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私は何者か、427



何を言ってるのかと思う。もちろんわたくしもダメダメではあるが、忖度などと、くだらない所作に、何を素晴らしい素の人々が、将棋倒様に、傾倒しているのか。と。不思議である。何を、思考、嗜好、志向、施工するのかと。あー、こういうことを言い出したら、終わりだね。わたし。飲んだよ。仕事終わって、週末の家まで、時速500キロくらいの気持ちで、今着いて、ビール立て続けに三本目。立て続け。だからと言って、修繕費について、私の創造力的想像力なる、会話の発露は、どうしてくれる。曹操は小喬が欲しかったんか。そうや。女子の取り合いのために何人死んだんか。いやいや、そうじゃない。小喬の姉は大喬やで、知ってましたか。周瑜に嫁いだ小喬のことか。とか、歴史云々はさておいて、いやいや、修繕費は20万までならオケ。いやいや、そんなことやなくて、知りたいという、願いが、願いで終わらない様に、公的さんよ、教えておくれよー。
てか、大人の、成熟した大人の世界が、おじさん、おばさんで切り捨てられ、自分達は年を食らうことを想像だにできない、哀れな子羊、いや、羊に悪い。だから、今の大人は、卑怯なのである。成熟した姿を若々しく見せることにしか世相が反応しない。そうではないだろう。近い将来、我らは死ぬのである。そのために、ただの野垂れ死にでは嫌だと、あがいているだけである。どんなにしても、同じである。賞味期限があるのであろう。おのれが考えた他者への印を、己につけられる日が迫る。なんの、悪あがきは見苦しいぞ。始まりがあれば終わりは必然。どれだけ、愛されたか、夢よ、夢よ、夢の夢よ。泣く前に、もう一度見てみるがいい。ただの人間である。シンプルに。そうでなければ、そんなに威張ることも、卑下することもなかろうに。
素晴らしい素の人よ、普通に、生きることの、そんなことを知るための人生という旅よ。

旅は、己を見つめ、己を試し、己を楽しむ。

その、道連れが、ごめんね、あなたなのである。許せよ。


終生、己なのである。


ほんとうに、素晴らしくも、小さく、壮大な生命体である。



私は何者か。



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