見出し画像

パットの行末




おばあちゃんの家に
1ヶ月ほど半家出していたことがある。

特に家族と何かがあったわけではなく、
おばあちゃん家で過ごす正月の
だらだら感を急に思い出してしまい、
正月まで待てなくなったからだ。


そんな4月。

ある日の夕方。



おばあちゃんは洗濯物を畳みながら
私に尋ねた。

あんたーこりゃぁ、
どの肩にひっつけるんか知らんけど
縫い付けちゃるけぇ貸してみぃ。














手のひらには
私のブラのパットがひとつ。



ふんわり乗っかっていた。






















どうやら私は
まだまだ概念とやらに
囚われすぎているのかもしれない









ブラのパットがブラのパットだと
なぜ疑いもせず、
そこにはめ込むことを
躊躇いもせず、
なぜ日常を機械化せてしまっていたのだろう。









歴史は刻々と変わっていくけれど
ただ揺られているだけでは
いつか埋もれてしまう。

そして誰しもが、
そんな不安から逃れるために
流行りを足速に追っているように見える。










きっと、

来るものに臆することなく
生きてさえいれば
おばあちゃんのように
股の間からほったサイドスローのような
奇想天外な発明を思いつくのだと思う。




そしてそれに臆することなく
突き進んでいけば時代は確実に
こちらに近づいてくるのかもしれない。
















おばあちゃんは
常に先へ進んでいる。

古くはない。
確実に新しい。














つまり、
ブラパットは
肩パットでもある


きっと
腸骨にも、
くるしぶしにも

重宝する。
























そういえば、
野球のユニフォーム。

袖を通した
長めの靴下もはいた
ズボンをあげ
ベルトを締めた
帽子も被った

でも絶対に忘れてはいけなかったのは、
靴下の上に履く、土踏まずのとこだけがないあのアーチ状の靴下だ。

あれは一体なんだったのだろう。


あの靴下のアウターの名前を
私は知らない。

あれを履いている小学生を
街でめっきり見かけなくなってきた。



名前を教えて欲しい





あれもパットの一種なのだろうか。






効果を知りたかった。







きっと当時、
訳も分からず履いていた子供は
私だけではないはずだ。



















話を戻す。
おばあちゃんはテキトーと適量の天才だと思う。

何を作っても美味しい。

そして手際がいい。

ただ、何度作り方を教わっても、
私でもわかるような調味料を
平気で入れ忘れている。

でも最後はきっちり帳尻を合わせてくる。



偉業だ。

















ただ時々、
舌が焼けごげるほど辛い時もある。















やっぱりおばあちゃんは凄い。


















きっと、
おばあちゃんは物知りなのではなく
未来人だ。







先陣を切れと
そう、語りかけてくれている。

















ただ、おばあちゃんの中の巨人軍だけは
20年前から何も変わっていない。





おばあちゃん、

それは
小笠原ではないんだよ。

岡本だよ。





















時代をうねらすのは
海賊だけではない。

oki

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?