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⑭違和感と不思議の罠にハマるデ・キリコ展(東京都美術館)

奇抜なものや変わったもの、型破りなものが好きです。
岡本太郎は子供のころから尊敬する芸術家。
他人と違うことをする普段の私ですが、結構小心者で人の目を気にしたりする。
でもそのなかでもやっぱり”変わったもの”は私を表現する為の心の支えのようなものだったりするんですね。
”変わったもの”で”謎”なものはやっぱりハマってしまう。


すみません、はじめまして

デ・キリコという画家をご存じでしょうか。失礼ながら私は知りませんでした。はじめまして、キリコ氏。

イタリアの画家、ジョルジョ・デ・キリコ氏(1888-1978)。
ゆがんだ遠近法で脈絡のなさそうなモチーフを描き、”日常でありながら非日常”的な画が特徴的。
そういった、型破り感のある画を描いていたものの中には伝統的な絵画手法で描かれた画もある。
晩年は新形而上絵画という手法を確立させて様々な画を残している。

絵画にとどまらず、彫刻、舞台美術など多岐に渡って生涯芸術に身を捧げた。

デ・キリコの生きた時代

キリコさんの生きた時代は、なんというか「いつの時代もそうなんだな」という印象だった。
日本でいう、明治21年に生まれたキリコさん。
1888年の代表的な美術品はゴッホ作のひまわり。いわゆる”印象派”と呼ばれる芸術家が多く、キリコさんも影響を受けている。
1890年代~20世紀初頭には”世紀末芸術”という分野が流行。
ヨーロッパでの芸術傾向で幻想的・神秘的・退廃的なもので、代表作はムンクの叫びやサクラダファミリアが有名。

20世紀前後の芸術家たちは派閥抗争がえげつないなと前々から感じていた。
ああじゃないこうじゃない、と正解など無いなかで理想の表現を追い求めるのは「いつの時代もそうだな」と思う。

形而上絵画

けいじじょうかいが。初めて聞いた。
キリコさんは実はお父さんは鉄道の技師で、一時は理工学科の学校に行っていた。だからだろうか、この形而上絵画というのが「ああキリコの絵なんだ」と腑に落ちた。

1910年に形而上絵画を手掛けるが、それまでの間にニーチェの思想に影響を受けたり、哲学的なものに影響を受けている。
当初自画像ばかりだったそうだったが、着ている服は当時としては古い衣装であったのも、そういった思想や哲学に影響されたものなのかなと思う。

形而上絵画はどこか不思議でありながら、不安や不穏を感じる。それは形而上絵画の狙いでもある。基本的に作品はイタリアの広場風景が多いが、それらは観る者に謎を吹き込ませる。
きっとキリコさんはニヤリと笑っているだろう。

マヌカン(マネキン)

キリコ作品の形而上絵画の多くはマヌカン(マネキン)を描いたものが多い。
個人的にマネキンのイメージとはかなりかけ離れた画だった。
イメージは「着せられている」感じだったが、キリコ作のなかのマヌカンたちは「自我がある」と感じた。

キリコ展のメインビジュアルのマヌカン。

パッと見て「うわ、自我ある」と感じたメインビジュアル。
表情があるというか、今にも動き出すような、そんな雰囲気を感じた。
怖さもあるし、不気味さもあるが、悲壮感も感じる。
しかしそれらは果たして正解なのかは分からないが、おそらく鑑賞した全員が「正解のない感じ方」をしていたのではないだろうか。

非日常から日常の画へ

そんな非日常を描いた形而上絵画を制作していたキリコさんは1919年以降、伝統的な表現手法の絵画を制作していく。
それはもう原点回帰というべきか、これこそ西洋絵画といった形而上絵画を描いていたとは思えない作品が誕生している。

何か心の心境があったのだろう、この頃のキリコさんは第一次世界大戦後で、もちろん自身も兵士として参加をしていた。
形而上絵画とは違った、日々の日常の風景を残すことが戦争を経験したことで沸いた心があったのかもしれない。

彫刻や風景画がなんとも優しく美しく、なつかしさも感じた。
キリコさんは何を思って原点回帰したのだろう。
生涯を通して、数多くの分野に興味関心を持って制作に打ち込んでいるのでもしかしたら古典美術に興味を向けていただけ、なのかもしれない。

キリコの舞台美術

キリコさんは絵画だけでなく、彫刻や舞台衣装なども手掛けていた。
非常に多彩な興味関心が高かったのだろうと感じる。

当然ながら、舞台美術にもキリコ節というものが生きていた。
不思議で不気味で、謎めいた、そんな世界観が舞台でも表れていて面白い。

晩年の新形而上絵画

そんな原点回帰や舞台美術を経て、晩年のキリコさんは20代~30代の頃に描いた、自身の形而上絵画をリメイクしたりする。
それらを含め”新形而上絵画”として発表したものの、周囲からは批判も多かったそうだ。

マヌカンはもちろん、太陽や月をモティーフとした宗教的なものもあり、今までの形而上絵画を進化させた表現を追求していたようだ。
それは若いころからのニーチェ影響もあったりして、人間の本質を抽象している。

晩年は様々な場所を転々としながら制作をしていたキリコさんは、いくつになっても敬愛するものや自分の編み出したものを愛していたんだなと感じた。
晩年でもやっぱり謎だらけの作品だけども…

アートデート デ・キリコ勉強会

東京都美術館での鑑賞後は上野からほど近い入谷で開かれた勉強会、アートデートに参加してきた。私のデザインの恩師が主催して開かれた。

学生からフリーランス、美術に関心の無かった大人まで、まさに「大人になってから学ぶ美術の授業」だ。
金沢アトリエ・油彩画担当の佐藤先生がキリコさんについてや当時の美術評論、歴史などを解説しつつ、美術鑑賞の楽しみ方や感じ方まで授業してくれた。
その後はいくつかのグループでディスカッションをしたりと終始和気あいあいとした雰囲気のなかで面白かった。

私はゴリゴリとグラレコをしながら(頭の整理にもなるので)、勉強会兼交流会に参加。最前列でゴリゴリしていたおかげ(?)か、参加者の何人かの方から「何を描いてるんですか?」「後ろから気になってて…」と声をかけられました。
頭の整理がてらゴリゴリしてただけです…

キリコ節にやられた展覧会だった

なんとも独特で主張の強い(誉め言葉)、デ・キリコ展。
古い美術史のなかでも飛びぬけた天才が編み出した作品たちは時代に逆らいながらも古典にも目を向けて新しい表現を追求していた。

それらは不思議で、不穏だが、どこか惹き込まれる。
でも言葉で表すには難しい。
謎が多くも惹き込まれる作品が表現の面白さを思い出させてくれる。

そして「分からない」という答えがきっとキリコさんの思い描いた観る者への出題のアンサーだろう。

8月29日まで開催しているので”キリコ節の問題”に挑んでみたらいかがだろうか?


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