私は何者か、475
突き放されて、奈落に落ちて。いや、そうでもない。えっ、あの、おみくじどおりか。いつも、いつも、救いの手がわたしを守ってくれる。それは、たとえば、チョコレートテリーヌの一欠片であったり、雑味のない、香り高い、ひどく、寒々しいほどすっきりした風味の紅茶であったり。そして、それをわたしに与えてくれる人のあること。
あの、神の様子が悉くに描かれたところの、大塚美術館で見た登板画が蘇る。
神は、死んだ。とか、ニーチェさまよ。
こころのなかの、誰にも、こじ開けられないところは、どう、それは、己の深く突き詰められた、神の領域よ。冒してはならぬ。そっと、踵を返せよ。
その、やはらかきぶぶんは、何度も言ったであろう、自分自身の何処か、自分自身のぶぶんであるのだから。
ゆふべの月を見たか。
細く、切り込まれた、三日月。そこはそのものが照らされ輝いているのか。それとも切れ込みから、光が漏れているのか。わかるすべもなく。わからぬからこそ、さらに惹かれる。
光の集まるところ。
ゆえに、光を放つところ。
耳朶の産毛ひかりて春月夜
わたしは何者か。
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