様子で、視点が定まっていないのである。
「『闘鬼・戦国武将』のときは、本当に痛恨の失敗でしたから。今回は常に冷静であるよう心がけました」
「さすがですな。ふぅ」
「『魔画像・壊裂咤絵』は、危険度“高”の妖怪ですから、ちょっと期待できるのではないですか?」
「そうですねえ。ただ、ウェブ・ダイナミクス社は規模が小さい会社なので、“コンプライアンスレベル保護費”はあまり期待できないでしょう。はぁ」
「そうなんですか?」
 “コンプライアンスレベル保護費”とはなんぞやというと、社内に凶悪なIT妖怪が出現したという事実を外部に漏らさぬようにしてあげるという、ざっくばらんに言えば“口止め料”である。
「しかし、国からの報奨金はそれなりの額になるでしょう」
「よかった。ところで、ウェブ・ダイナミクス社が請け負っていた仕事はどうなるんだろう。あれ、そう言えば鷹野洋子さんは?」
 装社実は、剛の問いかけに答えず、一点を見つめて考え事をしている。さきほどから心ここにあらずといった様子なのだ。
「課長」
「あっ。これは失敬。相変わらず鷹野洋子は失跡したままです」
 鷹野洋子。彼女こそ『魔画像・壊裂咤絵』事件の中心人物であるはずなのだが、CカップまたはDカップであろう豊かな胸以外、剛は彼女の容姿を記憶していないのだ。背が高かったのか低かったのか、太っていたのか痩せていたのか、髪が長かったのか短かったのか、顔が丸かったのか細面だったのか、まったく覚えていない。それを言いだせば、ウェブ・ダイナミクス社の社員たちはもっとひどい。鷹野洋子はかろうじて色彩を帯び動いていたが、彼女以外は白黒の静止画に過ぎないのである。
 唯一容姿を鮮明に記憶しているのは、電脳魔界で出会った、下町の垢抜けない娘、“プリンセス・エイダ”のみだった。もしかすると、彼女こそ鷹野洋子だったのかもしれない。
「ウェブ・ダイナミクスの社員たちも、未だ混乱から立ち直っていない状態で。IT妖怪の呪いが消えて、顧客担当者の現場復帰が叶い、頓挫していた開発も再始動しつつあるのですが、髙木がまったくの逃げ腰になっておりましてな」
「髙木って誰でしたっけ?」
「ウェブ・ダイナミクス社の代表取締役ですが」
「ああ」
 確かにそのような名であったような記憶がある。
「結局、乗りかかった舟とばかり桃栗係長が乗り出して、ウェブ・ダイナミクス社が抱えている開発案件は全部、ツサ三課が引き取ることになったのです。無論、実作業は三課が全部やるわけではなくて、斉藤さんのウェブ・ファクトファインドを始めとするパートナー会社に振り分けるのですがね。また、今回の一件が相当堪えたみたいで、ウェブ・ダイナミクス社は、システム開発から足を洗って、デザインと編集に専念する方針です。となると、プログラマーはお払い箱ですわな。そこで、三課が何名か引き受けることになったようですよ」
「どさくさに紛れて、スキルの高い経験者を取り込んだってことかな」
「違います。桃栗係長は、スキルがまだ低くて、身の振り方に困る者を優先的に引き受けたようです。スキルが高ければ、どこでも務まりますからね」
「なるほど。桃栗係長は、やっぱりスケールが大きいなあ」
「本当です。ふぅぅぅぅぅ」
「ところであの。課長、なにか話されるたびに、語尾のトーンを落として、ふぅとか、はぁとかため息をつくのはやめていただけませんか。失敗を犯して責められているような気分です」
「失敬失敬。実はこの『魔画像・壊裂咤絵』の案件が立ち上がってからずっと気になっていることがありまして」
「もしかすると、鷹野さんに、問題のグラフィックソフトを手渡したという、謎の女性のことですか」
「どう思われます?」
「どうって。課長の質問の意図がいまいちあれですが、そのグラフィックソフトを彼女を使い出してから奇妙なことが起こり始めたとブログにありましたので、それが『魔画像・壊裂咤絵』を召喚するトリガーであったか、もしくは『魔画像・壊裂咤絵』そのものであったと考えられるのではないでしょうか」
「彼女が使っていたパソコンからは、既に問題のグラフィックソフトは消えておりましたので、断定はできませんが、よほど状況判断能力に欠けるウスラトンカチでなければ、普通はそう考えるでしょう。しかしここからが問題です。その謎の女性、池袋で鷹野洋子に声を掛けた謎の女性は、そんなものをどこで入手したのでしょうか?」
