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写真と邪念とフレンドと


唐突ですが
写真ってすごく綺麗だと思うのです。

撮った人の真実がそこにある

と、そう思うと
粗末に撮ったものも
より美しく加工したものも

想像もつかない何かが一瞬、
撮影者のレンズに
はっきりと映ったんだと

そう思うと

どんな写真も美しく、
それでいて面白い。


伝わらない気持ちがあることがなんかしら伝わる。




語られない物語が
撮影者の時間の中にある。
















言いたいわけではないことを
言いたいと思うことにすることを思うことにするということをするということをこれから書くということを書く。





以下同文











とまではいかないが
異文というわけでもない話。










この前、
好きな人がこっちを見ている写真を
ふいに手に取ってみた。

ニコッと笑いかけてくるので
お互い見つめ合いながら
こちらもニコッと笑いかけた。

家にいたせいか
気がついたら鼻をほじり
オナラをしていた

そういう時に限ってまた目が合う。



最悪。



恥ずかしさで爆発しそうになったので

写真にキスをして

ごまかした。

その写真のおめめを指で隠してみたりする。

それでも焦りがどうにも治らないので、
一応写真を裏返してみたが
後ろに世界は続いていなかった。








なんだ、だれも見てないのか








良かった、知られていないのか。










ぶっ。








この先一生、
この一連のことを
彼は知らないまま終わる。

なんなら
この世の誰にも知られないまま終わる。

いつか
この一連のことさえも
自分で忘れてしまう日が来る。


で、そんなことを
知らず知らずのうちに
繰り返している。



思い出すこともない出来事が
もう既に起きている。



私は自分にさえ響くことのない現象の
その繰り返される物語の

主役でした。




















なんじゃそれ。











ただ

誰も知らない一連の数々が
誰かにとってはありもしない時空の中で
ひっそりと今生きている。

ひとりひとりのなかで。


















なんじゃそれ。



次回、バッティングセンターの片隅で
忘れられた汚れ腐ったボールの人生は
本当はホームランボールになるはずだった一塁側のファールラインの天井に挟まったボールに似ているの巻

oki

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