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厄除祈願に行ってきた話

今年、満年齢41歳、数え年で42歳になり、無事に本厄と呼ばれる歳まで生き延びる事ができました。ありがたい事です。本厄の中でも男性の42歳は大厄と言われ特に注意が必要と言われておりますもので(因みに女性は33歳)、厄除祈願を受けてきました。

さてその前に厄年とは何かが気になるのですが、少なくともインターネットで少し調べてもよくわからない起源の迷信、風習という感じを受けます。肉体的にも老いて変調をきたす年齢という形で単なる迷信で片付けない説得力を持たせようとしてますね。色々文献まであたると何か出てくるかもしれませんがとりあえずインターネットの表層に出てくる情報ではフワッとしてます。

まずは厄年について個人的には厄年まで無事に生き延びれたという事がそもそも大事だと思っています。

過去に於いて医学、公衆衛生、治安のレベルが現代とは違っていたもので、生存率も、平均寿命も全然違っていた事でしょう。戦争もあったので要素がまた変わってくると思いますが、内閣府の平均寿命の推移をみると1950年では女性が61.5歳、男性が58.0歳。それが2010年では女性が86.39歳、男性が79.64歳。ずいぶん違います。平均寿命の差は「死」の概念の距離感に関わるもので、2021年現在の各年齢層の感じる「死」への概念は若年層になればなるほど過去のものとは大きく距離が違うのではないでしょうか?

「死」との距離感と厄年などの風習に対する距離感が比例するようにも思うもので、簡単に言えば現代においては迷信、風習のように根拠の曖昧なものとしてフワッと考えられるものになっているかと思います。逆に「死」との距離感が近いと、厄をいかに乗り切って生き延びるかという事に対する態度が違ってきそうですね。このような過去における心の有り様を探るのが「心性史」というジャンルの歴史学になるのですが、当時の方々が当たり前のように捉えていた事ほど文献等に成りづらいので風習等々から推測するのが面白いとも言えるし不確実性が高いとも言えます。

ともかく、起源や効能のほどが不確かなものでありながらも今日まで「厄」という概念が残り、そして厄祓いという風習が残っているということ自体が価値を持つものであり、せっかく無事厄年まで生き延びれたのだから厄除祈願を受ける人間の統計数を1つでも伸ばして後世へこの風習を伝えていく1人の人間になりたいな、と思ったもので厄除祈願をしてきました。

日本は特殊というか、文化的な断絶の危機があった国だと思っています。明治維新〜第二次世界大戦敗戦のあたりの大きな変動ですね。短期間に大きな変動が起こりすぎた、というような表現をすれば良いでしょうか。そしてその上で20世紀に急速に発展する「科学」敵要素が加わりブーストされたという具合に捉えております。

文明開花、廃仏毀釈、和魂洋才等の言葉は明治維新以後の日本史を少しでも触れると知っているかと思います。その後に第一次世界大戦の戦勝国になり、第二次世界大戦で敗戦国となるのですが、大きく国家の政治の形、戦前の国家として向かっていきたい文化の方向性についても鼻っ柱を折られた形となりました。

デリケートな物言いになりますが、自分は第二次世界大戦前の国家的な文化形成の方向そのもの全てを肯定するわけではありません。が、この敗戦からのrestructuring、国家の再構成の段階に於いて国策的なもの以外においても大きく元々あった文化がダメージを負ったのではないかとも思っております。戦争の勝ち負けそのものに関係のない文化まで戦争に負けた事で否定的に捉えられて後進的なものとして扱われてしまった、という事は多々あったのではないかと思っています。国家的ではない部分まで影響する、身近な文化における断絶です。

ただ、この断絶があったからこそ、新しい方向に全体として大きく舵を取る事ができ、その後の高度経済成長の大きな要因にもなったのではないかと思うもので、身も蓋もない言い方ですが過去の終わってしまった出来事についての肯定も否定も自分にとってはそんなに大きな意味はないですね。それよりもこれから、未来へのお話です。過去は変えようがないですから。

