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描く人の後ろ姿を見て安心するのは、なぜなんだろう

最近、noteに記事を投稿しては消し、投稿しては消しを繰り返しています。(正確には下書きに戻している)

こういうのってよくないんだろうなあ。と思いつつも、投稿した数日後にふと「やっぱり違う!」と思ってはついつい消してしまいます。

読み返すとどうにも空っぽに感じられて、なにかが違うのです。違和感がすごい。

こんなことが書きたかったんじゃない。
もっとちゃんと、ひとつひとつの事柄を丁寧に書きたい。
もっと素直な気持ちで書きたい。

どうして書けないのか。
私が毎日をあまり丁寧に生きられていないからなのかもしれない。

昨日はひさしぶりにアトリエ(絵画教室)に行きました。

アトリエのドアを開けると、いつも一番に目に飛び込んでくるのは、大きなキャンバスに絵を描いている女の子の後ろ姿。

20代後半の女の子。彼女は、仕事の休みの土日はいつもここに来て絵を描いています。昨日は油絵で人物画を描いていました。ビビッドでとても独特な色彩。

彼女の一心不乱に描くその姿を見ると、私はいつも「おはよう」の一言を飲み込んでしまいます。あんなに集中しているのに、邪魔したくない。集中の糸を切りたくない。

彼女はとてもいい子だから、絶対に振り向いて「おはよう」って返してくれる。それがわかっているからこそ、あえて声をかけたくない。それに、ここからだと少し距離があるから、声をかけなくてもきっと気づかれない。そろ〜〜っと静かな足取りで、私は隣の部屋に入ります。


私は彼女の夢中になって絵を描く後ろ姿が大好きです。ものすごく安心する。そしてほんの少し、勇気が湧く。

人の描く姿を見て安心するって、どういう心の仕組みなんだろう?

よくわからない。知りたい。けど、下手に言語化すると間違えてしまいそうな気がする。心の聖域はうかつに荒らしたくない。

安心する理由はわからない。けれども、ただ、彼女の背中から伝わってくることはわかる。それは、彼女が真剣に、夢中になって描いているということ。絵を描くのが大好きだということ。眼差しに迷いがないこと。

もしかしたら「ゾーン」と呼ばれる状態に入っているのかもしれない。集中が極限に達すると、人は周りの音が聞こえなくなったり、時間の進みが遅く感じられたりするという。それが伝わってくる気がする。

なんでそんな、他人の集中する姿を見て安心するんだろうな。

そういえば他の生徒さんも同じことを言ってた。「いつもアトリエに来たら、彼女が絵を描いている後ろ姿が最初に目に入ってくる。それを見ると安心する」って。一言一句同感だな。

彼女はいつもそこにいる。そしてただ、好きな絵を描いている。そしてアトリエに通う人たちは、みんな描くことが好き。誰も競い合ったりしない。自分の「好き」に夢中になってる。そんな不思議な空間。平和だな。

––––もしかしたら、自分の好きなことに夢中になっている、純粋な、子供のような姿に、私は安心を覚えるんだろうか。あるいはその揺るぎない、安定した後ろ姿に。

う〜ん、合ってるような、そうでないような。書いてみて思ったけど、やっぱり言語化するのがもったいない。やっぱりここは、モヤモヤしたままでいい。魔法のままでいい。

無理に言語化せずに、今はただこの「安心」に甘えていたい。居場所があるのは幸せなこと。

私も彼女のようになりたい。すごく身近なところにいる、憧れの人です。恥ずかしいから言わないけど。

彼女のように、自分の好きなことを大事にして、目の前のことに集中して、丁寧に向き合いたい。そうしていつか私も、安心を与えられるような存在になりたい。

心を込めて書いた文章に価値を感じていただけたなら、これほど嬉しいことはありません。なにか自己研鑽や創作の糧になることに、大切に使わせていただきますね。