50年近く経った「原点」のオートバイを再生してみる
ホンダの古いオフロードモデル(トレイル)バイクに「XE75」というものがあります。デビューは1976年、もう47年前のものです。小排気量であれば軽量で高出力の「2サイクルが有利」とされていた時代、そしてオフロード車の中でホンダは「4サイクル」に拘った製品に力を入れていたようです。半世紀経った今では環境、排気ガスの観点から2サイクルがすっかり姿を消し、ホンダはこうなることの将来を見据えていたのかも知れませんが、ただ当時はヤマハなどの2サイクル車の方が人気だったことは事実です。ホンダが、主に北米を対象として発売した少年/少女向けモトクロッサー(ナンバー無し オフコース専用モデル)「XR75」を世に放ちました。エンジン特性の穏やかさを特徴とした4サイクルエンジンをユース向けに搭載した車両というわけです。結果的にはホンダの4サイクルオフロードモデル「XRシリーズ」の第1号となったのがこのXR75だったというわけです。戦闘力、よりもオフロード入門用として最適なものを目指したのでしょうか。 そしてそのXR75のナンバーを付けて公道で走れるようにしたモデルが「XE75」でした。同じ設計のエンジンを搭載した当時の兄弟車に「CB50」、「TL50」などが作られましたが75㏄エンジンを搭載したのはXE(XR)だけだったようです。
そんなXE75を、「免許を取れる学校」として選んで入学した奈良高専のワンダーフォーゲル部の先輩から譲り受けた、のがオキにとっての「初めてのオートバイ」でした。ゆずり受けたものの、すぐには乗れる免許はなく、しばらく乗れずにその期間を外装の手直し、や恐る恐るエンジンを開けてみて構造のベンキョウ機材ともなったのです。オキにとっては最初の「先生」です。 そのうちに免許も取得でき、手を入れたそのXE75で近くの丘陵地を走りまわっていました。同級生は最新のDT50やハスラーなどに乗っていましたがそれを全く羨ましいと思うこともなく気に入っていました。そしてオキのオフロードオートバイの原点とも言える存在になりました。 その後、フロード走行も本格的なものになっていき、学生時代はXL125Rを、働き始めてからはXLR250、XR250などを乗り継いできましたがいずれも、最初のXE75の存在があったから、というものです。
2001年に「オキドキライフスタイル」というジテンシャを中心としたショップを始めましたが、そこに「キタクン」という高校生が通ってくれるようになりました。ある日キタクンが親戚の叔父さんからGB250とXE75を譲り受けることになったという際にオキのクルマで搬送を手伝ったことがあります。「ああ、XE75かあ。懐かしいなあ」という思いで手伝いました。 ところがそれから20年近く経ち、キタクンもとっくに社会人となってシンガポールで生活をしていたのですが、昨年10月に帰国した際にオキドキライフスタイルを訪ねてくれました。「ところでオキさん、あのXE引き取ってもらえませんか?」シンガポールに行く際に置いて行ったものがまだある、ということのようです。「ああ、あの時の!」「それは嬉しいけどどんな状態?」「それが・・・ 数年はコンテナ保管だったのですが、その後10年は野ざらしで、欠品もあるんですよ」嬉しいような話ですが、10年の屋外放置は絶望的です。50年近く経った個体の再生は容易いものでは無いことが想像できます。メーカーの部品製廃に加え、中古部品の高騰化も実感しています。果たして手を出して良いものか。やりかければ途中で投げ出すことはできなくなりますし、最終的にどれだけの費用が掛かるかも天井知らずです。乗り物に困っているわけではありませんので、このまま「聞かなかったこと」にしてスルーすべきでしょうか。 しかし、ここでオキが断ればおそらく間違いなくこの個体は「廃棄」を免れないでしょう。「引き取らないか」はすなわち「処分しておいてくれ」というニュアンスが含まれているのでしょう。
実は日常的な用途のためにXR100を所有しています。このXR100はいわばXE(XR)75から始まったXRの系譜の末裔ともいえるモデルで、これを今所有するにも最初に手に入れたXE75に対する思いを形にしたものです。そしてその性能、機能には十分満足をしています。強いて言えばその外装パーツのほとんどが安っぽい樹脂製であること、でしょうか。 満足はしているものの「ああ、最終的にはあの時のXE75のようなオートバイを手に入れて終わりたいなあ」そんなことをうっかり言葉に出して言ってしまったこともありました。 それが今、現実となってやってきてしまったのです。 さあ、どうする!? とりあえず、キタクンの(シンガポールへの)帰国のリミットも迫っていますので後のことは考える、で引き取る作業を進めました。仕事終わりの真っ暗な中、指定された場所にそれが待っていました。暗くてよくわかりませんが、タイヤの空気は抜けてペちゃんこ、クラッチレバーも動かない、見た目に綺麗そうなシートは・・・グラブベルトを掴んで持ちあげるとシートベースがちぎれて分離してしまいました。 どうなることか・・・