敢えて断絶という強い言葉を使いましたが、断絶しかけている状態という感じでしょうか。普段何気なく行なっている行為一つ一つが大きく刷新されたけど、習慣として残っているものもある状態ですね。

義務教育等学校教育などは国策の影響を強く受けるもののの一つで、新しいものを取り入れるのは多くのメリットもありますが、文化的な断絶を作る事にもなります。。学校教育における音楽において2002年の教育指導要領の改定で和楽器の体験が必修となりました。それ以前のお話として、学校教育において和楽器が外されたのは明治に遡ります。国策として分断を選んだ、という事があったわけですね。他の教科にも色々とあった事でしょう。

また、19世紀後半〜20世紀になり人類全体として新たな信仰として「科学」というアカデミズムに則ったものが急発展していきましたが、そこに大きく乗っかっていけた事自体は大きなメリットもあるので、断絶がそのまま全否定にはならないわけでもあります。今現在もまさに「科学」的信仰が試されるコロナ禍に人類が直面してますね。

文明が進み、風習等で公衆衛生の観点からデメリットの多いものなどはどんどん無くなっていくとも思いますが、その中で時代に合わせて変容させて継承していくというのも大事なのではないか、というのが自分の思うところで、変容しても継承されて繋がっているものであれば遡って過去を伺い知れるということにも大変価値があると考えております。

色々と述べてきましたが、自分としては「昔はこうだったんだよ」と現在の容態から遡って繋がっているものとして各土地に継承されているものを未来に繋げていきましょうと。形だけの儀式的なものだったとしても。

ここでまた少し話を変えますが、「あなたは神を信じますか?」。

敢えてのカッコ書きにしましたが、21世紀の現在において、「科学」という存在が目に見えない多くのものを可視化し、宗教にも大きく影響を与えたのではないでしょうか。公衆衛生も大きく変わりましたね。細菌のみならずもっと小さいサイズのウイルスまで発見をした事により病気への対策は段違いにレベルが上がりました。

目に見えない空気の振動「音」も記録、再生が可能となり、その音の振動の記録を可視化できるし、目に写る光の反射も記録出来る、さらに連続して記録して動画として記録が出来るようになりました。それを短時間で世界中に情報送信出来るようになったわけで、特に20世紀後半以降は圧倒的な改革がもたらされましたね。情報取得の解像度が深くなり、情報伝達の速度が速くなった、という感じでしょうか。そのような時代に於ける宗教はどのような役割を持つのだろうか。このようなテーマは多く語られてきているように思います。

さて、「神」とはなんぞやという話にもなりますが、自分は「神」は人類にとっての歴史上最大のフィクションであると考えてます。フィクションと書くと軽い感じがしますね。最大創作思念体、でしょうか。難しいですね。

人類は知能が発達し、言葉を発明し、文字という記録法を発明して過去の事を記録し未来に伝えられるようにしてきました。その連綿と続いてきた記録の堆積の上に現在があります。文明、文化という言葉にも「文」という言葉が入ってますね。今書いてるこの文も文字あってのものですね。とにかく文字を通じて未来に情報を伝達できるし、過去の情報を受け取れるようになりました。

しかし、遡れるのはそこまでで、文字の発明以前の記録は当然残らない事になります。出自に不明な部分があると自分たちの存在意義、正当性に不安が出てくるのでしょう、そこを補完するものが必要となります。また、自分たちのみならず身の回りに認識できるもの全てがなぜそこにあるのかという他者の存在価値についても併せて作り上げていく必要もあった事でしょう。自分たち人間とは何なのか、世界とは何なのか、という問いに答えを授け、導く存在として「神」という概念を欲したのではないでしょうか。大雑把な捉え方ですが。

