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極潤


26歳の時彼氏にフラれた

この話は割愛するが
この年、私は生きている奇跡を目の当たりにした。


それは夏の終わり。

まだ彼と交際していた頃。
北海道に住む彼の元へ旅立つ準備をしていた。

関西空港に向かう数日前


台風が関西を直撃した。


本当は前入りして関空付近で前泊する予定だったのだが、
どうにも雲行きが怪しくなってきた。

元々飛行機が苦手だ。
飛び立ってから平行になるまでの時間と着陸する瞬間と速度が落ちるまでの時間が途轍もなく怖い。

ただ、人は簡単に
そんな恐怖をも乗り越えられる。

あの時の底知れぬ原動力は、
彼に会う瞬間のその喜び一つ。

今思うとゾッとするが、
恋愛の渦中にいる人間たちの
彼からの優しい一言で
1だった体力が100になるという、
謎の少女漫画マジック現象を今なら心から理解することができる。

この経験がなければ、
キラキラ輝く乙女心を一生鼻で笑っていたに違いない。


そんな超パワフル乙女心で強行突破しようとしていた矢先、
私の予定便の欠航が決まった。


その日のニュースに映っていたのは
関空にかかる橋にタンカーがぶつかり、
空港が孤立状態になっている様子だった。











もし予約の日が一日早かったら。





そう思うとゾッとした。
















それでもまだ諦められない。
どうしても会いたい私は
経路を大きく変え、
成田から新千歳に飛ぶ事にした。

夜行バスに乗り、東京へ向かった。


何を隠そう、
この日は私の誕生日だった。
本当は彼と過ごす予定だった日。


いや、そんな事はもうどうでもいい。

楽しみな事があると体調を崩す癖があるので、熱が出てしまわないようにこの日はゲストハウスで早めに就寝をした。

ただ移動するだけの誕生日になった。


9月6日早朝。
まだ寝ぼけ眼の私の目に
スマホのニュースがぼんやり光る














北海道で震度6強の地震














当日、私の便は欠航した。













ゲストハウスのテレビを見ながら
ゾッとした。

















彼のいる帯広の方でも停電があったという。現地も復興に時間がかかりそうだった。















もうなす術がない。


頭が回らないまま、
ゲストハウスを延泊した。

次の日、岩手に住む友人に電話をした。

北海道行きの便が復興するまで彼女の家に泊めてくれることになった。

ありがたい。

青春18きっぷを1枚購入し、
始発で岩手に行った。

この友人は地元の同級生。
私の親友である。
仕事で岩手に移住していた。

彼女の運転する軽トラは
毎度ながらエンストする。
岩手じゃ無ければ大事故だ

彼女の生み出す笑いでどれだけ励まされたことか。

滞在中、現地のボートのお祭りにも参加させてもらい、
夜は地元のジジたちと飲み、笑い合った。

とんだ災難も忘れてしまう。

こうして3週間ほど楽しく暮らした。



北海道の復興はまだまだ全域に行き届いてはいなかったが、
私はなんとか仙台から新千歳空港に飛ぶことができた。














そして

待ちに待った彼との再会で


フラれた。




全く予期していなかった。

想像もつかなかった。

何の前触れもない、

その急展開の全てに

泣き崩れ果てた



ナイタイ牧場
広大に広がる草原のそのど真ん中で。


















行き場とは

失い続けるものなのか。



















必死の思いで行った北海道で

水にも泡にもならぬまま

想いは蒸発した。

4年間辞めていたタバコの煙が

空高く

消えてった















その後、秋。

本当は彼を誘う予定だった台湾旅行に
一人で行った。

ぐじゅぐじゅの心。

もう、私には何もない。
どこで何をしても世界は灰色に見えた。

駅のロータリーで
現地の不味いタバコを吸っていると
ジジイに一本くれとせがまれた。



この期に及んで、なんなんじゃわれくそ

(方言ですいません)



と投げ捨てた。


現地のゲストハウスに着き
一息ついていると、
隣から激しくS○Xしている声が漏れ、とうとう私のベッドまで揺れ始めた。


私は壁を
こんかぎり殴った。







夜市で食べた、
うどんみたいな素麺みたいな沖縄そばみたいなやつが
私の胃だけを優しく温めてくれた。


次の日、現地人の友人と落ち合い
恋愛の神様のいる神社に連れていってもらった。

もう忘れたが、
面長な丸石を2つ同時に投げて表と裏が5回続いて出れば願い事が出来る
みたいな感じの参拝方法だったと思う。

私はひとつも全然うまくいかないまま、
強行突破してお願いをした。

多分あれが良くなかった

そもそも日本語で願ったって
届かないような気もしていたのだが。


それから心配してくれた友人達が
バイクにのせてくれた。

花蓮の海で叫んだ。

山を歩き、なっがい橋を渡り
山頂から叫んだ。

途中入ったカフェの向いから、
バン!バン!
バババババババン!
と爆発音が聞こえた。

事件だと思った。

どうやら台湾では結婚すると爆竹を鳴らす文化があるらしい。




心裏腹だ
非行少年であってほしかった。

あぁ、なんて乏しい
不徳な人間なのだろう。


もう夜市の野犬にすら恐れもなくなっていた
寧ろ愛でたい。

お前もひとりなのかい。


野犬を足元に
一緒に水餃子を食べた。






とは言っておりますが、
片時も見離さず、こんなやさぐれた私を優しく見守ってくれた台湾の友人達のおかげで
今私はこうして何事もなく幸せに過ごすことが出来ています。

感謝しかありません。
やっぱり台湾が大好きです。

本当にありがとう。




台北への帰り道。
丁度駅に着いた頃だった。

友人から、

私の乗った一本後の電車が


脱線した


という連絡が入った。
















ゾッとした。








日本製だったこともあり
日本でも大きくニュースになっていたという。

真相は怖くて見れていない。




どうやら私の歯車は
初めから狂ってなどいなかったのかもしれない。



一日も、いや、1秒も。




私は今生きている。

不運続きを

奇跡的に生きている。





何かを得る時というのは
同時に
何かを失う時でもある

ただ、多くはそこに蓋をしてしまうから気づけない。

そしていつか、
失ってきたものたちで溢れかえるような
壮大な出来事に見舞われた時、

本当に大切なものが見つかるのかもしれない。


勿論、うまく生きれる人たちは
こうなる前に気がつく事が出来るのだと思うが。

私はどうやら
不器用にしか生きられないみたいだ。





この先の人生、
後どれだけの人との別れがあるのだろう
後どれだけの災難に見舞われるのだろう

胸の奥がぎゅっと詰まるような出来事が
後どれだけ私自身を丸裸にさせ目の当たりにさせ、
気づかせてくれるのだろう。


そしてその話を後どれだけ
笑って思いだすことができるのだろう。


この奇跡に臆していられない。


oki

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