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私は何者か、302


美しいものを欲しがる。それは、普通であろう。どれが美しいか、そこが問題である。
言葉を読む時、または編む時、たとえば、私もそう感じていたし、そう表現したいしと自身の考えたものと他のものが似すぎていないか疑心暗鬼となる。怖くなるのである。そのくせ、人の感じることは大差ないのかと感じたり、密かに安心したりすることもある。くるくる回り続ける、摩尼車のように。この世に在るのは少しの間。その間にどれだけのものと出会えて、どれだけのものに傾倒を許され、どれだけの長さを真の長さと感じ、甘んじられるのか。

真夜中、急に、犬のトロルが吠える。何が見えるの。外は闇夜。夕方から曇り空が広がった。霧雨が来し方を湿らせ、行く末を湿らせ、この低温で湿気のある春早い日の不安を募らせる。

彼の腕の頑健さは相変わらずである。さらに短く刈り込んだ髪を纏った私の頭を一晩中も支え続ける。眠る我らの夢は細い細い糸口をちらつかせ、やがて荒野とも花野ともつかぬ果てない場所へ続く。広角レンズのなかに広がる朝ぼらけ、夕さり。または枯野の深更。一周まわれば一日か、一年か、一生か。


コーヒー豆の香りのなか、ぐーんと一気に引き戻される。温かくやわらかい今日という日の今の幸福へ。


さらに、深く、湿らせて。春の雨。

烟るものは、さらに、深く。


私は何者か。


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