科学的技術が発展するとともに身の回りに認識できる世界の仕組みがより鮮明に解き明かされ、可視化できる世界が増え、そもそもの認知できる世界が広がったのですが、それでもなお人類は不安に襲われるのだと思います。個々人のアイデンティティとしても、人類全体としての未来への方向性としても都度不安に襲われる。その際に「神」的な拠り所があるのかないのかというのは大変重要ではないかと思いますし、21世紀の宗教の意義というのは実は大変に大きいのではないかと、特にこの一連のコロナ禍の様々な騒動を見るにつけ感じるところです。

自分は今、子育てをしている最中になるわけですが、個々の人間は生まれた時はまさに0の知識の状態からスタートします。一方、集合体として見た人類は、文明を引継ぎ、文化を受け継ぎ、高度に発展した科学技術を持っている形になります。成長する過程でその人類が今まで受け継いできたものを継承して社会生活の中に入っていくようになるわけですが、その継承していく知識などが相当に膨れ上がってきているのではないか?というようにも思います。どんなに文明が進もうが生物的な限界として上記の通り生まれた時は0からスタートするわけですから。強くてニューゲームなどないわけです。

精神の失調というのも、こういう事とも関係があるかもしれないなと思ったりもします。

これまた言い方として危ないのですが、現代人のための信仰が精神の安定のあり方として大変有効になるのではないかと思います。

危ないというか、新興宗教の問題は今もありますし、それこそずいぶん時間が経ちましたがオウム真理教の凶行などもありましたが、逆に言えば精神的拠り所が不安定である方も多くいるのでしょう。

行動様式の大きな変容で、昔から続く宗教も苦境に立たされている事と思います。現代人にとっての宗教の意味、信仰の意味という事について色々と考えてしまいますね。ただ、自分は宗教や信仰の形が残るという事がエンターテイメントにも影響を及ぼすと思っております。新しい創作の力にもなるかもしれないのでそういうライトな視点で信仰をしてみるというのも良いのではないでしょうか。

ここで2つほど動画を紹介します。どちらも私がリーダーをしているファミ箏の演奏動画です。ご覧になった事がある方もいるかと思います。

奉納という形でさせていただいたものですが、なぜ奉納演奏をしたかったのか、というお話になります。

自分は1980年生まれで、物心ついた時はファミコンが発売されていて家庭用ビデオゲームにどっぷり浸かった初めの世代になってくるかと思います。世界情勢としても二次大戦の敗戦の影響も東京オリンピック、高度経済成長を経て薄くなっていき、バブル景気の時代ですね。家業のある家ではなく、転勤がある国家公務員、気象庁勤務の父がいる家庭に生まれたので小学2年生になるまではいくつか住んでいる場所を転々としていました。自分の記憶の一番最初のものは鹿児島の記憶になります。簡単に言えば土地との繋がりも薄いということです。ハリウッド映画がとても元気の良いころでしたね。グレムリン、ネバーエンディングストーリー、ホームアローン等等、これは自分の感じ方になりますが、全体として米国への憧れがとても強い感じでエンターテイメントなんかも組まれていたように思います。普段の教育でもそれこそ和楽器は2002年以前なので触りもせず、要は伝統というものを肯定的に感じる要素が少なかった、という印象です。あくまで私個人の印象ですが。

その中で、強烈に印象を与えたものがあります。

「源平討魔伝」(※PCエンジン版)

うちにはファミコンしかなったのですが、兄の友人宅にPCエンジンがあり、兄についていきその画面を見たときにびっくりしました。キャラがでかい!独特の世界観!強烈な音楽!
繰り返しますが残念ながらうちにはPCエンジンはなかったので源平討魔伝を当時やり込んだ、とかそういう事はなかったのですが、とにかく初めて「和」というモチーフのエンターテイメントを感じた瞬間でした。

