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私は何者か、361


眠りに落ちる瞬間に私の耳へ自身の鼓動が流れ込む。その響き渡る拍動に押し出された流れの勢いに目覚めてみれば仄暗い壁の隙間に降り立っている我。陽光がずいぶん庭のなかへと差している。矢のように。そしてまた別の見えぬ矢が空へ向かう。互いに拮抗し、その釣り合いを叶える。

ほんとうには存在しない、多分そう思うのだが、その夢で見た景色をはっきりと覚えていて、細かいところまで思い出すことができる。たまたま休みが続いたので、ダラダラと過ごしていたら、ふっと、夢を、そう、思い出していた。古い金庫の鍵の仕掛がぴたりと合う様に、今と、今のどこかわからないところにあるであろう、その夢の場所との符牒が合うたのであろうか。知らない場所なのにはっきりとわかる。なんて、不思議なんだろう。だけど、そうなんだから、仕方ない。そこにはほんとうに行ったことがないの。ないんだけれど、度々思い出すものだから、行ったような、実際、そこに私が在るように思うの。坂を登り切ったところに草原があって、それよりよ、それよりその坂がとてもいいの。石畳で、急だったりくねくねと曲がっていたり、しまいには落ち葉が敷き詰められて、白いペンキが剥げ落ちた木の標があって、鍵の壊れたゲートを開けて、広い草原に出る。誰もいない。終わりのような場所なの。

枯れ蓮がカキククケコケコと水に沈み、いつのまにか新しい今年の葉を池の水面に浮かべる。その花を、咲いた姿を想像して、まだだよ。まだ咲いてはダメ。咲けばさよならを秒読み。咲くまでが花。って、咲いたらそれまでよ。とでも。

ほんとうに見たのですか。

見たことはありません。

でも、

知っているのです。


広い草原のまんなかに、いる。


終わりの場所である。

つまり、はじまりの場所である。


ものごとが真っ直ぐで、もしかしたら、私が曲がっているのかも知れない。


わたしは何者か。





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