「それは。分かりません」
「もしかすると、我々に敵対する組織が存在するのかもしれませんよ、薬師神さん」
「と、言いますと?」
「我々の仕事は、IT妖怪に憑かれた技術者からそれをひっぺがし、消滅させることですね。敵対するとはつまりその逆。すなわちIT妖怪のインスタンスを生成し、技術者に憑依させることです。それを生業とする組織が存在するのかもしれません。『IT妖怪ハンター』に対して、『IT妖怪サマナー』ですか」
 装社実はとんでもないことを言い出したが、理論的には存在してもおかしくない。消滅させられるのだから、逆に生成もできるだろう。しかしそれをどうやって人間に憑依させるのか手法は不明だが、よくよく考えると、『退魔経』で、憑依された技術者からIT妖怪を“ひっぺがす”行為自体、現代科学では説明不可能なのだ。
「IT妖怪サマナー! 確かに存在してもおかしくないです。でも、ビジネスとして成り立ちますか? どこからお金が出るんです」
「充分成り立つと思いますよ。この自由競争社会ではね。ある分野でシェアを争っているA社とB社があるとします。現代は、コンピューターシステムがなければ、企業戦略が策定てきない時代でしょう。たとえばA社で、大規模なシステム開発プロジェクトがコケたらどうなります。どこが得をしますか」
「B社ですね。なるほど、そういうことなんだ」
「外部に出ると困る機密情報でも、すべてコンピューター上にある時代でしょう。そんなものあなた、そっち系統の通力を持つ妖怪なら、盗み放題です」
「妨害工作と諜報活動か」
「ウェブ・ダイナミクス社の顧客はほとんど中小企業で、かつ業種も多種多様ですから、ライバル企業からの妨害工作や諜報活動というのは現実的ではありませんが、試験運用であったとも考えられます。もしくは、新米IT妖怪サマナーのOJTであったか。とにかく、実に厄介なことになりました」
 装社実は眉間に皺を寄せ、腕を組み考え込む。剛も「ううむ」と唸りながら、装社実と同じように眉間に皺をよせ、腕を組んで考え込む仕草をする。剛がいくら考えたところで、打開策が浮かぶはずなかったが、ぼんやりと装社実の様子を眺めているわけにはいかない。
「あっ、そうだ」
「なにか名案が?」
「違います。薬師神さんにお渡ししなくちゃいけないものがあったんですよ」
 装社実は、足元の紙袋をゴソゴソ探っている。
「まずこれです」
「これは」
 それは、ビニール袋に入った作務衣の上下だった。手に持つと、かすかに繊維の匂いがする。ただし新品ではない。なぜなら、襟の内側のタグに、クリーニングの紙片がホチキス止めされているからだ。
「アイ・ピー・システムの佐山部長から薬師神さんにということでしてね」
 剛が手にしている作務衣は、アイ・ピー・システムの部長、佐山雅に憑いた『闘鬼・戦国武将』を撃退するため、愛甲石田にある家電製品大手、N社のラボ内に乗り込んだとき着用していたものなのだ。
「N社IT推進部の川俣が解任されたあと、佐山氏が『ハイパー・ブループリントシステム』の取り纏め役に抜擢されたようです。そうなればことは一気呵成ですな。システムは無事本番稼働したそうですよ。ただし、当初の予定からすると二ヶ月遅れになりましたが、薬師神さんが乗り込んだときの状況を鑑みれば、奇跡に近いものですよ。なにしろ、全体の三分の一も実装できていなかったのですからね」
「N社IT推進部の人間ではなく、一サブシステムを担当する、言葉はよくないですが、“外注”の人間が取り纏めに抜擢されるとは、すごいですね」
「いやいや、N社IT推進部、それから他のサブシステムを担当している各社のメンツを見渡してみても、他に適任者はおりませんからな」
 剛は、おそらく装社実が、佐山雅を責任者に抜擢するよう圧力をかけたのだなと察知した。IT妖怪ハンターがなすべき“アフターフォロー”として。
「ということでして、佐山氏がぜひこの作務衣を薬師神さんにと。非常に似合っておられたよと。どうです。これをIT妖怪撃退時のユニフォームになさってはいかがですか」
「そうですね」
 実は、剛もそれを考えぬではなかったのである。
「それから、どっこいしょと。これをお渡ししようと思っていたのです」