そこから「和」というものに興味が少しづつ出てきたので同じくナムコの「妖怪道中記」、そしてコナミの「がんばれゴエモン」、「月風魔伝」と触れていく事になるのですが、とにかくファーストインパクトという話になると兄の友人宅で見た「源平討魔伝」になります。それがなければ興味を持つのが遅くなったか興味を持たなかったか、定かではないですが、「和」という世界観の入り口という意味において自分にとっては大変重要だったという事です。

エンターテイメントというものは文化の入り口として大変に重要な役割を持っていると思っているのですが、その上で、「源平討魔伝」や「妖怪道中記」がエンターテイメント作品として生まれるには当然ながら歴史、建物、風習、文化というようなものが過去から現代に残っている必要があります。例えば鳥居というデザインも、鳥居が神社の入り口であるという意味とセットで残っていないとなりません。昨年で言えば「ゴーストオブツシマ」もそのモチーフをふんだんに使用したゲームでしたし、「天穂のサクナヒメ」でも使われています。

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例えば核の炎に包まれた19XX年みたいな文化的に断絶した世界になったとして、そういう世界で鳥居だけあった場合、その鳥居の意味はその世界にいる人には分からないものになっていると思うもので、鳥居をくぐって神社に詣ると言う風習がしっかりあるからこそ鳥居は神社の入り口を想起する記号としての意味を持ちます。

極端な形、完全にオリジナルな世界観を作るのが難しいのはこういう部分だと思うのですが、作者にしかわからない記号を使ったとした場合、その文字の意味を読者が分からなければその都度説明をせねばならず大変回りくどいです。なので創作において現実にあるものをモチーフとして使っていくというのは合理的ですね。

鳥居を例に出しましたが、このような事が色々とあって、エンターテインメントにおいて作り手のイメージがしっかりと受け手に伝わります。文化風習についての共通理解ですね。

そう言う事を考えていくと、「源平討魔伝」や「妖怪道中記」のようなエンターテイメント作品の世界観を土壌を育くむにおいて現存している寺社仏閣が大変重要な役割を果たしていると思うし、しっかりと過去から現在まで継承してきている神社、お寺に、その芯たる信仰の「神」、「仏」に御礼を申し上げたいし、自身もその継承の何らかのお役に立ちたい、と言う気持ちがありました。縁あって奈良県の吉野に演奏に行く機会をいただけたので金峯山寺と繋がりのある和尚さん、小澤慧月さんに色々と取り次いでいただき、丹生川上神社と金峯山寺の2ヶ所で奉納演奏をさせていただきました。

印象的だったのが小沢さんに色々と奈良の各地をご紹介いただいた際に、「そこに仏様がいると思って接してください。実際にいるいないというお話ではなく、いると思う事が大事です」と言うようなお話をされた事です。「神仏」とまとめてしまって申し訳ないですが、どちらも概念的なもので、上記で自分は最大のフィクションというような言い方までしてしまっているのですが、その上で、自分が大事にしたいと思っているのもこの点で、「神社に神様は居る」、「お寺に仏様は居る」と思う事が場を作り、場を守り、そして過去と未来を繋ぐ事になるのではないかと思っています。「あなたは神を信じますか?」のアンサーとして自分はそういう視点を持って「信じてますよ」とお答えします。

人は知識0からスタートしていくというお話もしましたが、要は生まれてから成長していき、そしていずれ老いて死んでいきます。その中で今まで何をしてきたか、これから何ができるか、厄年というのはそういう事を考えるのにも良いタイミングのようにも思います。

自分自身は宗教家というような人間ではないですが、自分の生き方に影響を与えたエンターテイメント作品があった、その作品が生まれ得る土壌があった、それを考えると信仰というのも大事な役割をこっそり多くの部分で果たしているかもしれないと思うと自分のでき得る範囲で未来にまた何か面白いエンターテイメント作品が生まれ得る土壌を守りたいと思うもので、そんな思いも込めて厄除祈願に行って参りました。自分の身の丈に合った信仰というものを考えてまたこれからも過ごしていきたいと思います。

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