店に持って帰って明るいところで改めて観察します。 明るいところで見るとさらに・・・ 前後ホイールのリムとスポークはあまりに酷い状態にまで錆てしまっています。スポークは全交換、リムは錆落しをした結果次第です。 取れてしまったシートは、鉄製のシートベースが腐食で3分の1ほどが無くなってしまっているようです! マフラーは別モデルの物が不格好にぶら下がっています。 サイドカバーは左右どちらも付いていません。 チェーンも。あらゆる金属が錆まみれです。 ・・・どうやら前途多難なのは間違いないようです。しかし、現車を目の前にして眺めていると初めてオートバイに乗って自由にあちこちの知らない場所に出かけて行った時の思い出が沸き上がってきました。元々が「ジテンシャ乗り」ではなかったオキにとっての初めての「自由な翼」は当時のXE75でした。 今となっては眉を顰めるような里山の奥まで入り込んで行ったのも、暗峠へもやはりXE75による体験でした。そう思い出しながら目の前のXE75を眺めていると、どうしても再生して公道復帰させよう!そう決心することになってしまったのです。
早速現状確認を兼ねて作業に掛かっていきます。分解したり、掃除したりする限りでは特に費用は発生しません。錆の状態を確認しながら、破損個所が無いかを確認しながら慎重に部品を取り外していきます・・・ 一通り分解が完了した時点でわかって来たのは、ベースが腐食してしまっていたシートはベースの鉄板が腐食してしまって欠損、形状をなしていないため、ASSY交換か大掛かりな補修が必要です。スポークは錆びて強度を保てないため全数を交換します。錆のひどいリムは、錆取り除いていくと綺麗なメッキ地も出てきたのですが、錆の酷い箇所は「穴」となってしまっています。強度的な目的のためには完全な補修か交換が必要なようです。タンク内の錆は一見して問題なさそうに見えたのでほっとしたのですが、錆びて塗装が浮いてしまっている箇所の錆を取り除いていくと、ここにも穴が開いてしまっています。肉薄なタンクを溶接で塞ぐのはリスクが高いため、これも交換でしょうか。タイヤは問答無用で要交換です。キャブレターは壊滅的なのは想像に尽きますがこれは根気よく化学的/物理的に改修できるはずです。どうやら金額に目をつぶれば「再生」は可能だと判断しました。エンジン本体については楽観的に「大丈夫だろう」と安易に判断してしまっていました。(後にエンジンの分解整備が必要になることにこの時点では気付けていませんでした) こうして「ウッカリ」再生作業に取り掛かってしまったのです。 気の重いシートは後回しにして、フレームの錆落しをして改めて塗装をします。特に追加溶接作業などはなくスムーズに作業が完了しました。 前後のサスペンションも分解してチェック、消耗ゴムパーツなどを新品に交換して継続使用します。ホイールはスポークを切断して分解し、改めてリムを観察し、穴を溶接して埋めることにします。そして腐食を磨き上げたハブに新品のスポークを使ってホイールを組み直して完了。このあたりは得意な作業です。ブレーキやスプロケットはそのままでいけそうです。残念ながらスピードメーターケーブルは壊損。適合中古品を探して交換し、作動を確認。並行してキャブレターを分解して溶液に浸して置きます。分解したフレーム構成パーツを組み戻していき、ステムベアリングも洗浄して給脂してステアリングも完了。タンクの穴は信頼性の高い「耐油性強力接着剤」で補修し、彩色して完了。燃料コックは新品へ交換。ヘッドライトケースやリアフェンダー、タンクも艶再生の塗装を施して磨きあげて外装品の完了。サイドカバーは引き続き中古パーツの出品に注視。状態の良いものは恐ろしい価格で出ていますが。ハンドルバーなどを掃除して組み戻してゆき、シャーシは完了したように見えます。続いて懸案のシート。欠損した鉄板を亜鉛メッキ板を使って再生(成)することにして型を取って切り出し、成型して溶接して3次元的な形状を再生してゆきます。薄板の溶接は困難で形状を再現する難しさもあって時間が掛かりました。なんとかベースを再生できたのでシートを張って完成です。運よくオリジナルのマフラーも許容できる金額で中古品が見つかりました。電装部品の導通を確認しながら、各部品を磨きながら組み戻してゆきます。錆の酷いビス類も全て交換します。キャブレターは分解掃除をした上でガスケット、Oリング類を交換。配線を全て装着した状態でこたれでエンジン始動ができる状態になったはずです。 ガソリンをれてエンジン始動。楽観的に考えていたエンジンがやはりかかりません。点火コイルは壊損していたため状態の良い(と書かれていた)中古品に交換しています。ポイント式の断続機構ですが、ポイントもコンデンサ―も新品に交換をすることにしました。いろいろ試していった結果、エンジンは始動しました。しかし回転の状態は思わしくなく、アイドリング時の安定性もありません。キャブレターの掃除が足りず、空気の流路が回復できていないのでしょうか。発電点火系統も何度も疑って分解観察しますが原因がわかりません。あらゆる可能性を考え抜いて、一つ一つ試しながら原因を絞り込んでいく地道な作業が続きます。試運転のためにナンバープレートも交付して保険にも加入しましたがそこに至るほどの調子にもなりません。やや焦りも出てきました。