 装社実が机の上に置いたのは、金属製のアタッシュケースであった。サイズは40㎝×55㎝×15㎝ぐらいで、そう大きなものではない。デザイン的にはゼロハリバートンのように、無機質な中にも丸みを感じさせるものだ。
「これは?」
「はい。これは私が現役のとき、三種の神器を収納していたアタッシュなのです。残念ながらもう使うことはありませんので、薬師神さんに受け継いでいただきたいと思いましてね」
「え? これはやはり、一番弟子である松本さんが受け継ぐべきではないのですか」
「しかしこれは、女性にはちょっと似合いますまい。持ってみてください」
「はい。うわっ、かなりズシッときますね」
「そうでしょう。実はこのアタッシュケースもチャーリーから譲り受けたものでして、なんと、オリハルコン製らしいです。って、これこれ、眉を唾で濡らさないように」
 チャーリーとは、装社実をIT妖怪ハンターへの道に誘い込んだ、怪しさ爆発の自称超霊能者、チャーリー・マクラーレンのことである。IT妖怪は現実に存在するのだから、まったくのインチキ野郎ではないが、装社実から聞く限り、それ以外のことは信憑性に欠ける。
「でも、課長もオリハルコン製“らしい”とおっしゃいましたよ」
「チャーリーの言うことを疑いだすときりがありませんのでね。これは『防魔のアタッシュケース』と申しまして、オリハルコンの力でですね、三種の神器がIT妖怪の邪悪な波動を受けて変調するのを防ぐ働きがある“らしい”です」
「ほらまた。“らしい”って」
「そう信じれば、そういう効果があるのですよきっと。必要ありませんか?」
「あ。いえ、喜んで使わせていただきます。ところで課長、ものはついでですので、ちょっと自分の考えを聞いていただきたいのですが」
「なんでしょうかな?」
「IT妖怪のことです。自分は、IT妖怪という存在は、もともと善でも悪でもなく、単に現代科学で説明できない不思議な力を持ったプログラムに過ぎないと考えています。それが人間にとり憑くとき、その人間の性向の影響を多大に受けます。言わば“多重継承”ですね。自分は、『闘鬼・戦国武将』と、『魔画像・壊裂咤絵』の二体とやりあって、そのように感じました」
 “多重継承”とは、二つ以上の親クラスを継承して、子クラスを導出するオブジェクト指向プログラミング用語である。代表的な例を挙げると、C++言語で実装されている機能であるが、多くの問題を内包し、プログラムの可読性が低下するため、JavaやC#などの、現在“メジャー”とされているプログラミング言語では実装されていない。あるクラスはひとつのクラスからのみ導出される“単一継承”が主流となっている。
「そうですか。実は私も現役時代、そう感じていましたよ」
「やはり」
「ただ、松本さんは違うようですね。彼女の場合、IT妖怪はすべからく悪い奴という認識で、倒すときにはなにも考えず、オラオラァとやっつけるだけなのです。それが間違っているとは申しません。IT妖怪はその九分九厘がろくでもない奴ですから。なぜなら、IT妖怪を召喚する技術者の、九分九厘がろくでもない奴だからです。
 IT妖怪が振るう通力自体、人間のネガティブな側面を補完するものが主ですからね。薬師神さんが対決した『闘鬼・戦国武将』なんて、例外中の例外中の、そのまた例外ですよ。ただ、アフターフォローという面で少し弱くなるのですね。未だ若いですからなあ」
「なるほど」
「彼女とペアを組んで、フォローしてくれるパートナーがいればいいんですがね。私としても、そういつまでも付き合い続けるわけにはまいりませんし」
「……」
「桃栗係長などは、まさにうってつけなんですがなあ。しかし彼女をゼロ課に引き抜くためには、かなりの報酬を約束する必要があります。よしんば、報酬のほうがなんとかなったとしても、まあ、彼女が三課を見捨てて、ゼロ課へ来てくれるはずがないですな」
「そうですね」
「薬師神さんの願いなら、首を縦に振ってくれるかもしれませんぞ。なにしろ彼女は薬師神さんの大ファンですから」
「無理ですね。桃栗係長は、自分のことなんて、なんとも思ってやしませんよ。それは課長がよくご存知のはずでしょう。桃栗係長と結託して、今回のことを仕組んだんですから」
「ううむ。そうかぁ」

#創作大賞2024


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?