本調子ではないものの妥協して「こんなものか」のレベルにはなったのですが、今度はクラッチが機能してないことが判りました。クラッチを切っても断続ができないのです。いわゆるクラッチの「張り付き」が起こってしまっていてどうやらエンジンを分解しなければならなさそうです。「エンジンは大丈夫仮説は崩れました。古い設計のエンジンですのでクラッチカバーを開けるためにも一体となったキックスタンド&ステップをエンジンから取りはずす必要があり、簡単ではありません。何とかクラッチカバーを開け、クラッチプレートを分解していきます。長年の放置によってエンジンオイルが変成してこびりついてしまっているのでしょう。クラッチディスクもプレートも真っ黒のタール状のものがこびりついています。丁寧に掃除していきますが、クランクケースカバー内部も酷い汚れ様です。せっかく開けたのだからとこれも綺麗に磨いて掃除をします。潤滑のオイルポンプも分解して掃除をします。ここに変速機構のシフトドラムの右端が出ているのですが、ん?よく見るとあれ?この車両は4速車? おやと思って調べてみるとXE75の初期型は「4速」だったみたいです。後期モデルでの変更点は外観ではダウンフェンダー→アップフェンダーですが、肝心な変更点は「5速化」の様です。オリジナルの4速でも良いのですが、実用上は5速の必要性は高いはずです。んん~と考え考えましたが可能であれば5速化すべきでしょうか。探してみると運よく?同系エンジンの5速ミッション一式が中古で提示されていましたのでこれを購入。構造的に4速→5速へのコンバートは難しいことではありません。しかし、クランクケースを分割する必要があり、そのためにはシリンダーヘッド、シリンダーなどの腰上を全て分解つまりエンジンのフルオーバーホールと同等の分解組立作用が必要になります。必要になるガスケット類の入手を確認してから再びエンジンをフレームから降ろし、エンジンを分解してゆきます。心配していた通り、オイルの経路全てにおいて汚れがひどく分解することにしてよかった、という状態です。無事にクランクケースを分割、徹底的に洗浄した上でミッションを組み替え、シリンダーを組み戻して完了です。これで晴れて「初期モデルの5速仕様」となりました♪ クラッチの問題解決に加えてミッションの最適化、カウンタシャフトトシフトスピンドルのオイルシール交換、腰上のオーバーホールが済み、隈なくエンジン周りの整備が出来てしまいました。 そして原因追及に時間は掛かりましたが、低速回転時の不安定、高回転への吹け上がりの問題も解決することができました。苦労はしましたが、「こんなもの」と諦めずに根気よく、そしてよくよく思慮を巡らせて解決するプロセスを身をもって体験できる機会となりました。
電気系統に関しては点火系はコイルの交換だけですんなりいきましたが、充電/灯火系については利便性などから「12V化」することにします。絶対的な発電電力は仕方がないとしても発電電圧は十分に12V出力を満たしているはずです。ところが電気については得意でもなく知識が乏しく、情報を集めながらの作業になります。まず、この時代のこのクラスの車両は「灯火系は交流、充電表示系は直流」となっているようです。簡素化するために、全交流化も考えたのですがウインカーの制御やスイッチなどで容易でないことが判り断念します。詳しいことはよくわからないのですが、半波整流のレギュレーターをシリコン整流から置き換えるだけで簡単に?12V化はできるようです。配線はいろいろ勉強して理解を深めます。スペース的にも今後のメインテナンス性も考慮して「バッテリーレス化」も行っておきます。車両の電球全てを12V用に交換して完了です。おかげで小排気量原動機モデルの電気設備の知識が高まりました。 これで全ての外観、機能、走行、電気系統の状態を正常化することができました。
完全な新車同然にすることは不可能ですが、ほぼ50年近く前の車両を公道で登録して不安(あまり)なく使用できる状態になりました。当初の「公道復帰」が実現できたようです。 損傷個所の補修にも苦労をしましたが、完調でないエンジンの状態には原因の可能性を推測し、試す、考える、実行するのプロセスので繰り返して何とか思うような状態に復元することができました。原因を考える、作業を考える、は本業のジテンシャ整備においても非常に大切なプロセスですが、昨今の機械製品はブラックボックス化が進み、「不具合はAssy交換」という工夫を要しない作業が増えてしまっています。こうして今回改めて考えて直すという機会が自身にとってのスキル確認や向上に役立ったように思います。やっぱり、XE75は50年近く経ってもオキにとっては偉大な「先生」のままでした。この歳になっても成長の機会を与えてくれた「先生」に深く感謝した次第です。
(2023.03.23)
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